ニュースリリース

このページを印刷

ニュースリリース

2013年11月11日

第35回 サントリー学芸賞 受賞のことば


<政治・経済部門>

砂原 庸介(すなはら ようすけ)(大阪大学大学院法学研究科准教授)
 『大阪 ―― 大都市は国家を超えるか』(中央公論新社)

 栄誉ある賞をいただくことになり、選考に関係されたみなさま、これまで様々なかたちでご指導・ご支援をいただいたみなさまに、まずは心よりの感謝を申し上げます。
 本書で描き出したように、現在の大阪は、ヒト・モノ・カネの集まる特別な大都市を目指し続けるべきか、日本という国家の中で規模は大きいけれども普通の――あるいは平凡な――都市として自らを位置づけるか、という難しい判断を迫られる状況にあります。
 このような認識は既に、大阪に住む人間のノスタルジックな幻想というべきなのかもしれません。しかし、大阪市の橋下徹市長は、この数年間、大阪が特別な大都市として再生する将来を訴え、多くの支持を集めてきました。その再生の過程はバラ色のものではありえず、一部の人々に痛みをもたらす可能性はあります。ただその痛みは、大阪を特別な大都市とするいわば「賭け」の掛け金として扱われ、相対多数の人々に「賭け」が支持されてきたように見えます。
 何も今更、一部の人々に痛みを強いる「賭け」を全否定するつもりはありません。「賭け」に勝つことがあれば、今よりも良い将来が大阪の人々を待っているかもしれません。橋下氏のリーダーシップの本質は、大阪を取り巻く時間軸を伸ばし、人々の将来への期待を作り出すところにあったように思います。しかし、それを維持するのは本当に難しい。現実が積み重ねられる中で将来への疑問は大きさを増し、最近の堺市長選挙は痛みに焦点を合わせて否定が突きつけられたとも理解できます。
 ここから先、東京でのオリンピック開催が決定し、一極集中がもはや後戻りのできない状況になる中で、橋下氏と維新の会の行く末は別としても、大阪を特別な大都市にするという「賭け」はますます困難にならざるを得ないでしょう。しかし大阪ですらその「賭け」が成立しなくなる中で、われわれ地方に住む人間は、東京に極めて多くを依存するという別の「賭け」に乗らざるを得なくなっていることを自覚する必要があるように思います。
 9月まで在職した大阪市立大学には、大阪についての豊富な史資料の存在はもちろん、強烈なリーダーシップのもとにある組織について具体的に考える刺激にも溢れていました。本書の執筆は、自分自身が政治という営みにつながっていること、しかし議論を組み立てるためには分析対象との距離感を保つ必要があることを改めて強く意識する作業の積み重ねでもありました。今回の受賞でその成果が評価されたことを率直に喜ぶとともに、執筆の過程でとりわけお世話になった市大法学部と学内の杉の子保育園、その関係者のみなさまには特別な感謝を捧げたいと思います。

(なかしま たくま)(龍谷大学法学部准教授)
 『沖縄返還と日米安保体制』(有斐閣)

 この度は、栄誉あるサントリー学芸賞を賜り、大変光栄に存じます。これまでお世話になった方々に、心より御礼申し上げます。
 拙著では、佐藤栄作政権期の沖縄返還交渉を、日米間の争点に着目しながら考察することができました。このことを可能としたのは、第一には、沖縄返還に関する日本の外務省文書の全面公開でした。沖縄返還については、米国側の文書が先行して大量に公開されている状況にありました。しかし、米国側文書は当然、自国の視点から記述されており、日本側の視点を直接把握することの難しさがありました。
 日本の外務省文書の公開、とくに交渉を主導したアメリカ局や、法的問題に取り組んだ条約局の文書の活用により、日米の資料の照合と、日本側の視点からの分析が可能となりました。そこから、返還後の米軍基地の態様をめぐる日米の激しい交渉の経緯や、「核抜き・本土並み」返還が決して当たり前のように実現したわけではなかったことが見えてきました。とりわけ、当時の東郷文彦アメリカ局長と千葉一夫北米第一課長が残していた直筆の詳細な交渉記録が、山場である1969年の交渉過程の分析につながる最重要資料でした。
 また、ここ数年来の大きな変化は、資料公開により守秘義務を解かれた元外交官達がインタビューに応じるようになったことでした。それは当時の政策の多角的検討を可能としました。加えて交渉当事者の人格に触れる機会を得たことは、そのこと自体、研究上の大きな意味を持ちました。
 外務省の交渉と、佐藤首相の密使若泉敬によるバック・チャネルでの交渉の同時進行過程を再構成するのは、複雑な作業でした。時間はかかりましたが、それぞれの重要人物の行動の意味が、ジグソーパズルのピースがはまってゆくようにつながって見えたことを思い出します。一方、外交文書と交渉当事者の口述記録が活用できればできるほど、それ以外の史資料を読む必要があることにも気づかされました。そこから、新聞など基礎資料の重要性を再認識させられました。
 冷戦期の日米安保体制からは、現代日本外交の特徴が読み取れると思われ、引き続き研究が必要だと考えています。上記の認識に至ることができたのも、外交文書の体系的管理と公開があったゆえのことです。いかなる交渉結果であっても、外交記録に基づく正確な事実の再構成ができれば、今後の外交を考える確かな判断根拠になると存じます。その意味からも、研究環境の更なる進展を願ってやみません。

<芸術・文学部門>

阿部 公彦(あべ まさひこ)(東京大学大学院人文社会系研究科准教授)
 『文学を〈凝視する〉』(岩波書店)

 このたびは伝統ある賞を授かることができ、たいへん光栄です。
 受賞作の『文学を〈凝視する〉』は、「文學界」連載時からすっきりタイトルが決まらず苦労しました。内容が決まらなかったのではなく、内容を簡単に示すフレーズが見つからなかったためです。今回、出発点にあったのは「なぜ、人は頼まれもしないのに、じっと見るのか。凝視するのか」という問いでした。その根には「そもそも人はなぜ興味を持つのか?」「興味とは何か?」という問いもありますし、その行く手には「凝視が引き起こしてきたのは何だろう?」という問いも控えています。隣接する問いには「気が散るとはどういうことか?」とか、「興味を持てないとは? 意気消沈するとは?」といったものもあります。いずれも、はじめての著書『モダンの近似値』(松柏社、2001)から引きずってきた問題ばかりです。これらについて考えるにあたり、私はあえて固定した領域を定めず、文学、美術、スポーツ、政治、日常会話などあちこちに首をつっこんできたので、素材は一見まとまりがなく、わかりやすい「箱」や「看板」や「バッジ」を示すのが難しくなったわけです。ただ、議論の土台をつくるにあたって助けになったのは、これまで続けてきた文学作品の研究でした。文章と向き合う過程ではいろいろなことが起きます。陶酔することもあれば、およそ理解できなかったり、妙に不安になったり、変に元気になることもある。今回、芯になったのも、そうした言葉との格闘についての考察でした。読む、とはいったいどういう行為なのか。その奥深さは、人間の諸活動の根源に潜む何かを指し示しているように思えます。最終的には岩波書店の古川義子さんの助けもあり今のタイトルに落ち着きましたが、こうしてみると、たしかに「文学を凝視するような本」になったかと思います。と同時に、次はこの枠を越えたいなという気持ちもあります。
 私は大学に籍を置き、ふだんは英米文学を教えたり研究したりしていますが、日本語を母国語とする者として、当然日本文学にも興味があります。どれくらい知識があるかは別として、芸術一般にも関心があります。また、一市民として、政治や経済や宇宙や生活全般のことも考えます。できればそれら全部を受け止めるような考察を行いたい。そして、すべてとまでいかなくとも、何らかの答えを出したい。今回の本でもささやかながらその試みは出来たかなと思っています。「凝視」の次は「準備」について考えたいと思っています。素材は……まだわかりません。

岡田 万里子(おかだ まりこ)(ミシガン大学日本研究センター客員研究員)
 『京舞井上流の誕生』(思文閣出版)

 このたびは、サントリー学芸賞をいただき、まことに有難うございます。
 歌人の吉井勇は「京に来てかかる舞あることを知りわが世幸(さち)あるものと思ひぬ」と、京舞との衝撃的な出会いを詠んでいます。京舞は、京都の祇園で伝承される日本舞踊で、日本のいわゆる伝統芸能のなかでも特徴的な表現をもっています。私もそれまで見たことのなかった身体表現に圧倒されました。なぜこのような一種独特な舞踊が、祇園にだけ存在しているのだろうか、という疑問が私の出発点でした。
 調べ始めてみますと、井上流は、19世紀前半にはすでに名声を得ていたことがわかりました。そして、19世紀の京都には、井上流に限らず多彩な身体表現が同居していたことも判明しました。すなわち、特色的と思われた井上流の舞踊は、同時代同地域の芸術表現の反映でもあり、むしろそれを存続させた環境こそが特有のものだったとわかったのです。本書執筆中は、幕末明治の京都に、驚くべき斬新な芸術活動があり、新しい時代の到来を機に、芸術家たちが果敢な挑戦をしていたことに、感動を覚える毎日でした。
 しかし、コンテンポラリーダンスやストリートダンスなど、今日のダンスシーンを見てみますと、幕末京都の状況も当然と思えます。さまざまなブームのなかで新しい表現を追求する状況はいつも変わらないからです。とはいえ、グローバリゼーションのもと、世界で追求される新しさには画一的な感が否めません。その点、歴史に培われてきた井上流の舞踊は、今日では優れて独創的であるということができます。
 京舞はまだ知名度が低く、国外で期待される「日本文化」や「アジア文化」とは必ずしも一致しません。それは、私が特殊ではなく普遍的な芸術として京舞を語りたいと思っているからかもしれません。と同時に、ほかのどの文化とも同じように、「日本文化」も多様であり、多様さこそが文化を構築しているのだというメカニズムを、京舞を通して確認することも重要と考えています。
 経済的効率を求め、均一化していく世界のなかで、その動きに反する事例は時として看過されてしまいます。しかし、そうした例外こそ重視されてしかるべきでしょう。本書は、そのようなことを念頭に、多面的に重層的にそして流動的に文化をとらえようとしたものでした。今回の受賞は、そうした方法を認めていただけたようで、まことに嬉しく感じました。大きく励ましていただいたものと、今後もさらに勉強を重ねていきたいと存じます。あらためて、サントリー文化財団と関係者のみなさま、そして、本書出版までご支援くださった多くの方々に御礼申し上げます。

<社会・風俗部門>

青木 深(あおき しん)(一橋大学学生支援センター特任講師)
 『めぐりあうものたちの群像 ―― 戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』(大月書店)

 このたびは、無数の<声>に支えられて世に出すことのできた拙著が栄誉あるサントリー学芸賞を賜りましたことに、感慨無量の思いと驚き、そして厚い感謝の念に堪えません。選考委員の方々をはじめ、関係する皆さまに深く御礼を申し上げます。
 私は「戦後50年」に大学に入学した世代ですが、いわゆる「進駐軍クラブ」で行われた音楽演奏やショーのことは、なぜか、当時からすでに聞き知っておりました。拙著に至る研究を開始する契機となったのは、日本人とアメリカ人が音楽や芸能をとおして直接的に交流したその状況はどのようなものだったのかという、アメリカ音楽に魅了されながら日本で育った者の素朴な疑問でした。その交流の現場では、アジア諸地域に「膨張」した近代日本と多様なアメリカ社会の「極東」進出とを反映し、日米という国家を基軸にした関係では捉えきれない、さまざまな出会いがあったはずです。このような想像/確信がまた、戦後の米軍新聞を読み続けたり、日本人の演奏者・演芸者や来日経験のある元・米軍将兵を訪ね歩いたりする、結末の見えない調査活動を突き動かしました。戦後日本の米軍基地に身をおいたことのない私に可能なことは、その時間を生きた人々と言葉を交わし、その時間について記録されたものを目にして書き留めることだけになります。この決定的な「断絶」を了承しながら、なおも、50〜60年前の米軍基地やその周辺で生きられた時間に接近することは、どうすれば可能なのでしょうか。こうした問いが、米軍基地と音楽をめぐる微細な記憶や記録をひたすら繋いでいく執筆の根底で、ずっとうごめいておりました。
 108片の断章が連鎖する拙著はさまざまな「読み」が可能だと思いますが、取材に協力してくださった方や、それ以外の読者の方からの感想をうかがうにつれて、私は、この本で描かれたものについてあらためて考えるようになりました。個々人が生きた時間/瞬間の記憶や記録が重層的に円環していく拙著で描かれたのは、客観化された対象としての「時代」というよりもむしろ、筆者ですら感知していないものを含めて、さまざまな過去/時代との潜在的で縁起的な結びつきであるように思われてなりません。
 拙著は1945〜58年を範囲としていましたが、この時期に生まれたアメリカ人たちは「ベトナム戦争世代」にあたります。今後は、彼らが来日したベトナム戦争期の在日米軍基地にまで視線を伸ばし、受賞の名に恥じないように、地道な作業と大胆な発想が絡み合った研究を進展させるべく努力する所存でおります。

中西 竜也(なかにし たつや)(京都大学白眉センター特定助教)
 『中華と対話するイスラーム ―― 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』(京都大学学術出版会)

 このたびは、伝統あるサントリー学芸賞を賜わり、身に余る光栄に存じます。深く感謝申し上げます。
 『中華と対話するイスラーム』は、現在も中国全土に居住する、漢語を日常語とするムスリム(イスラーム教徒)たちが、17−19世紀の間に実践してきた「文明間対話」の具体相を描いたものです。彼ら「中国ムスリム」は、かつてアジア各地から中国にやって来たムスリム移民の末裔で、ある程度「中国化」しつつもイスラームの信仰を維持し、現地人のあいだに完全には同化しなかった、マイノリティです。16世紀初頭にはすでに中国全土に独自の共同体を形成し、中国社会に根付いていたと見られます。が、以来、その特殊な信仰のゆえに、往々にして周囲の非ムスリム中国人から異端視や危険視を被ることとなりました。結果、中国社会という大海に(ふおう)のごとく漂うこととなった彼らにとって、このような文化間摩擦の荒波をいかに避けるかが、その死命を制する重要な課題となりました。なかでも、中国ムスリムの学者たちは、同胞の存続のために、イスラームの教義を再解釈して、中国伝統思想(儒教・仏教・道教)や中国法(大清律例)と調和させるという、前人未到の思想的冒険に乗り出すこととなったのです。彼ら知識人たちが目指したのは、非ムスリム中国人たちにも理解可能で、中国という環境に親和的な、しかし決して中国の思想的伝統や社会的現実に習合的・妥協的ではない、イスラームの再構築でありました。その歴程――彼らの巧みな舵取りによって引かれた航跡を、私はこれまで約十年、追尾し続けてまいりました。それは、これからも当分のあいだ続きますが、その先には、今日の人類的課題である「和して同ぜず」の文明間対話・多文化共生のために、何らかの糸口を掴むことを見据えています。本書は、そのような追跡航海のひとまずの報告書です。
 今後当面は、中国ムスリムによるイスラームの再解釈をめぐる20世紀以降、現代までの展開をも視野に入れ、そのような知的奮闘の通史的全貌の解明に挑みたいと思います。20世紀以降、中国ムスリムの知識人たちは、新たな思想的課題として、西欧の科学思想や社会思想、中国の近代化、西南アジアのイスラーム改革思潮、日本の「回教工作」などへの対応を迫られることになります。彼らの文明間対話の物語は複雑さを増しますが、それを可能なかぎり広い視野のもとに読み解き、同時にその通史的全体をより深く掘りさげることで、今日の多文化共生の問題解決に少しでも貢献いたしたく存じます。
 このたび栄えある賞を賜わったことで、次なる船出への勇気を頂くとともに、自身の学問的課題への情熱を新たにした次第でございます。

<思想・歴史部門>

工藤 晶人(くどう あきひと)(学習院女子大学国際文化交流学部准教授)
 『地中海帝国の片影 ―― フランス領アルジェリアの19世紀』(東京大学出版会)

 いくつかの偶然に導かれてアルジェリアの近代史を研究するようになってから、迷いを抱え、回り道をしながら勉強を続けてきました。そこに分け入って歴史を学ばねばならないという切実な思いの一方で、外国人としてなぜこの土地の歴史を研究するのか、そもそもそれは誰にとっての歴史なのか、という問いが頭から離れることはありませんでした。
 この本でとりあげたオランという町には、坂道の上に県庁舎があり、大きな建物の片隅に小さな歴史資料室が置かれています。その窓越しに南側からの地中海を見たとき、ひとつの感覚に打たれたことを今でも覚えています。人が海に向き合うとすれば、対岸にも同じようにしている人がいる。陸地を結びつける海には幾つものまなざしが交わり、共振しながら歴史が作り出されている。複数の歴史が重なりあう場という本書の主題は、この直感に裏づけられています。
 文書館にこもって史料を読み、過去の人々の痕跡を読み解いていくとき、既成の二項対立はしばしば意味を失います。アルジェリアとフランスの歴史は、たしかに衝突と軋轢に満ちています。しかしそれを、交じり合うことのない二つの世界の対立として、「中心」が「周縁」を支配するという決定論にしたがって説明しつくすことはできません。
 文書館の外での体験も、図式的な理解から私を遠ざけました。19世紀は、ある意味では遠く、ある意味では近い時代です。直接に体験した存命者はいなくとも、記憶を受け継ぐ人々が生きています。彼らの話を聞くなかで、それらが相互に矛盾し、ときには不協和音となる場面を何度も経験しました。その声はずっと耳にこびりついています。
 ひとつの地域のなかに複数性を読みとるという課題は、こうした経験をつうじて明確になっていきました。その試みは、いまだ緒についたばかりです。冒頭の問いに対する答えが明確になったわけではありません。いわば中間報告であるこの本に、読者がもしも共鳴し、現代をよりよく考えるきっかけを見つけてくださるとすれば望外の喜びです。受賞を励みとして、立ち止まらずに歩んで参ります。本書に目を留めてくださった選考委員の先生方、財団関係者の皆様、これまでにお世話になったすべての方々に心よりお礼を申し上げます。

将基面 貴巳(しょうぎめん たかし)(ニュージーランド・オタゴ大学人文学部准教授)
 『ヨーロッパ政治思想の誕生』(名古屋大学出版会)

 中世政治思想と聞いて多くの方が抱くイメージは「暗い」「難しそう」といったものではないでしょうか。それはニュージーランドでも同じです。中世政治思想のコースをオタゴ大学で開講するに際して、どうしたら学生にその面白さを伝えることができるだろうかと考え、ふたつの目標を立てました。ひとつは、中世ヨーロッパ政治思想を学ぶことは、ヨーロッパ文化のダイナミックな形成過程に、政治思想の側面からアプローチすることだということを示すこと。もうひとつは、中世政治思想の内容は現代人にとって無縁なものではないことを明らかにすることでした。
 私のコースを履修する学生のほとんどはヨーロッパ系の白人ですから、前者の目的は彼らの文化的・歴史的「自己理解」に寄与するはずです。一方、後者の課題ですが、中世の政治思想家たちの多くは中世ローマ教会という「組織」に生きる「組織人」でした。「組織」に生きているといろいろと悩みが生じるものです。例えば、上司はこう命令するが自分にはそれが正しい選択だとは思えない。どうしたらよいか。これと相似する問題が中世政治思想では取り扱われています。ローマ教皇はこのように教義決定をするが、私の良心はそれに服従してはならないと命じる。いったいどうしたらよいのか。中世ヨーロッパという、私たちから見ればはるか遠い歴史的世界に生きた人々とはいえ、彼らも私たちが職場で直面する問題に真摯に悩み、解答を試みたのです。その意味で、中世政治思想はほこりをかぶった骨董価値しかないものではなく、血の通った思想であることを示すことに微力ながら努力しました。幸い、学生たちには少なくともその意図は汲んでもらえたようです。
 その授業内容を骨子としつつ拙著『ヨーロッパ政治思想の誕生』を著すにあたり、もうひとつの課題に取り組みました。それは、中世政治思想を日本語で表現するということです。中世政治思想研究で扱う原典のほとんどはラテン語で記されており、その意味内容を英語論文で分析・説明したり、ニュージーランドの大学生に教授するにはそれなりの困難が伴いますが、今回、日本の読者を対象に日本語で可能な限りわかりやすく語るのは予想外に骨の折れる作業でした。
 そうした経緯を経て上梓に至りました拙著で、今回、伝統と権威あるサントリー学芸賞を賜り、この上なく光栄に存じますと同時に、大きな励ましをいただき、深く感謝いたしております。現代日本に生を享け、西洋の大学を活動拠点とする者として、今後も日本語と英語の両方で中世ヨーロッパ政治思想史を論じてまいりたいと考えております。



以上

ニュースリリーストップページへ

このページを印刷