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ニュースリリース
  • (2015/11/11)

第37回 サントリー学芸賞 選評

<政治・経済部門>

前田 健太郎(まえだ けんたろう)(東京大学大学院法学政治学研究科准教授)
『市民を雇わない国家 ―― 日本が公務員の少ない国へと至った道』(東京大学出版会)

 世界相場から見て、日本の政府の規模が小さいことはあまり知られていない。公務員が「ダブついている」職場が多いというステロタイプのイメージがまかり通っているからだ。しかし現実には、長時間労働が日常化している公務員の職場はめずらしくなく、全体として見れば、人口に占める日本の公務員の割合は他の先進国に比べて極めて低い。本書は、この事実を種々の統計数字で確かめた上で、「では何故、日本の公務員数は少ないのか」と問う。
 この問いに答える方法が実に手際よい。著者は、日本の公務員数がいつから他国に比べて少なくなり、その増加が頭打ちになったのはいつかをまず確定する。そして行政改革に取り組んできた諸外国で、公務員数の増加が止まったのはいかなる政策問題に直面したためなのか、そのタイミングを日本の場合と比較している。この探究プロセスが周到で論理も明晰だ。
 分析の結果、戦後長く公務員数が増加した欧州と異なり、日本では戦後の早い時期に、公務員数の増加に対して「歯止め」がかかった点に注目する。戦後の公務員の給与は「人事院勧告」によって決まってきた。したがって民間の給与が上昇して行けば公務員給与も連動して上昇した。そのため財政を圧迫し、財政政策の自由度は低下した。1964年4月、日本はIMF8条国に移行、国際収支の悪化を理由とした為替取引の制限が禁止され、円が「交換可能通貨」となった。その結果、国際収支問題に直面し財政引き締めの必要が生じた場合、公務員給与の上昇が起これば、財政政策の余地は狭まり、その効果は弱まらざるを得なくなった。固定為替相場を維持するための景気コントロールの手段を確保するために、公務員数を制限する必要が生じたと著者は指摘する。その「総仕上げ」が1969年の「行政機関の職員の定員に関する法律」(いわゆる「総定員法」)で、この法律によって公務員総数の最高限度が規定されたのである。
 「人事院勧告」方式とは異なる制度、とくに公務員給与を団体交渉に委ねた英国のケースとの比較が興味深い。英国の公務員数の増加に「歯止め」をかけたのはサッチャー政権下ではなく、サッチャー登場前の労働党のキャラハン政権の時代であった。国際収支問題に悩んだ英国は、財政緊縮へと方向転換し、「不満の冬」を経ながら公務員数の増加を抑制する方向へと進んだのである。
 本書で強調された日本の人事院勧告制度が、公務員給与のフレキシビィリティーをどれほど奪ったのかはさらなる統計的検定が必要であり、公務員の量的制限が女性の社会進出をどの程度阻んだのかも、何らかの実証テストが今後期待されるところである。
 著者が議論の中で政策上の史実を適切に例示していくところにもセンスの良さが光る。本書の最大の魅力は、著者が立てた自前の問題を、政治、行政、経済政策、国際収支の問題と関連させつつ、骨太な構想力で解き明かしたところにある。歴史的な視点をもつ鋭い現代政治経済論を、強い関心をもって読み終えることを喜び、実証的な政治分析の領域での若い才能の今後に期待したい。

猪木 武徳(青山学院大学特任教授)評

 

 

<芸術・文学部門>

安藤 礼二(あんどう れいじ)(文芸評論家、多摩美術大学美術学部准教授)
『折口信夫』(講談社)

 安藤礼二氏の長編評論『折口信夫』は530ページを超える堂々たる大著である。これまでの同氏による長年にわたる折口研究を集大成した偉業であることは間違いないが、それはこれで折口研究が尽くされ、完成したということではない。むしろ、本書のダイナミックな展開は、さらなる多くの魅力的な探索の領域へと読者を誘っている。その意味では、本書は「決定版」というよりは、大いなる開かれた本と呼ばれるに相応しい。
 著者が巻頭で述べているように、折口信夫は「民俗学と国文学が交わる地点に独自の古代学の体系を打ち立てた」人物である。彼の思想と著作は、決して完結した閉ざされた世界ではなく、むしろ古今東西の様々な声が呼び交わす豊かな交通の場だった。安藤氏はこのような折口の思想形成の現場に大胆に分け入り、これまで膨大な研究と評論が積み重ねられてきたにもかかわらず、必ずしも十分に解き明かされてこなかった折口の全体像に迫ろうとする。
 まず、「起源」「言語」「古代」「祝祭」とそれぞれ題された最初の四章では、折口の生涯を追いながら、彼の思想形成の過程に秘められた「謎」の解明が試みられている。特に注目されるのは、折口に決定的な影響を与えたと考えられる柳田國男との出会い以前の時期に焦点を合わせた部分である。ここで著者は、「純愛教」という特異な教義を掲げる神道系団体である神風会と、そこに依拠した本荘幽蘭という「妖婦」、さらに一元論哲学を唱えて「新仏教」を切り開いた藤無染という「美しい僧侶」に着目し、彼らとの交流のうちに折口信夫の「真の起源」を見出した。これは折口の伝記の中でも、これまで言わば隠されてきた部分であり、ここまで踏み込んで折口の「起源」を読み解こうとする試みはかつてなかった。
 次の四章は「乞食」「天皇」「神」「宇宙」という主題を立て、折口古代学の思想的構造を描き出す試みになっている。そして論考は、「狂ったように彷徨しながら、狂ったように歌を詠む」という折口の「宇宙の核心」に説き及ぶ。
 実際、安藤氏が折口信夫という土台の上に繰り広げる壮大な曼荼羅のごとき模様はめくるめくものだ。仏教学者ケーラス、一元論哲学を唱えたマッハ、その流れを受容した鈴木大拙、さらに比較言語学者、金沢庄三郎と、絡み合う参照項目はどんどん広がっていき、最後にはさらには西脇順三郎、井筒俊彦、平田篤胤、エドガー・アラン・ポー、ステファヌ・マラルメ、レヴィ=ストロースといった名前が次々に呼び出され、折口を論じていたはずの書物は、古代語・外国語との自由な行き来を通じて繰り広げられる世界文学の場に変容する。模様の織りなし方には、いささか大胆すぎるのではないかと感じさせるものが時折混じってくるが、飛翔の陰にはつねに地に足のついた厳密な読みがあって、その両者があいまって安藤氏の信ずる批評の実践になっている。他者の残した言葉の織物を、解釈を通じて新たな言葉の織物に編み直すこと。それはまさに折口が行ったことだが、その折口に肉薄しながら、批評家としての安藤氏は同じことを、折口を素材として実践してみせてくれた。

沼野 充義(東京大学教授)評

 

大野 裕之(おおの ひろゆき)(日本チャップリン協会会長、脚本家)
『チャップリンとヒトラー ―― メディアとイメージの世界大戦』(岩波書店)

 綿密な資料をもとに、チャップリンとヒトラーを並列的に視野に収めた本書は、ある時代に特異な角度から光を当ててその実相を明るみに出し、それがメディア戦略として、現在とも深く関わっていることを痛感させる。
 チャップリンとヒトラーは1889年の4月に4日違いで生まれ、二人はともに芸術家を志望する。チャップリンは1914年に映画デビューしてたちまち人気者になるとともに、その出演映画は世界的な市場を得て、山高帽にドタ靴、チョビ髭という放浪紳士チャーリーのキャラクターは、世界中の人々がそのイメージを共有する。つまり、チャップリンは「キャラクター・イメージ」の発明という20世紀以降の文化・政治などにとって重要な概念を創出した開拓者の一人だった。やがてヒトラーは総統としてのキャラクター・イメージを重んじて映像を駆使するが、画家を目指して挫折した無名のこのころ、ヒトラーも鼻の下にチョビ髭を蓄えていた。メディアを通じて世界中にヒトラーの顔が知られるようになると、チャップリンとヒトラーがよく似ていると話題になる。『独裁者』はこのことを利用したメディアの闘いだった。
 再び戦雲が漂いはじめる中、チャップリンは『独裁者』のシナリオ作りに着手する。一方、ヒトラーはポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まり、その8日後にチャップリンは『独裁者』の撮影を開始した。この前後からヒトラーは映画への妨害工作に着手したが、その一つの理由はチャップリンがヒトラーをモデルにした独裁者に扮したことで、もう一つのそれはナチス・ドイツがチャップリンをユダヤ人と信じていたことだった。
 ヒンケル相似のユダヤ人の床屋が独裁者のヒンケルと入れ替わり、ラストシーンでデタラメの演説をするのがこの映画の破格の見せ場だが、著者によるこの解説が鋭い。
 チャップリンは映像は真実を偽装し得ること、記録映画にも「毒」があることを知悉していた。では「トメイニア国からのニュース映像」という設定のこのシーンに、なぜ通訳が付いているのか。
 実はここでのヒンケルの発言と、通訳が伝えていることには大きな懸隔がある。ヒトラーは映像の「毒」を目一杯利用し、映像でユダヤ人の恐怖を捏造し、かたわら自分の演説映像を繰り返し流して、その「毒」で国民を中毒させた。しかし、映像の「毒」の処方はチャップリンが一枚上手で、チャップリン演じるヒンケルがヒトラーのイメージを決め、世界中の人々がヒトラーを小男だと思いこんでいる。
 しかし、ここまで毒を以って毒を制すると、チャップリンという道化が新たな権威になりかねない。チャップリンの偉大さは、権力を笑うだけでなく、通訳の存在を見せることで映像には毒があることを暴露し、自ら拠って立つ場を笑いの対象にしたことにある。その上で演説のエスプリ、明晰な目で世界を見よと呼びかけている――というのが著者の説で、強い説得力がある。因に、チャップリンはヒトラーの映像を見て、希代の名優だと言ったという。意味深長だというべきだろう。

大笹 吉雄(演劇評論家)評

 

吉田 寛(よしだ ひろし)(立命館大学大学院先端総合学術研究科教授、ロンドン大学ゴールドスミス校客員研究員)
『絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉 ―― 十九世紀』(青弓社)を中心として

 受賞対象は『絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉』だが、これはシリーズ『〈音楽の国ドイツ〉の系譜学』の第三部として書かれている。第一部は『〈音楽の国ドイツ〉の神話とその起源』、第二部は『民謡の発見と〈ドイツ〉の変貌』。したがって、三部作の全体が評価されたと言っていい。
 シリーズの焦点は、「音楽と言えばドイツ、ドイツと言えば音楽」と広く言われてきたし、また現在も言われているが、そうなったのはせいぜいこの200年のことにすぎないということである。18世紀においてさえ、ドイツ人はむしろ非音楽的な国民だと思われていた。それがそうでなくなったのは、あたかもドイツ観念論の勃興と軌を一にしている。文化的後進国ドイツはその遅れを取り戻す過程で、遅れを利点に変える一種の詐術を行なったのである。話を早くするためにあえて乱暴に言えば、そういうことになる。むろん、この詐術によって、哲学にせよ音楽にせよ、大きな進展を見せたことは否定できないが、このからくりは熟考に値する。なぜならそこにはナショナリズムの魔術的な働きを解く鍵が、さらには特殊と普遍を相互に置き換えながら進む思想史、文化史という魔物の秘密を解く鍵が隠されているからである。たとえば「ドイツは特殊だ、だがその特殊性にこそ普遍性が潜んでいるのだ」などという論理は、ドイツにのみ限らない、古今東西いたるところに見出される論理であり、いまなお世界各地に跋扈している論理だからだ。
 第三部である本書においても、たとえば、ルソーが旋律優位(声)の思想だったのに対して、ヘルダーの影響を受けたフォルケルが和声優位(器楽)の思想を打ち出し、それがやがてホフマンによって絶対音楽の理念に結びつけられ、ベートーヴェン神話――西洋クラシック音楽の普遍性神話――が確立してゆく過程など、じつに興味深い。だが、にもかかわらずショーペンハウアーはロッシーニを絶対音楽のモデルとしていたというエピソードも面白ければ、ヘーゲルがかなりのロッシーニ・ファンであったという、その書簡から引かれるエピソードも微笑ましい。研究が緻密なだけにエピソードも豊富なのである。音楽史であると同時に思想史、政治史としても読める豊かさを持っている。
 本書はしかし、歴史の見直しとして興味深いだけではない。ジャズが往年の活気を失ったことは隠れもない事実だが、いまや同じことがいわゆる西洋クラシック音楽にも起こっているのではないかという不安がきざしている。ファンの老齢化は演奏会場に足を運ぶもの誰もが目にするところなのだ。この不安は、クラシック音楽の先端はいまや袋小路に入っているのではないかという危惧とともにいっそう増大する。それは、ほかならぬ和声の探究とその破壊から始まった現代クラシック音楽の全体に対する懐疑に結びつく。我々は原点に立ち戻って考え直さなければならないのではないか。
 本書はまさにその原点を熟考させる点において稀に見る好著であると言っていい。

三浦 雅士(文芸評論家)評

 

<社会・風俗部門>

滝澤 克彦(たきざわ かつひこ)(長崎大学多文化社会学部准教授)
『越境する宗教 モンゴルの福音派 ―― ポスト社会主義モンゴルにおける宗教復興と福音派キリスト教の台頭』(新泉社)

 日本の学問も捨てたものではない。「モンゴルの福音派」という一見誰の役にも立ちそうもない研究――学問や文化の本来の姿なのだが――に若い学者が何年も没頭し、日本学術振興会や諸財団も支援してきた。最近、目先の利害による大学改革の動きがあるだけに、この点は強調しておきたい。さて本書の内容だが、3つの側面が高く評価できる。
 1つは、社会主義と宗教の関係を、ロシア、東欧、中央アジアなども視野に、一般論として広く考察していることだ。一般に「社会主義体制崩壊後の精神的真空状態を宗教が埋めた」と言われるが、現実社会ではその状況は複雑で、それを具体的かつ論理的に考察している点を評価したい。
 第2は、社会主義から民主主義への転換期におけるモンゴルの宗教事情の考察である。モンゴルの宗教法は仏教に優先的地位を与え、伝統的宗教すなわち、仏教、イスラーム、シャマニズム以外の、特に外国からの、宗教の組織的な伝道活動を禁止している。これに関連して憲法や宗教法をめぐる論争が本書では紹介されている。また、宗教と国家や民族、伝統などの関係といった根本問題も、社会主義との関連で考察されている。この問題はロシアに関してはかなり研究されているが、モンゴルに関してはほとんど知られていないだけに、貴重であり高く評価したい。
 なお、本書ではもっぱら社会主義との関係で宗教が分析されているが、19世紀末すなわち社会主義以前のモンゴルにおける仏教(ラマ教)、キリスト教(ロシア正教)の状況について報告した著作としてはG・ラムステッドの『七回の東方旅行』がある。今後は、社会主義以前のモンゴル宗教の源流も視野に入れて比較分析すると面白いだろう。
 第3は、これが本論であり最も興味深い側面だが、近年モンゴルで急速に台頭した福音派キリスト教の考察だ。重要なポイントは、本書の題名にもなっている「越境」の意味である。越えられるのは単に国境だけではなく、民族、社会集団、言語、世界観などの境界である。特に強調されるのは、福音派が宗教という枠さえも越える点だ。「福音派キリスト教は宗教ではない」という主張に焦点が当てられて分析される。「宗教」ではなくより普遍的な「信仰」だとの主張は、外来宗教弾圧に対する避雷針でもある。この分析で興味深いのは、福音派と社会主義における「宗教」の意味が、共に否定的という意味において通底しているとの指摘だ。また、「神」の概念をどう翻訳するかという言葉の問題を、「仏」の概念との関連で分析している点や、現地調査を踏まえて、具体的な福音派の信者が直面する家族や伝統社会との葛藤を考察している点が、本書の最も重要な部分である。
 ただ、選者たちが一致して指摘した問題点は、文体の生硬さだ。「位相」という語がやたらに多用されるし、学界では一般化した「言説」などの用語も、一般向けとしては工夫すべきと思われる。これは単に言葉の問題ではなく、思考そのものの練度を深めることによって、よりこなれた文になると思われる。
 最初に述べたことと関係するが、このようなマイナーなテーマの優れた研究が評価されることは、後続の若い研究者たちを勇気づけるだろう。

袴田 茂樹(新潟県立大学教授)評

 

<思想・歴史部門>

奈良岡 聰智(ならおか そうち)(京都大学大学院法学研究科教授)
『対華二十一ヵ条要求とは何だったのか ―― 第一次世界大戦と日中対立の原点』(名古屋大学出版会)

 対華二十一ヵ条要求が戦前日本外交の失策だったことは、近代史に関心のある人であれば誰でも知っている。これまでにも数多くの先行研究が存在するが、政策決定、交渉過程、国内状況、そして国際環境のすべてを包括的に分析した業績は少なかった。「希望条項」とされたにせよ、なにゆえ、最終的には取り下げざるを得ないような、中国の主権をあからさまに無視するかのような条項まで要求にもりこんだのか。しかも、後に幣原喜重郎を自らの政権の外相に起用し国際協調路線をとった加藤高明が、なぜ日中関係をおかしくするような交渉を自らの外相時代に行ったのか。このような疑問は、これまでにも有力な仮説は存在していたものの、なかなか解消されなかった。本書は、膨大な史料渉猟を経て、対華二十一ヵ条要求について、現段階で達成しうる最も包括的な分析を行った業績であると高く評価できる。
 結論は穏当であり、そのようなことだったのだろうと思うが、日中関係とその後の日英関係などに与えた影響を考えると悔やまれる出来事であった。帝国主義時代の外交官としては比較的穏健な考え方の持ち主であった加藤高明であったが、彼は、自らの政治家としての野心から国内の対中強硬策にのってしまった。もともとこの問題については慎重だった山県有朋などの元老を、外交一元化の方針のもと政策決定から排除し、山県に陸軍を説得してもらうこともなかった。さらに日露戦争直後とは異なる中国情勢や欧米の国際政治観の変化をも見誤り、欧米諸国に対して、問題をはらむ「希望条項」について通報することを怠った。この点を袁世凱政権からリークされて、情報戦において劣勢にたたされてしまった。最終的に、外には英米からの批判、内からは元老からの批判を受けて、「希望条項」削除したうえで最後通牒を発することになった。結局、中国に要求事項を受け入れさせることには成功したが、日本が当時としても露骨な帝国主義政策をとる国であるという見方を国際社会に与えてしまった。これが、評者の理解したところの本書の分析である。
 おそらく対華二十一ヵ条要求それ自体の研究として、本書を超える包括的分析を行うことは困難であろう。そう評価したうえで、なお残る疑問は、対華二十一ヵ条要求がどの程度決定的な失策であったか、ということである。著者は、加藤自身「内心では忸怩たるもの」があり、その反省から自ら政権をとったときは国際協調路線をとったと語り、1920年代には、「まだ友好を取り戻そうとする復元力が働いていた」という。しかし、そうだとすると、対華二十一ヵ条要求というのは、一つの政権の戦術的失策であって、かえって後の教訓になって良かったという程度のものになってしまうのだろうか。1930年代の日本の侵略につながるプロセスへの決定的事態は、もっと後の時代に起こったのだということになるのだろうか。もちろん、そうかもしれない。著者も「二十一ヵ条が原因となって、取り得る選択の幅は相当狭められた」という。いったい「選択の幅」は、いかなる構造のなかでどの程度狭められたのであろうか。このあたりについての著者の考えを聞きたいものである。

田中 明彦(東京大学教授)評

 

以上

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