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ニュースリリース
  • (2017/8/25)

第39回 サントリー地域文化賞受賞者活動概要

 

奈良県上北山村 河合弓引(ゆみひ)き行事保存会

◎受賞理由
秘境とも言われるほどの山深い地において、中世から伝わる弓術を地域の歴史を伝える行事として純朴に保存継承してきた点が高く評価された。

◎活動概要
上北山村は奈良県南東部の山奥、日本百名山のひとつでもある大台ケ原山の麓にあり、最寄り駅から車で1時間程度かかる「秘境」と呼ばれる村である。人口は約500名。1370年代、平家の一族がこの地に逃れ住み、その子孫たちが再興を願い、弓の練武を続けたことに起因し、徳川の時代に八日薬師の行事として1月8日に弓引きを行ったことが行事の始めとされている。正式な資料は残っておらず、全て口伝により古来のしきたりに則って行われ、現在に至っている。
この弓引き行事の特徴は弓引きを行う矢場や、的、弓を全て住民が手作りで行う点である。準備は保存会メンバーだけでなく、地区の住民たちが協力して行う。前日に行う「的踏み」では、杉の板を薄くはぎ、網目状に編んで1.8mの的を作り上げる。的に円を描く墨は柳の木を焼いて作る。弓は桃の木で作り、弦はタクという木の皮を剥いで作る。このように毎年全ての道具を手作りで行うのが昔からの伝統である。
弓引き行事が行われる河合地区には「年預(ねんにょ)」という役があり一年のあらゆる行事を仕切る。弓引きの際にはこの年預が祭りの世話役である「頭屋(とうや)」となる。頭屋は年預としての最後の大仕事となっている。
弓を射る「射手」は、1月2日の「矢始め」から7日までの6日間、毎日練習に励む。射手には役回りがあり、禰宜(ねぎ)⇒上殿(かみどの)⇒下殿(しもどの)⇒射返しと4年かけて順番に担当する。禰宜は中学生になる男子が務め、射手を4年間続けるとようやく一人前として周りに認められるようになる。
当日は、頭屋と射手は早朝に川で身を清め、氏神様を参拝したあと、頭屋の家に行き、集まった頭屋の親戚や関係者と一緒に宴会を行う。宴会を終えると衣装を整え、弓引き行事へと向かう。弓引きの方法は全て決まっており、まずは射返しが最初に2本射る。その後、禰宜、上殿、下殿が2本ずつ順番を変えながら、全部で3回ずつ矢を射ると終了となる。的は矢が当たると墨が飛び散るようにできており、これを「墨落とし」と呼び、縁起の良いものとされている。
近年、過疎化により、射手の担い手が減ってきている。このため、隣町の子どもたちに参加してもらったり、地区を離れた若者を呼び寄せたり、村外からも募集するなど、行事を継続できるように様々な方法を検討している。また、観客に実際に弓引きを体験してもらったり、ツアーを企画したりと、外部の人にも興味を持ってもらえるような努力も始めた。「悪魔降伏・五穀豊穣」を目的に長年続けてきたこの行事を途絶えさせないために、形は多少変わったとしても継続していくことが、村にいる人たちの願いであり、使命である。

◎代表者および連絡先

 

〈代表〉
山室 潔氏(河合弓引き行事保存会会長、上北山村村長、65歳)
〈連絡先〉
一般財団法人北山郷文化保存会
理事長 杉本 雅(ただし)氏
電話:07468-3-0020

◎奈良県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
奈良市 荒井 敦子氏(1993年、個人)

 

岡山県新見市 新見庄(にいみのしょう)たたら学習実行委員会

◎受賞理由
かつて地域の重要な産業であった「たたら製鉄」を市民参加で再現。時間と労力をかけて古来の製鉄作業を体験することを通して、地域の文化と歴史を知り、地道なものづくりの原点に触れることのできる場を提供している。

◎活動概要
良質な砂鉄を産出する中国地方では、古くから「たたら」と呼ばれる日本独自の製鉄が営まれてきた。岡山県北部に位置する新見でも、市内各地にたたらの遺跡が存在し、中世では東寺(京都市)の荘園として、年貢の一部を鉄で納めていたという記録も遺されている。
たたら製鉄では、砂鉄と木炭を粘土製の炉に入れ、ふいごで風を送って鉄を精錬する。日本刀にも用いる玉鋼(たまはがね)という貴重な鉄もこの方法で作られる。しかし江戸時代後期に近代的な製鉄技術が導入され、新見を含め国内のたたらは徐々に衰退して姿を消していった。戦後にはたたらによる製鉄を行うのは、日本美術刀剣保存協会が刀剣などを製作するために操業する、島根の一箇所のみとなっていた。
そのような中、新見市では地域の重要な産業であったたたら製鉄について知りたい、自分たちでもやってみたいとの声が高まり、1993年、市の青年会議所が中心となって、中世たたら製鉄の再現操業に踏み切った。その後も市のまつりのイベントとして毎年1回のたたら操業を行い、2007年からは市教育委員会の管轄のもと「新見庄たたら学習実行委員会」が発足した。
現在でも小規模なたたらの操業は各地で行われているが、新見のように本格的な中世たたら製鉄を忠実に再現し、一般市民も参加できるような場は他にはない。また日本を含め、製鉄は世界各地でその技法の多くが非公開で継承されてきたために、詳細については不明なことも多い。そのため研究者も新見を訪れて、たたらに協力し、自らの研究にも役立てている。
毎年10月頃の開催に向け、5ヶ月前から薪の調達や薪割りの準備を始め、さらに2~3週間かけて粘土製の炉を造るなど、長い下準備が必要となる。そして迎える操業の当日、安全と製鉄の成功を祈願する神事が執り行われて、炉に火を入れる。続いて、市内外から集まった延べ500名が交代で、一昼夜かけてふいごで炉に送風し、その傍らでは、婦人会が炊き出しを行うなど、地域の人々が様々な形で協力して作業を支えている。
砂鉄が鉄に変化してゆく過程で、炎の色が微妙に変化してゆく姿は神秘的だ。炉の底から、赤く燃える鉄が火花を散らしながら地面に流れ出す様子に、参加者から大きな歓声が上がる。その後、炉を解体して長時間にわたる操業が終了する。
何かと効率を求められがちな現代において、古来のたたら製鉄を再現するという壮大な取り組みは、地域の人々の絆と誇りを生み出す貴重な場となっているのである。

◎代表者および連絡先


 

〈代表者〉
橋本 正純(まさずみ)氏(新見庄たたら学習実行委員会実行委員長、自営業、64歳)
〈連絡先〉
新見市教育委員会生涯学習課
主事 阿部 聡氏
電話:0867-72-6108

◎岡山県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
倉敷市 大原美術館ギャラリーコンサート(2006年)
岡山市 桃太郎少年合唱団(2003年)
岡山市 夢二郷土美術館(1985年)

 

徳島県徳島市 「阿波木偶箱(でこはこ)まわし保存会」

◎受賞理由
姿を消してしまう寸前だった郷土の伝統芸能である「阿波木偶箱まわし」を継承し、人形操(あやつ)りの芸だけではなく、正月を寿(ことほ)ぎ、幸せを祈る伝統行事も次代に引き継いだ点が高く評価された。

◎活動概要
徳島県は人形浄瑠璃が盛んな地として知られているが、今までは地元でもあまり広く知られていなかったもうひとつの人形芝居がある。それが、「阿波木偶箱まわし」だ。箱まわしとは一人遣いの人形芝居で、人形を箱に入れて担ぎ、家々や人の多く集まる大道などで演じられた。演目は大きく分けて2種類ある。年明けに家々を廻って門付けをし、その年の家内安全や商売繁盛を祈る「三番叟(さんばそう)まわし」と、「傾城(けいせい)阿波の鳴門」などの人気演目を大道で演じる「箱廻し」である。
明治のはじめには県内に200人ほどの芸人がいて、徳島県のみならず全国を廻るほどの人気を誇っていたが、社会変化の波の中で徐々に姿を消していった。郷土の素晴らしい芸能が失われつつあることを憂いた辻本一英氏は、1979年から地元のお年寄りから聞き取りを行ったり、箱まわしの芸人が訪れた場所を訪ねるなどして調査を続け、1995年に有志を募り、「阿波木偶箱まわしを復活する会」を結成した。その活動の中で、県内でただひとり「三番叟まわし」を行っている芸人を探し当てた。
「復活する会」のメンバーの中内正子氏は、彼に弟子入りすることを決意。3年間門付けに同行して芸を学び、2002年に師匠の跡を継ぎ、同会のメンバーで囃子方を担当する南公代氏と共に、正月明けの約2か月間、主に徳島県西部の家々を廻っている。師匠から受け継いだとき、訪問する家は300軒程度であったが、同会による聞き込みや人々の口伝えで、「以前はずっと来てもらっていたから、うちにも来てほしい」という家が相次ぎ、現在は1000軒余りに増えている。新しい年を祝福し、幸せを祈る「三番叟まわし」は、迎える人々にとって家族とともに正月を祝う心楽しい行事である。人形に体の悪いところをなでてもらうとき、人々は神様の使いである人形に手をあわせて拝む。
2012年に「復活する会」は「阿波木偶箱まわし保存会」に改名、現在の会員数は24人である。会員たちは一人遣いの人形芝居のプロに教えを請い、大道芸である「箱廻し」を習得し、浄瑠璃語りや三味線の練習も行っている。2003年から小中学生を対象に「箱まわし子ども体験教室」を開催。もっと学びたいと希望する子どもたちのために夏期集中講座も開催し、ここを卒業した子どもたち30人がジュニアチームとして、保存会のメンバーとともに県内のイベントや独自公演に参加している。
保存会では、かつて箱まわしの芸人が廻った家々や地域を訪ねて調査を続け、残っていた人形の収集もすすめている。なかでも、中内氏の師匠から譲り受けた「三番叟まわし」の道具一式は国の登録有形民俗文化財に登録。また人形による正月の祝福芸は徳島にしか見られないことから、「阿波木偶『三番叟まわし』」は県指定の無形民俗文化財に選定され、徳島県の様々なイベントに参加している。
同会の活動がなければ、確実に滅びていたであろう「阿波木偶箱まわし」は、今や徳島県が誇る郷土の伝統芸能として、多くの人々に愛されている。

◎代表者および連絡先


 

〈代表〉
中内 正子氏(阿波木偶箱まわし保存会会長、人形遣い、49歳)
〈連絡先〉
阿波木偶箱まわし保存会事務局
電話:088-642-0749

◎徳島県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
鳴門市 鳴門「第九」を歌う会(2016年)
三好市 四国の秘境 山城・大歩危妖怪村(2013年)
徳島市 犬飼農村舞台保存会(1998年)
徳島市 徳島国際人形劇フェスティバル実行委員会(1995年)
阿波市 阿波町 花いっぱい運動(1989年)

 

佐賀県鹿島市 「鹿島ガタリンピック」

◎受賞理由
地域の自然を活かしたユニークな競技大会を30年以上にわたって継続し、笑顔と元気を全国、さらには世界中の人々に広げている点が評価された。

◎活動概要
干満の差が日本一大きい有明海では、干潮時に広大な干潟が姿を現す。その中でも鹿島市七浦地区の干潟は、約9万年前の阿蘇山大噴火によって堆積した土砂が長い年月をかけて変化し、粒子の細かいクリーミーな泥に覆われている。この干潟で、毎年、大勢の参加者が泥んこになって競いあうユニークな競技大会がある。それが「鹿島ガタリンピック」だ。
「ガタリンピック」とは“干潟のオリンピック”という意味である。1984年、鹿島市全域の地域活性化を目指し、市内8団体の青年たちが大同団結して「フォーラム鹿島」を結成した。その翌年、鹿島市が七浦地区に建設した海浜スポーツセンターのこけら落としイベントを委託され、侃々諤々の飲み会の中でこのアイディアとネーミングが決まった。有明海の名物ムツゴロウ漁に使う板に乗って速さを競う「ガタスキー」、ブレーキを外した自転車で干潟に渡した細い板の上を疾走する「ガタチャリ」、ロープに掴まり、できるだけ遠くにダイブする「ガターザン」などのユニークな競技を、子ども時代に干潟で遊んだ思い出をもとに次々と考案。「フォーラム鹿島」のメンバーが体を張って安全性を確認し、ルールを決め、道具を集め、競技場を設営した。
七浦の干潟の泥は肌理(きめ)が細かく、ガタリンピックが開催される季節にはほんのり温かい。全身泥に浸かると地球に抱かれているような癒しの快感があるそうで、競技に参加する人は皆笑顔になる。泥まみれの姿は見る人の笑顔も誘い、参加して楽しく見て楽しいイベントとして、近年は2000人ほどの参加者募集がすぐにいっぱいになり、約3万人の観客が押し寄せる大イベントになっている。干潟の魅力をもっと多くの人に知ってもらうために、1993年からは修学旅行生のためのミニ・ガタリンピックを始め、毎年、日本全国から1万人近くが訪れている。
さらに、オリンピックには外国人選手は不可欠と考え、第2回から佐賀県内の留学生を招待している。協力しているのは鹿島高校の生徒と、ホームステイを受け入れる市内の各家庭。1992年からは釜山外国語大学の学生30~40人が毎年参加し、ボランティアで開催事務局の手伝いもしている。これまでにガタリンピックのために鹿島を訪れた外国人は、延べ6000人に迫っている。
フォーラム鹿島では当初、ガタリンピックを全国、できれば世界にも広げ、各地の干潟で開催することを夢見ていた。しかし、どんなに転んでも痛くない、気持ちがいいほどの柔らかな干潟は非常に稀有であることを知って断念した。つまり、ガタリンピックはこの地域だからこそ生まれ、開催が可能な、唯一無二のものであることを再認識したのである。有明海の干潟とともに、人々に笑顔と元気を届けるガタリンピックは、地域の宝としてこれからも大切に守り、育てられていくことだろう。

◎代表者および連絡先


 

〈代表〉
坂本 鉄也氏(フォーラム鹿島代表世話人、自営業、50歳)
〈連絡先〉
フォーラム鹿島事務局
事務局長 愛野(あいの) 雅彦氏
電話:0954-62-5656
*鹿島青年会議所の事務局と兼用
運営時間:月・火・木・金/9:30~16:30

◎佐賀県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
武雄市 玄海人クラブ(1999年)
佐賀市 地球市民の会(1988年)
多久市 多久古文書の会(1985年)

 

熊本県熊本市 橙(だいだい)書店

◎受賞理由
書店を核に、地域の読者と作家の文芸ネットワークを構築し、双方に豊かな文化的出会いの場を提供している点が高く評価された。

◎活動概要
熊本市の裏通りにカフェを併設した小さな書店がある。木製の本棚やアンティークのソファ、さりげなく置かれた絵や写真など、誰かの居間にいるかのような、ゆったりとした雰囲気の店を切り盛りするのは店主の田尻久子氏。県内での会社勤めなどを経て2001年にカフェ「orange(オレンジ)」を開店し、当初はカフェの一角で雑貨や書籍を販売していたが、幼少時より読書好きだったことから書店経営への想いがつのり、2008年に「橙書店」を開業した。
棚には小説やエッセイ、詩集、写真集、評論などがジャンルにとらわれずに並ぶ。いわゆる「売れ筋」はなく、田尻氏が読んで納得した本、持ち主に大切にしてもらいたいと思う本だけを扱っている。ふとしたきっかけで立ち寄った客が本のセレクションや店主との対話に魅せられて通うようになり、そんな客同士が店で知り合う。その中には作家や写真家、ミュージシャンなどの「つくり手」も多く、いつしか店内で朗読会や音楽ライブ、絵や写真などの展示会が開催されるようになった。30人も入ると肩が触れ合うような店内でマイクを使わずに行われる朗読会やトークイベントは、作者と聴衆の間に親密でリラックスした空気を生む。店主の人柄やこうした文化的な出会いに惹かれ、詩人の谷川俊太郎や翻訳家の柴田元幸、小説家の村上春樹など県外から訪れる著名な書き手も少なくない。
熊本の地では作家の石牟礼道子や評論家の渡辺京二らが以前から文芸の土壌を培ってきた。それが今、橙書店という場を得て新たな動きを始めている。詩人の伊藤比呂美が熊本の文学を盛り上げようと旗揚げした「熊本文学隊」は橙書店が事務局を務め、石牟礼の文学について語り合い理解を深める「石牟礼大学」と名付けた勉強会を開催する。作家の坂口恭平は店内の決まった席で毎日執筆し、書いたものを真っ先に田尻氏に見せて感想を訊くという。2016年2月には、渡辺の「熊本から新しい雑誌を出そう」という呼びかけに応え、田尻氏が編集責任を務める文芸誌『アルテリ』が創刊された。石牟礼、渡辺、伊藤、坂口ら著名な文筆家のみならず、全国的には無名な地元の書き手も力のこもった作品を寄せ、これまでの3号はいずれも2000冊前後を売り上げた。
実は、現在の店は2016年10月からの新店舗だ。旧店舗は2016年4月の熊本地震で被災した。地震後には心配した常連客が次々と訪れて片付けを手伝い、1週間で部分的に営業を再開したが、移転を余儀なくされたのだ。本と出会える身近な場であると同時に、人と人が言葉を交わし、文化的交流を生む場としての書店。そんな場所を大切に思う地域の人々に支えられている橙書店はこれからも輝きを増して行くであろう。

◎代表者および連絡先


 

〈代表〉
田尻 久子氏(橙書店店主、48歳)
〈連絡先〉
橙書店
電話:096-355-1276

◎熊本県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
熊本市 開懐世利(かわせり)六菓匠(2014年)
山都町 清和文楽人形芝居保存会(2001年)
山鹿市 熊本史談会(1987年)
熊本市 高野 和人氏(1984年、個人)


以上

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