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(2015.8.26)
2015年度
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生まれてくる子どもたちにその地域で作られた椅子をプレゼントする「文化の地産地消」を行っている点が高く評価された。 |
◎活動概要
北海道の中央部に位置する旭川市は道内の物流の中心地であり、家具のまちとしても知られている。ここには全国各地から家具職人が集まり、技術習得のために旭川市を中心とした上川地域で暮らしている。そんな中、旭川大学特任教授(当時)の磯田憲一氏が大学院の学生と一緒に、「誕生する子どもを迎える喜びを地域で分かち合いたい」との想いから、地元の旭川家具を活用したプロジェクトを考案。「生まれてくれてありがとう。君の居場所はここにあるからね」というメッセージを込め、名前、生年月日、一連番号が刻まれた椅子を贈る「『君の椅子』プロジェクト」を2006年にスタートさせた。北海道上川地域内の5町(東川・剣淵・愛別・東神楽・中川)のほか現在は長野県売木(うるぎ)村を加え、6町村で生まれたすべての子どもたちに椅子をプレゼントしている。自治体の枠を越えて個人で参加できる「君の椅子倶楽部」も2009年に誕生した。 椅子のデザインは毎年変わる。デザインは家具の専門家だけでなく建築家や美術家も担当しており、デザイナーと職人がお互いの意見を交わしながら制作を行う。また、北海道の無垢材を素材とすることにこだわり、2014年より中川町及び北海道大学と「木材安定供給協定」を結び、木材の生産地を地区名まで特定。生育地を地図で示し、製材から制作に至る全工程を「木のプロフィール」として情報提供する業界初の仕組みを確立し、地元の材と技術を用い、地元の子ども達に提供する「文化の地産地消」を実現した。 「『君の椅子』プロジェクト」に参加している自治体は広域連携実行委員会を作り、植樹会や交流会などを共同で実施している。この一環として、2011年の東日本大震災の際には、被災3県で3月11日に生まれた子どもに「おめでとう」の思いを伝えるため、「希望の君の椅子」と名づけた椅子をプレゼントした。被災3県合わせて128の市町村に手紙を出して問い合わせ、104人が誕生していたことを把握。名前の判明した98人の家族のもとに、東川・剣淵・愛別3町の町民の募金によって作られた椅子を贈呈したのである。 上川地域では以前から子どもの誕生を祝う文化がある。愛別町には花火を上げて祝う「ハッピーボーン」という活動があり、「絵本の里」剣淵町では新生児に絵本を贈呈するなど、子どもの誕生を地域全体でお祝いしている。上川地域では、生まれてくる子どもにどんなデザインの椅子がもらえるのか楽しみに待つ妊婦同士の会話が聞こえてくるという。「『君の椅子』プロジェクト」は子どもの誕生を祝う上川地域の文化の一つとして道外からも注目されはじめており、今後全国に広がっていく兆しもある。 |
◎これまでの受賞・表彰歴
2014年 第6回マーケティング大賞 地域賞 |
◎代表者および連絡先
![]() 代表:磯田憲一氏 |
<代表> 磯田憲一氏(公益財団法人北海道文化財団理事長、70歳) 公益財団法人北海道文化財団 〒060−0042 札幌市中央区大通西5−11 大五ビル3階 Tel:011−272−0501 Fax:011−272−0400 |
◎北海道内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
釧路市 | 北海道くしろ蝦夷太鼓(2010年) | |
壮瞥町 | 昭和新山国際雪合戦(2007年) | |
札幌市 | 加藤 博氏(1999年、個人) | |
札幌市 | YOSAKOIソーラン祭り(1998年) | |
函館市 | 市民創作「函館野外劇」の会(1993年) | |
士別市 | 士別サフォーク研究会(1991年) | |
札幌市 | 札幌こどもミュージカル(1990年) | |
東川町 | 東川氷土会(1989年) | |
置戸町 | おけと人間ばん馬(1987年) | |
函館市 | 南茅部沿岸漁業大学(1985年) | |
旭川市 | 木内 綾氏(1983年、個人) | |
江差町 | 江差追分会(1982年) | |
函館市 | カール・ワイデレ・レイモン氏(1979年、個人) |
◎受賞理由
田んぼをキャンバスとする新たな文化を生み出し、地域住民の力を結集することでレベルアップを図り、全国・世界へと広げていった点が高く評価された。 |
◎活動概要
青森県で最も面積の小さな自治体、田舎館村。人口わずか8,000人のこの村に、毎年夏になると29万もの人が訪れる。彼らのお目当ては田んぼをキャンバスに見立てた「田んぼアート」だ。22年前にこの地で誕生し、そのスケールの大きさと緻密さが人々を魅了する「田んぼアート」は、いまや青森を代表する夏の風物詩となっている。 田舎館村は青森県中央部、平川と浅瀬石川(あせいしかわ)の合流地点に位置し、古くは弥生時代から稲作が行われてきた。豊富なミネラルを含んだ土壌に恵まれ、一反あたり米収穫量日本一に何度も輝いてきた村にとって米は宝。この大切な米をアピールしようと1993年ひとりの村役場職員が発案し、古代米の稲で「稲文化のむら いなかだて」という文字と地元津軽の象徴、岩木山を描いたのがはじまりである。10年目を迎えた2002年、NHK BSプレミアム「千人の力」の依頼を受け、地域住民1,000人で田植えを実施。これを機に田植えが住民参加型の恒例イベントとなり、毎年田舎館の人たちの力を結集し作品がつくられるようになった。 「田んぼアート」の一年は稲刈り後の10月から始まる。役場・農協・商工会メンバーからなる「田舎館村むらおこし推進協議会」のメンバーがその年の絵柄を決定すると、育苗農家の佐々木光治氏が7色11種の苗を育て、特別支援学校美術教師の山本篤氏が黄・紫・緑・赤・白・橙・濃い緑の7色で絵おこしを行う。トマト農家の工藤浩司氏が設計図を作成し、それをもとに村役場職員が総出で測量作業を行い、絵の輪郭を縁取る。こうしてぬり絵状態となった田んぼに彩りを加えるべく、肥後ゑ子氏を中心とした20人の米農家指導のもと、7色11種の稲を絵の具代わりに老若男女1,800人が田植えを行う。 完成した「田んぼアート」を目の前にした人々は、見た者にしか味わえないその迫力とクオリティの高さに驚き、感動を覚える。波打つ稲が何かを語りかけてくるような感覚を受け、涙を流す者も多い。田んぼなのにアート、この不思議な光景は口コミやインターネットでも評判を呼び、来場者数は右肩上がり。「田んぼアート」を行う自治体、団体も日本全国および韓国・台湾など100ヶ所以上となった。 発祥の地としてのプライドを胸に、外部のプロの手は一切借りず遠近法や測量技術を取り入れ、進化をつづけてきた22年間。しかし彼らはその完成度に満足したことはない。地域住民たちの積極的な姿勢と飽くなき向上心で、これからも田舎館村は田んぼアート界のトップランナーとして走り続けるだろう。 |
◎これまでの受賞・表彰歴
2015年 | 「第1回JACEイベントアワード」 日本イベント大賞、イベントプロフェッショナル賞、地域クリエイティブ賞 |
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2014年 | 「第6回日本マーケティング大賞」奨励賞 | |
2013年 | 「第62回河北文化賞」 | |
2012年 | 「ユニークアートアワーズ2012」植物部門最高賞 | |
2011年 | 「第15回ふるさとイベント大賞」大賞(総務大臣表彰) |
◎代表者および連絡先
![]() 代表:鈴木孝雄氏 |
<代表> 鈴木孝雄(こうゆう)氏(田舎館村むらおこし推進協議会会長、田舎館村長、78歳) <連絡責任者> 浅利高年氏(田舎館村企画観光課商工観光係長) 〒038−1113 青森県南津軽郡田舎館村大字田舎舘字中辻123−1 Tel:0172−58−2111 Fax:0172−58−4751 |
◎青森県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
大鰐町 | ひばのくに 雪の大食卓会(2009年) | |
八戸市 | 八戸市民創作オペラ協会(1990年) | |
弘前市 | 高橋彰一氏(1983年、個人) |
◎受賞理由
富岡製糸場と絹産業遺産群の文化的価値を伝える活動が世界遺産登録として結実し、地域の活性化にも繋がっている点が高く評価された。 |
◎プロフィール
「富岡製糸場世界遺産伝道師協会」は、地元の人々からさえも忘れられかけていた近代絹産業の足跡を次代に伝えることを目的に、2004年に設立された。世界遺産登録を推進する群馬県が同年から開催している「富岡製糸場世界遺産伝道師養成講座」の初回受講者たちが、自発的に活動を始めたことが誕生の契機である。 当初は富岡製糸場の世界遺産登録に対する人々の関心は薄く、県外のみならず、県内でチラシを配っても受け取ってもらえないほどだったという。しかし伝道師たちの地道な活動によって、2007年に世界遺産の暫定リスト入りするころには、地域が誇るべき文化財として多くの県民が認める存在となっていた。 群馬県では江戸時代から養蚕、製糸の品質向上のために様々な取り組みがなされてきた。さらに明治に入ると、我が国の近代化策の一つとして、海外の技術を導入して富岡製糸場が建設され、当時の主要な輸出品であった生糸の大量生産が可能になった。それに対応して繭の増産も急ピッチで進められ、群馬産の繭や生糸は海外で高い品質を誇るブランドとなり、一時は模造品も出るほどであった。 絹の生産に取り組んできた産業遺産は県内のいたるところに残されている。しかし産業構造の変化とともに、富岡製糸場をはじめとするこれらの絹産業遺産群とその役割は忘れられようとしていた。そんな中で、伝道師協会の活動に触発されるように、絹産業の保護と継承、啓発を行う活動が県内各地で立ち上がり、7団体が参加して「シルクカントリーぐんま連絡協議会」が設立された。また、県も県内各地の絹産業遺産を「ぐんま絹遺産」として登録するなど、産業や観光の振興に活かす試みが次々に始まった。 約250名の伝道師たちは、県や市町村、地元企業と連携してのイベントや学校での解説、蚕の繭から生糸を作る体験学習などを年間300回あまり手弁当で行っている。また製糸場をはじめとする絹産業関連の歴史や文化の調査研究と資料収集を行い、その成果を出版している。 2014年「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に登録されるにあたって、ユネスコへの推薦書に伝道師協会の活動が市民活動の代表例として記載された。絹産業は日本の近代化の礎であり、世界の絹産業にも影響を与えた日本の財産であると訴え続けてきた、10年に及ぶ伝道師協会の普及啓発活動が登録推進の大きな力となった。 しかし、世界遺産登録は彼らにとってゴールではない。登録後も、協会では県内絹産業遺産群の調査と評価、次世代の伝道師の育成、自立した組織づくりに取り組んでいる。伝道師の一人は「聞いてくださる方の関心に合わせてお蚕さんや生糸の話をするのは楽しいんです」と話す。それぞれの土地の絹にまつわる文化、歴史を丹念に見直し、市民一人一人に魅力的に語りかけていく伝道師たちの地道な活動はこれからも続き、地域の活性化にも繋がっていくことが期待される。 |
◎これまでの受賞・表彰歴
2015年 群馬県総合表彰(地域づくり分野) |
◎代表者および連絡先
![]() 代表:近藤 功氏 |
<代表> 近藤 功氏(富岡製糸場世界遺産伝道師協会会長、74歳) <連絡責任者> 栗原秀和氏(群馬県企画部世界遺産課活用推進係) 〒371−8570 群馬県前橋市大手町1−1−1 TEL:027−226−2326 FAX:027−224−2812 |
◎群馬県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
大泉町 | 細谷清吉氏(1986年、個人) |
◎受賞理由
熟練が必要な大しめ縄作りの技を長年にわたり伝承しつつ、しめ縄文化の新たな魅力を発信し、地域活性に繋げている点が高く評価された。 |
◎プロフィール
出雲大社神楽殿で多くの参拝者を迎える、長さ13.5メートル、重さ4.5トンの巨大なしめ縄。この大しめ縄を作っているのが、出雲市から約50キロ、広島との県境に近い飯南町頓原(とんばら)地区の人々だ。かつてこの地に出雲大社分院があった縁で1980年代からおよそ6年ごとに大しめ縄の制作・奉納が行われ、その技は信者の集まりである勧農講社から、頓原老人クラブ、飯南町しめ縄クラブ、そして現在の飯南町注連縄企業組合へと組織を発展させながら受け継がれてきた。組合員数は23名だが、水田1.5ヘクタール分の稲の栽培から刈り入れ、ワラの保管、コツコツと地道に行う大量のコモ作り、2台のクレーンで持ち上げ50人がかりで行うクライマックスの「大撚りあわせ」など、奉納までの1年半にのべ800人の町民が関わる。 しめ縄作りにマニュアルはなく、仕上げの「撚り」は、やり直しがきかない一発スピード勝負。材料のワラの質や力の入れ具合などにより毎回塩梅が異なり、イメージ通りに仕上げるには、何年も経験して初めて身に付くカンと熟練が必要となる。このため、しめ縄作りの担い手が全国的に少なくなっており、困った各地の神社から制作や指導の依頼が年々増えている。年間に制作を引き受けるしめ縄の数はおよそ20、地域は東北やハワイにも及び、また請われれば惜しみなく丁寧にノウハウを伝授して各地のしめ縄文化を支えている。 古くから稲作が行われた飯南町住民の多くは米作兼業農家で、また中国地方有数の豪雪地帯であるため雪ぐつや簑などワラで作る冬の民具は生活必需品だった。組合では地域の次代を担う子ども達に、しめ縄作りの技だけでなく衣食住に深く関わる地元産の稲ワラへの想いも引き継いでもらいたいと、学校での訪問授業や公民館でのしめ縄教室を積極的に行ってきた。行政の協力も得て、町内の小中学生は2015年より卒業までに全員しめ縄作りを体験することとなった。 伝統の技を継承しつつ地域活性の資源としてしめ縄作りをいかそうと、2014年に企業組合を結成し、町立の「飯南町大しめ縄創作館」もオープン。神社向けしめ縄の需要は収入基盤の安定だけでなく、農家の作付面積増にもつながっている。またしめ縄作りに加わる住民に賃金を支払うことで、高齢者に働く場と収入に加え、楽しみや生きがいも提供している。創作館という拠点ができたことで県外や海外からの訪問者が増え、コサージュ風の創作しめ縄や季節のしめ縄ギフト、地元のパン屋が開発した「しめ縄パン」も販売好調だ。飯南町の手作りしめ縄が、神社だけでなく日常的な生活空間で用いられ、町を飾ることを夢みて、新しいアイデアが次々と生まれている。 |
◎これまでの受賞・表彰歴
なし |
◎代表者および連絡先
![]() 代表:星野敏幸氏 |
<代表> 星野敏幸氏(飯南町注連縄企業組合代表理事、67歳) <連絡責任者> 那須久司氏(飯南町注連縄企業組合理事・事務局長) 〒690−3513 島根県飯石郡飯南町下赤名890 Tel:0854−76−2211 |
◎島根県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
松江市 | 美保神社大祭奉賛会(2014年) | |
隠岐の島町 | 隠岐国分寺蓮華会舞保存会(2008年) | |
浜田市 | 波佐文化協会(2000年) | |
出雲市 | 出雲歌舞伎「むらくも座」(1999年) | |
松江市 | 劇団「あしぶえ」(1997年) | |
雲南市 | 鉄の歴史村づくり(1991年) | |
隠岐の島町 | 隠岐古典相撲大巾会(1988年) |
◎受賞理由
歴史と文化の香り豊かな多彩な文化活動と、郷土愛を醸成する美しい景観づくりに多くの島民が参画している点が高く評価された。 |
◎活動概要
瀬戸内海に浮かぶ下蒲刈島では、月に一度、島内の美術館でギャラリー・コンサートが開かれている。毎回、150人から300人近い観客が詰めかけ、小さな美術館のギャラリーがいっぱいになる。高校生以下は無料、大人でも1,500円という破格の料金にも因るが、世界的なレベルのクラシックの音楽家が出演することも大きな魅力になっている。 コンサートを影で支えているのが島の住民たちである。会場の設営から始まり、開演前に長蛇の列をなして待つ観客に飲み物を配ったり、音楽家たちには島で採れた果物の差し入れをしたり、手料理でもてなしたり、みかん狩りや魚釣りに誘う。そうした温かいもてなしに感激して何度も島を訪れる音楽家もいる。 この島は古くから潮待ち風待ちの船が寄航する海上交通の要衝であった。江戸時代には朝鮮通信使が11回も訪れ、「安芸蒲刈御馳走一番」と讃えるほどの歓待ぶりが伝えられている。通信使を迎える際の注意を伝えるお触れからは禁止事項ばかりでなく、島民挙げてもてなそうとしていた当時の様子が伺われる。しかし明治以降、鉄道の発達に伴い海上交通が衰え、島は静かな時を刻んでいた。この島に転機が訪れたのは1976年から7期27年、竹内弘之氏が下蒲刈町(現・呉市)の町長を務めた時代のことである。 竹内氏は地域の歴史と文化を掘り起こすことで島に人が集まり、活気づくと考えた。島に居ながらにして本物の文化・芸術に触れられるようにと、現在コンサートが開催されている蘭島閣美術館や朝鮮通信使資料館などの文化施設を次々に建設。さらにふるさとの美しい景観は郷土愛を育む土壌になると考え、「全島庭園化構想」を打ち上げた。そして島全体を美しい庭園にする「ガーデンアイランド」づくりに大勢の島民が参画した。 1982年から現在まで続けられている「町内クリーン作業」では、年に1度、全住民が島中を清掃する。通信使の来島時に詠まれた「蒲刈八景」に習い、新たな名所づくりを目指した「新蒲刈八景八境」の整備には、2,000本以上の松の移植、庭石の運搬に多くの島民が汗を流した。松に水遣りをする人、各施設のボランティアガイドとして活躍する人、2001年に始まったギャラリー・コンサートを支える人たちは皆、この時に芽生えた「我が島は我が守る」という意識を共有している。 2003年には「朝鮮通信使再現行列」がスタートする。宮廷音楽を演奏する韓国の高校生、民俗芸能を演じる在日本大韓民国民団広島県地方本部の人たち、一般公募による参加者などを加え250人近い行列が島内を華やかに練り歩く。そして、彼らを迎える裏方として200人余りの島民が働いている。 もてなしの伝統が息づき、歴史と文化の香り豊かな景観が広がるガーデンアイランド下蒲刈島。きらりと光るその個性は、島の人たちの努力によって磨き上げられてきたものなのだ。 |
◎これまでの受賞・表彰歴
なし |
◎代表者および連絡先
![]() 代表:渡辺理一郎氏 |
<代表> 渡辺理一郎氏(公益財団法人蘭島文化振興財団理事長、68歳) <連絡責任者> 柴村 隆博氏(公益財団法人蘭島文化振興財団事務局長) 〒737−0301 広島県呉市下蒲刈町下島2361−7 Tel:0823−65−2029 Fax:0823−70−8079 |
◎広島県内のこれまでのサントリー地域文化賞受賞者
廿日市市 | 説教源氏節人形芝居「眺楽座」(2004年) | |
広島市 | トワ・エ・モア(1989年) | |
福山市 | 日本はきもの博物館(1982年) |
以上
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