2014年11月12日
第36回 サントリー学芸賞 選評
<政治・経済部門>
大西 裕(おおにし ゆたか)(神戸大学大学院法学研究科教授)
『先進国・韓国の憂鬱 ―― 少子高齢化、経済格差、グローバル化』(中央公論新社)
普通の、過不足のないおつき合い、それが意外に難しい。とりわけ日本にとって、米国、中国、韓国のような近所で最重要の国々との間がこじれやすい。日米は20世紀の前半に激突し、太平洋で死闘を繰り拡げた。その悲劇をかみしめた戦後は、互いに気配りをもって大事にする関係を再構築し、驚くべきことに70年にわたり友好と同盟を切らさずにいる。
日米とは逆に、普通のやわらかな関係を安定させ得ないのが日韓である。無理もない、と言うべきかもしれない。日米がそれまでの認識不足と偏見に満ちた自己主張を、太平洋戦争でぶつけ合い、飛び散らせたのに対し、韓国はその瞬間まで日本帝国の支配下にあった。民族のあらゆる不幸の起源を外国支配に帰する想いは、戦後の時代に容易に薄らぐものではない。韓国社会は、日本人の振る舞いが無神経だと憤り、日本人の好意と善意をそれとして受けとめることができない。そのことに、戦後世代の日本人は「いいかげんにしろ」と嫌韓に傾く。
このような状況にあってもっとも難しいのは、相手を自己との関係においてでなく、相手を相手として内在的に理解する知的営みである。本書の意義は、まさにそれを行ったことにある。
日本におけるあらゆる世論調査が、国民の主要な関心は暮らし向き=経済にあると告げるが、韓国も同様である。韓国の場合、1997年の東アジア経済危機の津波をかぶり、IMFの融資を新自由主義的改革を条件に受けいれた。保護主義を脱し規制緩和を行って、グローバル化した経済と金融に自国社会をさらす。その痛みに耐える中で、韓国には国際経済の海面に浮び上った競争力ある財閥系企業が世界に雄飛する一方、国内における格差の増大が政治社会問題化した。新自由主義的な通商政策と、国内の社会福祉政策をどう組み合わせ、切り分けるか。
それをめぐる政策パッケージのあり方こそが、21世紀を迎える韓国社会の中心テーマであり、本書は、金大中、盧武鉉、李明博の3つの政権が、このテーマにどう取り組み、どんな帰結 ―― それはしばしば意図せざる逆説的結果であった ―― をもたらしたかを精緻に解き明かす。そして次に登場した朴槿惠政権が直面することになる問題状況までを語る。
経済政策をめぐる政治は、通常、政治学者にも経済学者にも扱いにくい問題である。政治学者は経済のメカニズムをこなし難いし、経済学者は経済政策の政治的帰結に関知しない。本書を読んで感銘を覚えるのは、日本の比較政治学者が、韓国の政治社会と経済を何のりきみもなく切り捌いていることである。
韓国政治といえば、長く地域主義が根強かったが、本書が対象とする時期にそれは相対化され、代って保守派対進歩派のイデオロギー対抗軸が猛威を振うに至ったとする。それは、金、盧の進歩派政権が新自由主義的な通商政策と社会民主主義的な福祉政策との同時進行を追求しながら、福祉の量的充実に失敗する要因となり、かつ李、朴の保守政権を行き詰まらせる壁ともなったという。いつの日か、この対抗軸も相対化される時が来るに違いないが、その時の韓国社会に、植民地支配の過去ゆえの日本の悪いイメージが、過去のものとなっているか否か、気になるところである。
五百旗頭 真(熊本県立大学理事長)評
中澤 渉(なかざわ わたる)(大阪大学大学院人間科学研究科准教授)
『なぜ日本の公教育費は少ないのか ―― 教育の公的役割を問いなおす』(勁草書房)
日本の少子化が止まらない一つの原因は、教育に多額の費用がかかるということだろう。少子化の進行に加えて、所得格差の拡大が日本社会で懸念されている。所得格差拡大の弊害は、格差が世代を超えて継承されてしまうことだ。所得格差の世代を超えた継承を防ぐには、教育機会を均等にするべきだろう。しかし、日本の教育費の公的負担は国際的にみて低い方である。公的支出の中に占める公的教育費の割合も、GDPに占める公的教育費の割合もOECD諸国の中で最低のグループに入っている。最近の大学改革の議論では、国立大学の文科系の学部の縮小も求められている。人口減少のもとで生活水準を維持していくためには、一人当たり生産性をより高くしていく必要があるにも関わらず、次世代の生産性を高めるための教育投資を公的にはあまりしていないのが日本の現状だ。少子化を防ぐにも、格差の継承を防ぐにも、次世代の生産性を高めるためにも有効な教育に対し、私たちが公的なお金を使わないのはどうしてだろう。
本書は、日本の公教育費が少ない理由について、歴史的な推移、国際比較などを通じて現状把握をした上で、教育の公的負担が増えなかった理由を実証的に明らかにしたものである。著者の専門は教育社会学であるが、本書では社会学、政治学、経済学など幅広い分野にわたる研究が紹介されている。
過去の研究の見通しのよい展望の上でなされた著者自身による実証研究によって得られた結論は、つぎのとおりである。
「本書の分析から言えるのは、日本人の間で、教育があまり公的な意味をもつものと認識されていない、ということである。だから、親が子に対してできる限り支払ってやるのが親心として当然になり、また教育達成は個人の努力によって獲得された私的利益と見なされる。高価な高等教育ほど、私的負担が重いということは、そこで得た結果や利益も私的なものと見なしやすい。日本の教育費負担に関する問題の一つは、ここにあると思われる。
また、日本社会において、教育の公的なベネフィットを感じる場面が少ないことも、おそらく問題の一つと考えられる。(中略)学校教育が一体何の役に立ったのかわからない、という多くの人が共有する見方が、公費をつぎ込んでまでして維持しなければならないという意識を弱めているのだろう。そうなると、結果的には凡庸な結論になるが、社会的には教育の公共的意義を説得すること、それにより世間の納得を得るように努力するしかない。」
日本が抱える大問題である少子化、格差の継承、低成長率を解消するためには、教育の充実が必要なのにも関わらず、教育への公的支出が増えないというジレンマを解決することは容易ではない。教育負担は私的なものであるという価値観を 変える必要があるからだ。価値観を変えるためには、中澤氏が指摘するように、教育の公共的意義を国民に説得すること、卒業生が世の中で教育が役に立ったと実感できるサービスを教育機関が提供するという、地道な努力を続けるしかない。本書は、教育負担に関する日本人の価値観を変えるための第一歩であり、その意味で本書の貢献は非常に大きい。「教育の公共的意義を説得する」ためにも、これからの著者の研究活動および啓蒙活動に期待する。
大竹 文雄(大阪大学理事・副学長)評
<芸術・文学部門>
互 盛央(たがい もりお)(出版社勤務)
『言語起源論の系譜』(講談社)
互盛央氏の『言語起源論の系譜』が提起する最大の問題は、本書が結果的に『言語起源論の歴史』になっているのではないかということである。ミシェル・フーコーの「系譜学は『起源』の探求に対立する」という言葉を引きながら、本書は系譜を扱っているのであって、歴史を扱っているのではないと、互氏は冒頭に断っている。そこには「言語の起源という問題は、現に与えられている重要性をもたない。この問題は存在すらしない」と言うソシュール自身の言葉も添えられている。だが、本書は、「ギリシアから近現代にいたる『言語起源論』の流れを追えば、それはそのままヨーロッパの思想展開史に重なる」という本書帯に記された宣伝文が端的に語るように、実質的に「思想展開史」「西洋思想史」になっているのではないか、そしてむしろそこにこそ本書の魅力があるのではないか。
言語はどのように発生したのかという問い、始原の言語への問いは、結果的につねにイデオロギーとして機能してきた。ヘロドトスはその『歴史』に、エジプト第二十六王朝の王プサンメティコスが最初の言語を調べるために赤子を用いて実験した話を書き記している。最初の言語はエジプト語ではなくプリュギア語だったというのだ。そこには、「現にエジプトを脅かしているアッシリアもペルシアも、正統な民族ではないという点でエジプトと大差ない」と思いたかった当時のエジプト人の欲望が反映していたのみならず「若かりし日に生地ハリカルナッソスの親ペルシア政権の打倒を企てたこともあるギリシアの歴史家ヘロドトスの欲望も反映されていたはずだ」と互氏は述べている。じつに興味深い指摘だが、以後、歴史上に登場したさまざまな言語起源論は、あるときにはヘブライ語の優位を語り、あるときはラテン語の、あるときはゲルマン語の優位を語ってきた。こうして、イデオロギーとして機能してきた言語起源論の流れをたどれば、立体的な西洋思想史ができあがるわけであり、互氏の『言語起源論の系譜』は見事にそれを実現しているわけだが、それではその『言語起源論の系譜』はいったい互氏のどのような欲望を反映しているのだろうか。互氏が結果的に体現しているのはこのような根源的な問題である。
歴史学は過去を問い、系譜学は現在を問う。現在においてイデオロギーとして機能しない歴史はない。現在を問う系譜学がイデオロギー批判として登場した理由だが、互氏はこの現在への問いを詩人たちの発語のなかに見出そうとする。その象徴が、歴史から食み出した存在であるカスパー・ハウザーであり、詩人たちは多かれ少なかれこのカスパー・ハウザーに自身を投影してきた。ヴェルレーヌやリルケやトラークルなど、互氏の引用する詩はきわめて示唆に富むが、それは同時に、詩とは対照的に、散文がつねに物語を、歴史を、イデオロギーを担わざるを得ないという事実をも示唆している。互氏はすぐれたストーリー・テラーだが、それこそ言語そのものの欲望というべきだろう。博覧強記の互氏の著作の芯に潜むのはこの欲望、ほとんど小説家的なこの欲望であり、まさにその欲望においてこそ今後の活躍が期待される。
三浦 雅士(文芸評論家)評
長門 洋平(ながと ようへい)(国際日本文化研究センター機関研究員)
『映画音響論 ―― 溝口健二映画を聴く』(みすず書房)
映画と音というテーマには誰しも興味をもつが、これまでめぼしい成果は少なかった。「映画音楽」論はそれなりに数はあっても、特徴的な場面を取り上げた場当たり的な話に終わりがちだった。狭義の「音楽」という枠を取り去った、音響効果全般という切り口もあるが、これまた、現場の音響マンの芸談風苦労話以上のものはなかなか出てこなかった。
この分野の研究も近年ようやく活況を呈しはじめてきたと思っていたら、いきなりとてつもない大作が出現した。本書のタイトルが「映画音響論」であり、「映画音楽論」ではないことが、これまでの論の問題点と本書の斬新さのありかを端的に示している。著者が再三書いているように、これまでの「映画音楽論」は、どうしても「音楽」の枠組みに引っ張られすぎて、「伊福部昭研究」、「武満徹研究」式の作曲家研究になってしまい、その結果、映画表現の側をきちんと分析して問い直すことがおろそかになりがちだった。従来の映画音楽論が、なかなか場当たり的な論以上にならなかったのは、まさにそのためであり、その分だけ、「溝口健二映画を聴く」という形で監督の表現世界の側から映画の内実に肉薄する議論に成功した本書の斬新さが際立つのである。
その一方で、「音楽」という概念を消去して「音響」に解消しきってしまわなかったところに本書のもう一つの強みがある。本書に登場するのは深井史郎、早坂文雄、黛敏郎などの音楽だが、『赤線地帯』での黛の音楽などは、日本近代音楽館に所蔵されている黛の自筆譜を参照した上で、音楽的な内容にも立ち入った丁寧な議論が展開されており、それを通して、作曲者たる黛の意図やその結果生み出された音楽表現が、溝口の映像表現と取り結ぶ関係が見事に浮き彫りにされる。よくありがちな、現代音楽の響きが映画のサスペンス的表現を効果的に盛り上げるといった次元の話をはるかにこえて、黛の意図的な表現が溝口の映画世界を豊かにするのみならず、映像そのものにはない表現の可能性を切り開く役割を果たしたことの内実が見事に示されるのである。
映画の音についてのこうしたアプローチは、実は欧米ではかなり進んでいる。本書もそのような成果をふまえたもので、ある意味ではその「日本版応用編」と言えなくもないが、文化的コンテクストの全く違う日本映画に「応用」するのは並大抵のことではないし、何よりも、サイレント期の作品である『東京行進曲』から最後の作品『赤線地帯』まで(もちろん全作品を取り上げたわけではないとはいえ)、一人の作家の表現世界全体を「音」という切り口で統一的に捉えた本作のような著作は欧米にも稀有なものと言って良いだろう。『残菊物語』クライマックスの、お徳の死の場面に関して、著者が新たな解釈を引き出してくるプロセスは、身の毛がよだつほどスリリングであるとともに、溝口のこの作品の評価を左右するほどに映画表現の深奥部に食い入るものになっている。この解釈の当否自体には議論の余地もあろうかとは思うが、音に着目することで溝口研究に新たな次元を切り開いたことは間違いないし、音や音楽の研究が映画研究にとって決して副次的ではなく、時に死命を制するほどに中核的な役割を担いうることを、説得力豊かに示しえたということだけでも、十分に受賞に値すると言わねばならない。
渡辺 裕(東京大学教授)評
<社会・風俗部門>
小川 和也(おがわ かずなり)(中京大学文学部歴史文化学科教授)
『儒学殺人事件 ―― 堀田正俊と徳川綱吉』(講談社)
江戸時代を通じて殿中、つまり江戸城内での刃傷沙汰は7件あったという。犯人も被害者も身分の高い人物ばかりである。それがなぜこんなことを、とも思うが、厳しくしつけられていたとはいうものの、もともとお坊ちゃん育ちの集団で、それが刀を所持しており、剣術の心得もある。息がつまりそうな身分制の狭っ苦しい世界で、かーっと頭に血がのぼったら自分を制することが出来ないという人もいたのではないかと想像すると、7件はむしろ少ないのかもしれない。
ところが、その中の一件、貞享元年(1684)に、若年寄・稲葉正休(まさやす)が大老・堀田筑前守正俊(まさとし)を暗殺した事件は、とてもそんな、癇癪を起した坊ちゃんの刃傷沙汰ではない。当の二人が事件の前夜に長時間にわたって酒を酌み交わしており、しかも被害者の堀田筑前守は、逃げようともせず、全くの無抵抗であったというのである。
著者・小川和也は、この事件について、文献、史料を精読し、時代背景について考察して、思いもかけぬ結論を導き出す。本書の題名は「殺人事件」と、それこそドラマティックであるが、「綱吉とその時代」とでもいうべき内容で、その論述は極めて説得的である。
話は将軍、徳川綱吉の儒学好きというところから始まる。元禄3年、綱吉は幕府の儒官・林鳳岡(ほうこう)に命じて、林家邸内にあった孔子廟を、湯島に移させた。孔子廟が、仏教寺院である寛永寺に近かったのが気に入らなかったのだそうである。儒学による国家統治が、この瞬間から始まった。
綱吉は経書、すなわち儒学書の講義を大変に好んだそうで、江戸城での講釈は240回にも及ぶと言う。その間誰も皆かしこまって素人講義を聞いていなければならないわけであるから、まあ、落語の「寝床」の高等版みたいな状況があったに違いない。
綱吉の名は、例の悪法「生類憐みの令」で知られている。それがどんなに細かく、官僚的で神経質、そして病的なものであったかと言うことも、本書に詳しい。
将軍様が病的であれば、役人らは迎合し、それに輪をかけて細かく気を配るようになる。どこの村の誰がどんな犬、猫、牛馬を飼っているかまで詳細に記録し、もしそこに違反があれば厳しく、しばしば厳罰というか極刑に処す、という状況である。
諸人仁愛の心これある様にと常々思し召され候ゆえ、生類あわれみの儀、度々仰せ出られ候処、この度、橋本権之助、犬を損わさし、不届きに思し召され候、これにより死罪仰せ付けられ候・・・
この橋本権之助なる者は幕臣である。それが犬を傷つけたので、死罪に処す、と言う触れ書である。世界に類の無い動物愛護の法律ではあるが、人間愛護を忘れている。
今と比べて、自由に物の言いにくい時代であるから、ここに引用されている史料の類にしても、表面は何食わぬ顔で取り繕ってあったりする。その行間を読まなければならないわけで、これだけの錯綜した事件を読み解き、構成し、叙述する著者の手腕は素晴らしいものと言わねばならないし、それを助けた編集者の力量も大いに評価できる。
たとえば森鴎外がこの作品を読んだら果たして何と言うか、ちょっと想像して見たのだが、「よく調べている。面白いね」と言ってくれるのではないか、と私は思った。
奥本 大三郎(埼玉大学名誉教授)評
通崎 睦美(つうざき むつみ)(木琴/マリンバ奏者)
『木琴デイズ ―― 平岡養一「天衣無縫の音楽人生」』(講談社)
通崎睦美さんはマリンバ奏者、木琴奏者として活躍している。木琴は、マリンバより歴史のある打楽器だが、楽器のなかではマイナーな存在で一般に「子供のおもちゃ」と低く見られてしまうことが多い。通崎さんはこれではいけないと考える。きちんと木琴の歴史を辿りたい。
そこで興味を持ったのが、日本の木琴奏者の第一人者だった平岡養一(1907−1981)。私などの世代には平岡の演奏する「お江戸日本橋」が懐しいが、どういう人だったかは知らなかった。
通崎さんは、縁があって遺族から平岡が使っていた木琴を見せられ、その小さい楽器に魅せられる。京都に暮し、骨董好きでもある通崎さんはまず木琴に触れ、そこから平岡養一の人生を辿る。物語の始まりに、平岡への敬意がある。
評伝は、何よりもまず対象への敬愛がもとにならなければならない。そして徹底的に調べてゆく。古本屋によく足を運び古い資料を探してゆくアナログ的手法にも好感が持てる。
平岡養一は、戦前、22歳の若さで当時「木琴王国」だったアメリカに渡った。武者修行だった。ほとんど独学で学んだというのが凄い。やがてニューヨークの朝のラジオ番組に出演、それが10年以上も続き「全米の少年少女は平岡の木琴で目を覚ます」とまで言われるようになった。
通崎さんは、平岡養一の人生を辿ると同時に、木琴というマイナーな楽器の歴史、木琴が次第にマリンバへと変わってゆく変化もとらえている。ひとつの楽器の背後に時代の変化を見ている。生き生きとして、スケールが大きい。「社会・風俗部門」にふさわしい。
平岡養一のニューヨークでの活躍は、太平洋戦争の勃発によって終わり、帰国を余儀なくされる。どんなに無念だったか。その挫折から立ち上がり、戦後の混乱期の日本で、再び木琴の音色を響かせる。通崎さんは、平岡の「戦後、戦犯問題が起こった時に日本の音楽家から戦犯の容疑者が一人も出なかった(略)」という言葉を引用するのを忘れない。評伝であると同時に、現代史の面もある。
よく調べているなと感心するのは、たとえば、木琴が「おもちゃ」と思われていた一例として森鷗外の短篇「桟橋」(1910)を挙げる。横浜港の桟橋の描写に、鉄橋の梁に桁が「子どものおもちゃにする木琴のようにわたしてある」と書かれていることを指摘する。
あるいは、平岡養一と親交のあった作曲家の宅孝二(たくこうじ)を語るところでは、永井荷風『断腸亭日乗』昭和20年6月に、戦災に遭った荷風が一時、駒場の宅孝二の家に身を寄せていたことに触れている。細部の充実が、本書に豊かな広がりを与えている。
平岡の伯父に野球好きがいて、その人は「日本で最初にカーブを投げた男」として知られているというエピソードも面白い。思いもかけない話が次々に登場し、まさに軽やかな木琴の演奏を聴いているよう。
最後には驚くべき写真がある。10歳の通崎睦美さんが、70歳の平岡養一さんと『チャールダシュ』を演奏している。子供の頃から縁があったのだ。
通崎さんには、受賞を機に、書く仕事も続けてほしい。
川本 三郎(評論家)評
<思想・歴史部門>
福嶋 亮大(ふくしま りょうた)(京都造形芸術大学非常勤講師、日本学術振興会特別研究員)
『復興文化論 ―― 日本的創造の系譜』(青土社)
戦乱や災害という、国を荒廃へと至らしめる災厄の後、それを「無常観」や「諦観」で受けとめるのではなく、事後それを「立て直す」ところにこそ日本文化の創造性が認められることを主張した意欲的な論考だ。
発端に、「日本文化はつねに復興文化として発展してきた」という山崎正和の指摘があったが、その発想を著者は独自の仕方で論として組み立てる。「〈戦前〉の緊張に耐えるよりも〈戦後〉のショックや混乱を受け容れつつ文化をリフォームする」そうした再建の仕事に文学的才能が投下され、そのことによって「新しい文化的神経」が編みだされてきたことを、著者は古代から現代までの日本文学の営為のなかに読み込む。「私たちの先祖は、嵐の過ぎ去った後=跡の時空を、さまざまな思索や表現を発酵させる特別な窪地に変えてきた」というのである。
そのような視点から、柿本人麻呂、空海を、『平家物語』や滝沢馬琴や上田秋成を読み解き、日露戦争と漱石、関東大震災と川端康成、第二次大戦後と宮崎駿、阪神・淡路大震災/オウム事件と村上春樹らを論じる。災厄の後に、そのトラウマ的体験を歌として、物語として反復し、「ワクチンのように」接種し抗体をつくることで、「負傷した社会」とそこでの底知れぬ喪失体験を持ち堪える心的機制を見てゆくのである。
著者は中国文学史の研究者であり、まだ30代前半の若手でありながら、日本の文芸史・文化史をここまで通史的に論じえたというのは驚異である。いや驚異であるというよりも、そういう研究上のバックボーンこそが、この冒険的な仕事の厚い裏張りになっている。それは、著者による中国の滅亡史としての『史記』の読解や、「遺民」という国家滅亡の当事者のナショナリズムと江戸期におけるわが国へのそのヴァーチャルな移入といった論述からうかがい知ることができる。とりわけ、カーニバル文学としての『水滸伝』と遺民たちの復興文学としての『水滸後伝』をめぐる記述は、国家を突き抜けてゆく獰猛な力を描き、またラブレーとの同時代性も想起させ、その叙述には凄みをすら感じる。この本の蔭の白眉をなしていると言ってもいい。
「一神教を生み出さなかった東アジアの風土においては、超越性は神ではなく滅亡体験に宿った」と述べつつ、同時に、中国大陸の復興文化を参照しながら、全面的な滅亡が生みだす『水滸伝』などにうかがわれるような「柄の大きい」文化がついに日本に生まれなかったこと、中国の遺民の滅亡体験を「咀嚼し、検証し、精錬」することなく「漫画的スペクタクルとして消費」するほかなかったことの意味を、著者は執拗に問うている。そして、一方で、災厄後すぐに「立て直し」にとりかかるその「機敏さ」を称揚しながら、他方で、「逃げることや沈むことに活路を見出した日本文学は、高みに昇るための翼だけは今なお持ち得ていない」と苦々しく書きつける。
本書は表題からつい想像されそうな3・11以後の震災文学論ではない。度重なる災厄とそこでの深い喪失にどう向きあってきたかという位相でこそ日本文化の創造性を問いうるという、そうした視点からする日本文化論の構想に、震災後、諸文献にかじりつきながら取り組んだまさにその地点で、東北の現在に深くつながるものである。
鷲田 清一(大谷大学教授)評
本田 晃子(ほんだ あきこ)(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター共同研究員)
『天体建築論 ―― レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』(東京大学出版会)
本書の主人公は、イワン・レオニドフ。ソ連邦の建築家である。1902年、革命前のロシアに生まれ、1959年、スターリン批判の渦中に電車事故で死んでいる。ほとんど何も実作を残していない「紙上建築家」である。
なぜ、単なる「紙上建築家」が主人公になりうるのか?レオニドフは寡黙である。その問いに対する答えを、彼の言葉でなく、彼の「紙上建築」によって語らせてみる ―― それが、本書である。
1917年革命を成功させたボリシェビキは、新たな政治体制を打ち立てるだけでなく、新たな生活の場としての新たな社会の建設をも目指していた。このような世界変革への熱意に呼応して、革命前後のロシアでは、来るべき世界を先取りすべく、あらゆる芸術分野においてアヴァンギャルド運動が大規模に繰り広げられていた。芸術家とは、具体的な問題の解決に取り組む技術者と異なり、人間生活のあり方全体を俯瞰的な立場から構築しうる特権的な存在とみなされたからである。そして、まさに芸術と技術とを統合する建築家こそ、デミウルゴス(世界創造者)としての芸術家の中で最も特権的な立場を占めることになる。
このアヴァンギャルド建築の試みをその極限まで追求したのが、レオニドフであった。例えば、本書のカヴァーの装画に使われた文化宮殿プロジェクトでは、広大な平面に半球体、直方体、立方体、ピラミッドの四つの幾何形態が配置され、その一角に飛行船の係留用マスト兼ラジオ放送塔としてのポールが一本真っ直ぐ天上へと伸びているだけである。それは、人間の生活を土地に縛られた伝統的な社会関係から解放し、現実の空間に場を持たないマスコミュニケーションによって再構成する試みと読める。その新たな共同性は、飛行船に象徴される、地上の事物がすべて既成の意味を失ってしまう天体からの視点を身につけることによってしか実現されないのである。
このように、建築とはいかにして世界を新しく見るという作業であるならば、具体的な建築物と紙の上の建築との区別は相対化される。レオニドフは、紙上建築家でしかありえなかったのである。
1930年代後半からの社会主義リアリズムによって、ロシアのアヴァンギャルド建築は根こそぎにされてしまう。レオニドフも批判され、抑圧される。「第一の建築家」であることを自任するスターリンによって、人間も建築物も都市空間もすべて意味づけられ、クレムリンを重力の中心とする太陽系のように統合されていくのである。
だが、ここで逆説が起こる。この時代の中で、天体の視点に立ってすべての事物から既存の意味をはぎ取ってしまうレオニドフの紙上建築こそ、すべての建造物を一義的な意味によって覆い尽くそうとする社会主義リアリズムに対抗しうる唯一の建築となりえたのである。ソ連邦が崩壊し社会主義リアリズムが消滅した後、レオニドフの紙上建築が具体的な建造物を超えて甦るという奇跡を私たちは経験しているのである。
評者はソ連邦についても建築についても専門的知識を持っていない。それゆえ、この選評も本書の内容を自分なりにまとめることしかできなかった。だが、本書は評者のような専門外の読者をも引きつけるダイナミックな思考に満ちている。新たな才能の登場を喜びたい。
ただ、すべての意味の重心スターリンとすべての意味を無化するレオニドフという二項対立は、あまりにも綺麗すぎる。どこにも意味の重心が存在しなくなった現代において、レオニドフの紙上建築、さらには彼が代表するアヴァンギャルド建築をどう読むべきなのかは、著者のこれからの仕事を待ってみたい。
岩井 克人(国際基督教大学客員教授)評
以上
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