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ニュースリリース
  • (2015/11/11)

第37回 サントリー学芸賞 受賞のことば

<政治・経済部門>

前田 健太郎(まえだ けんたろう)(東京大学大学院法学政治学研究科准教授)
『市民を雇わない国家 ―― 日本が公務員の少ない国へと至った道』(東京大学出版会)

 この度は、サントリー学芸賞を頂き、大変光栄に存じます。関係者の皆様には、深く感謝申し上げます。
 本書の出発点にあったのは、単純な驚きでした。日本の公務員数が他の先進国よりも大幅に少ないという事実は、それほど広く知られているとは言えません。少なくとも、そのことを示すデータを初めて見た時、私はそれが何かの間違いではないかと思いました。その理由を知りたいと思ったことが、本書を執筆した動機です。
 研究を進める中で、私は自分がこの問題について多くの誤解をしていたことを知りました。例えば、外郭団体の職員の数を加えれば日本の公務員数は大幅に増えると思っていたのですが、そうではありませんでした。外国と日本とでは公務員の数え方が違うのかもしれないとも思いましたが、それも大きな問題ではありませんでした。どの角度からデータを集めても、日本は公務員の少ない国だったのです。
 本書で研究の戦略として採用したのは、国際比較によるアプローチです。この研究を始めたばかりの頃は、日本の事例をいくら観察しても、諸外国との公務員数の大きな差が生じた理由を説明する手掛かりが掴めない時期が続きました。そこで、まず諸外国で公務員数が増加した経緯を学んだ上で、そうしたプロセスが日本で生じなかった理由を探ることにしたのです。その結果、高度成長期の行政改革という、従来あまり顧みられてこなかった出来事の重要性が浮かび上がってきました。また、それが人事院勧告による公務員の給与水準の上昇への対応として行われたということも、国際比較を通じて得られた発見です。
 ただし、こうした手法は、日本を含む多くの先進国の経済政策に関する研究が蓄積されていて初めて使うことができるものです。幸い、私が研究者を志した2000年代には、日本の政治学者が英語圏の最新の学説を研究や教育に取り入れるようになっており、その動向に大学院生もリアルタイムで触れることができる環境が整っていました。こうした条件を抜きにして、本書の成立は考えられません。今回こうした形で評価を頂ける本を出版できたことが、自分を育ててくれた政治学に対する恩返しとなれば幸いです。
 今日、一時期に比べて公務員バッシングは沈静化した感もありますが、公務員の人件費を削減すべきだという主張は未だ根強く支持されているように思います。このような状況下で、日本が先進国の中でも特に早くから積極的に人件費の抑制に取り組んできた国であると論じることに、不安がなかったわけではありません。それだけに、今回の受賞は望外の喜びです。この経験を励みに、次の研究の構想を練りたいと思います。

 

<芸術・文学部門>

安藤 礼二(あんどう れいじ)(文芸評論家、多摩美術大学美術学部准教授)
『折口信夫』(講談社)

 この度は大変伝統のある賞に選んでいただき、深く感謝申し上げます。
 私はもともと研究者の道を選びませんでした。小さな頃から書物に憧れ、書物を作る仕事、つまりは編集者の道を選びました。なぜ書物に憧れたかというと、非常に病弱で、通常よりも書き言葉の文法、文字の仕組みを学習することが遅れたからです。書物は私にとってまずは不可解なものとしてありました。ところが、漢字の意味するところを知り、その組み合わせの構造が分かってくると、そこには現実とは異なった別世界が存在していたのです! 私は「読むこと」に熱中しました。しかしながら「読むこと」が「書くこと」に変わるためには、これもまた長い時間がかかりました。私がはじめてまとまった文章を書き上げられたのは三十を過ぎてからのことでした。
 民俗学者で国文学者である折口信夫が生涯を通じて唯一完成することができた小説『死者の書』については、高校生の頃から文庫本で読んでいました。残念ながら、何度読んでも、その内容についてはほとんど理解できませんでした。しかし、折口が描き出そうとした世界には不可思議な魅力がありました。書籍の編集者として作家の読本を作るという企画が与えられたとき、私はなによりもまず折口を選びました。折口は、自らの仕事のかけがえのない先達である平田篤胤のことを「読むこと」のマニアであり、同時に「書くこと」のマニアでもあったと深い共感をもって評しています。私にとっては、折口自身のことを語っているように思われました。それとともに、自分とは時間的にも空間的にも隔たった折口という特異な個性がより身近に感じられました。書籍として実現はできませんでしたが、私の探究の出発点となりました。
 しかしながら、折口について書かれたものを読み込めば読み込むほど、一つの大きな不満にとらわれるようになりました。私は折口信夫のことを知りたいのに、他のほとんどの人は柳田國男との関係からしか折口を論じていない。柳田と出会う以前の折口の生涯には多くの空白、多くの謎が残されているのに……。その空白を埋めていくことが私の仕事になり、その集大成としてこの『折口信夫』をまとめることができました。私の書き方は、アカデミックな作法からは逸脱していると思います。それは短所であるとともに長所でもあると信じています。「読むこと」(解釈)が「書くこと」(創作)につながり、一冊の書物のなかに広大な宇宙全体を封じ込める。私が折口の姿勢から学んだことであるとともに、私が信じる批評の実践でもあります。今後、さらにその道を歩んでいくための大きな励ましをいただけたように思っています。本当にありがとうございました。

 

大野 裕之(おおの ひろゆき)(日本チャップリン協会会長、脚本家)
『チャップリンとヒトラー ―― メディアとイメージの世界大戦』(岩波書店)

 このたびは栄誉ある賞を賜ることになり、身に余る光栄であります。財団および選考委員の先生方、これまで支えてくださった皆様に深く御礼申し上げます。
 小学校4年生の時、チャップリンの『独裁者』を見て、大笑いし、感動し、ラストの演説に身震いしました。以来、チャップリンが大好きになり、浪人時代に生まれ故郷のロンドンを訪ね、大学で本格的に研究を始めました。
 チャップリンを目指した訳ではありませんが、私は演劇をずっとやっていて、大阪と東京とでお客さんが笑う場所が違うことにいつも悩みます。でも、なぜチャップリンは国境も時代も超えて笑わせることができるのか‥その創作の秘密が知りたくて、ロンドンの研究所で残された膨大なNGフィルムを分析しました。最初のテイクでは2分ぐらい面白いギャグをしているのが、20テイク目では10秒に濃縮し削ぎ落とす。あくまで世界中の人が笑える笑いだけを求める天才の苦闘を目の当たりにしました。
 そんな私にとって、チャップリンが『独裁者』でいかにしてヒトラーに立ち向かったかは大きなテーマでした。4日違いで生まれ、同じちょび髭を持つ、20世紀の光と影。これまで比喩的に語られてきた二人の巨人の闘いについて、具体的に検証しようと思い立ちました。
 調べるうちに、ヒトラーは早くも1920年代からチャップリンをユダヤ人だと決めつけて排除していたことを知りました。リアルな戦場での開戦のはるか前から、メディア戦を始めていたのです。チャップリンが放浪者のイメージで世界を征したメディアの覇者だとすれば、映画を中心とするメディアを駆使して権力の座に上り詰めたヒトラーの主戦場もメディアです。すなわち、この研究は単なる映画論に留まらない、メディアとイメージの最初の世界大戦についての考察であることに気付きました。
 チャップリン家所蔵の1万頁以上の草稿・手紙・新聞切り抜きなどを読み込み、『独裁者』製作へのナチスの妨害の様子に心が重くなり、のみならず母国イギリスの外務省まで製作に反対していたことに驚き、アメリカ一般市民からの脅迫の手紙に心底恐怖を感じました。そんな困難な中でも信念を貫いたチャップリンに喜劇の役割を教わりました。
 結果、喜劇王が総統を笑いのめしたことで、ヒトラーは比喩ではなく実際に窮地に追い込まれたことを知り戦慄を覚えました。悪い時流に抗う武器は、誠実な苦闘の末に体得された<ユーモア>しかないのです。両者の闘いは、21世紀に入ってますます激化するメディア戦争を生きる現代人に多くのことを教えてくれます。
 それゆえに、今回の受賞は何かの区切りだとは思えません。今後も幅広く議論や実践を深めていく(むろん、ユーモアを忘れずに)きっかけを頂いたと思っています。

 

吉田 寛(よしだ ひろし)(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授、ロンドン大学ゴールドスミス校客員研究員)
『絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉 ―― 十九世紀』(青弓社)を中心として

 この度は歴史と栄誉ある賞を賜りまして、誠にありがとうございます。
 『絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉』で完結した「〈音楽の国ドイツ〉の系譜学」の三部作は、私の博士論文をベースにしたものです。私がそれを構想した時点では、当時話題になっていた「想像の共同体」論(アンダーソン)や「伝統の創造」論(ホブズボーム)などに影響されていたせいもあり、自分も〈音楽の国ドイツ〉という「近代の神話」を「脱神話化」してやろう、という意気込み、または野心のようなものが先行していました。
 ところが実際に研究と執筆を進めるうちに、膨大な歴史資料の解読作業に埋没してしまい、錯綜する歴史に筋道を見出し、自分なりに整理・再構成して読者に提示することへと関心が移行していきました。その結果、当初の目論見であった「脱神話化」に成功するどころか、それとはまったく正反対の作業──「新たな神話」の構築──をしてしまったかもしれない、とひそかに危惧しています。この点については引き続き、読者の皆様のご批判を待ちたいと思います。いずれにせよ本シリーズは、〈音楽の国ドイツ〉というナショナルな表象を通時的に解明した(おそらく世界でも初めての)研究であると同時に、ルネサンス(ラテン語文献の時代)に議論の出発点をおく点(第一巻)や、ドイツ音楽におけるナショナリズムの構造転換を(19世紀以降ではなく)18世紀に想定する点(第二巻)、ドイツ内部の南北問題を前景化した点(第三巻)で、この分野での多くの先行研究と一線を画す、ユニークな仕事になったと自負しています。そしてその辺りをご評価いただいたのだとすれば、著者としてこの上ない喜びです。
 ところで現在イギリスに住んでいる者として、私は今回の受賞に独特の感慨を抱いています。イギリスにいる学者の大半は日本語を解しませんので、私は仕事で人に会う度ごとにこの著作のコンセプトを尋ねられ、それを英語で(きわめて不十分に)説明する、ということを飽きるほど繰り返してきました。自分の著作を身近な人達に読んでもらえないのは辛いことで、英語で書いていればこんなことにはならなかったのになあ、と恨めしく思ったりもしてきました。しかしよく考えてみれば、この著作は「この私」にしか書けなかったはずのものです。つまり現代の日本人が、日本語の読者を想定し、日本語で書くことで初めて生まれたものです。もしもドイツ人が同じ着想と資料を持っていたとしても、またもしも私自身がドイツ語や英語で書いていたとしても、決して同じようには書けなかったはずです。言語というのは単なる手段ではなく、思考の仕組みそのものだからです。学術言語としての日本語の存在事由が根底から問い直されている今日、日本語で執筆・出版される著書に与えられるサントリー学芸賞の意義は、ますます大きくなっていると言えましょう。
 研究というのは地味で孤独な営為である。私はそう考えてきました。そしてそれは、このような大きな賞をいただいた後でも変わりません。しかしそれだからこそなおさら、今回の受賞は、これからも地道に研究を続けていく上での大きな励みとなります。あらためて御礼を申し上げます。

 

<社会・風俗部門>

滝澤 克彦(たきざわ かつひこ)(長崎大学多文化社会学部准教授)
『越境する宗教 モンゴルの福音派 ―― ポスト社会主義モンゴルにおける宗教復興と福音派キリスト教の台頭』(新泉社)

 『越境する宗教 モンゴルの福音派』は、モンゴル国における福音派の流行という一見マイナーな現象を、「ポスト社会主義」という文脈からあつかった小さなモノグラフです。その小さな書に価値を認めていただけたことをとても嬉しく思います。
 冷戦終結にともなう社会主義体制の崩壊によって、モンゴル国にいわゆる「宗教復興」が起こりました。仏教やシャマニズムなど既存の宗教の復興のかたわらで、急速に教線を拡大してきたのが福音派キリスト教でした。なぜ「モンゴル」で「キリスト教」なのか、その素朴な問いが、私の研究の出発点です。その流行現象には、過去と現在が錯綜し合うモンゴルの複雑な状況が映し出されていました。その事実をどのように描き出していくべきか、その描き方を通して現代社会における宗教の問題をとらえる視角を探ることが本書の目的となりました。
 本書は宗教研究をとりまく二つの問題を意識しながら書かれています。一つは、概念をめぐる問題です。学術的言説に現われる様々な概念に近代的な権力構造が埋め込まれているという一連の議論のなかで、「宗教」もその俎上に載せられてきました。しかし、そのような概念批判と経験的宗教研究は、いまだほとんど節点をもっていません。両者を結び合せる視角を本書の事例から導き出したいと思いました。
 もう一つの問題は、「宗教の越境」をめぐるものです。「宗教」は普遍主義的である限り本来的に越境をともなうものですが、現在の「宗教の越境」にはどのような特徴があるのか。本書では、モンゴルの福音派の事例を通して、ある「宗教」が「国境を越えて」受容されていく、という単純な図式ではなく、民族や言語、社会集団や世界観、身体や経済など、多層的な位相における「越境」の複雑な関わり合いのなかで考察されるべきであることを示そうとしました。
 いずれの問題も、「モンゴル」や「福音派」、「ポスト社会主義」など実体的なものとして他者化されかねない対象を、いかに他者化せずに描き出すことができるかという課題と関わっています。研究者と対象の関係が非対称的であることは不可避的な前提ですが、研究者自身のあり方とその権力の作用をどこに位置づけるかには、様々なやり方があります。自身と対象をつなぐ多層的な位相の交錯のなかにこの問題をとらえていくことが有効な手段ではないかというのが、本書の執筆を通して得られた展望です。その展望の先に道を切り開くべく、この度の受賞を励みとして精進して参りたいと思います。

 

<思想・歴史部門>

奈良岡 聰智(ならおか そうち)(京都大学大学院法学研究科教授)
『対華二十一ヵ条要求とは何だったのか ―― 第一次世界大戦と日中対立の原点』(名古屋大学出版会)

 10年越しで取り組んできた研究に一区切りをつけ、次なるテーマを求めてロンドンで在外研究生活を始めた矢先に、受賞のお知らせを頂きました。栄えある賞を授かることとなり、深い感慨を覚えております。関係各位ならびにこれまでお世話になってきた全ての方々に、心より感謝申し上げます。
 日本はなぜ第二次世界大戦を戦うことになったのか。研究者を志した当初から、私の念頭には常にこの問題意識がありました。日本が第二次世界大戦に突入したプロセスは極めて複雑で、様々な角度からの考究が必要ですが、私は、一見迂遠なようですが、第一次世界大戦とのつながりを考えることが決定的に重要だと思っています。本書では、第二次世界大戦に至った日本外交の破局のパターンが、早くも第一次世界大戦中に生まれていたことを示したつもりです。
 対華二十一ヵ条要求の失敗は、日本人が今日考えなければならない問題に対して、数々の教訓やヒントを与えてくれます。日本政府が過大な権益拡張要求を中国に突き付けた背景には、国内世論の沸騰がありました。メディアの無知と偏見がそれに拍車をかけ、世論の暴走に直面した政府は、それに迎合してしまいました。世論は外交の基盤であり、良き外交のためには健全な世論の育成が不可欠であること、世論が誤った時には、政治家は勇気をもってそれを抑え切らなければならないことを、この苦い経験は我々に教えてくれます。
 当時の日本には、中国はもはや主権国家として独立を維持できる存在ではないという観念が流布していました。また、日本の影響力拡大は、西洋列強の侵略から中国を救うものであるとして、正当化されました。このような見方にもそれなりの根拠はありましたが、総じて独善的で、中国への真の理解や共感が欠けていたことは否めません。加えて日本は、欧米が東アジアにどのように関与してくるのかも見誤りました。中国や東アジア全体の現実を冷静に見据えた外交を展開すること。これは今なお日本が抱えている重い課題なのではないかと思います。
 昨年が第一次世界大戦勃発100年、今年が第二次世界大戦終結70年に当たったことから、この数年、両大戦の意義を改めて考察する研究が、世界中で精力的に進められてきました。本書は、そうした動きに刺激を受けて行われたささやかな試みですが、第一次世界大戦から第二次世界大戦に至る日本外交の変化の兆しの一端を明らかにしたに過ぎません。今後も研鑽を積み、現代への眼差しを持ちながら、日本外交の歩みを問い直していきたいと考えています。

 

以上

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