ニュースリリース

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2012年11月13日

第34回 サントリー学芸賞 受賞のことば


<政治・経済部門>

井口 治夫(いぐち はるお)(名古屋大学大学院環境学研究科教授)
 『鮎川義介と経済的国際主義 ―― 満洲問題から戦後日米関係へ』(名古屋大学出版会)

 サントリー文化財団および選考委員のみなさまに心より感謝申し上げます。
 拙著のあとがきに指摘しましたが、現在の日本は、成熟型先進国経済として成長していくのか、それとも急速に経済的弱体化を辿るのかという岐路に立っています。日本の経済の急速な弱体化こそ日本にとっての最大の安全保障上のリスクであると言っても過言ではないと思います。
 浜口雄幸内閣は、国際協調に基づく経済相互依存のなかで国内の構造改革を進めていき、高度な産業を日本に根付かせていくことを狙いました。これは、世界大恐慌の時期と重なる不幸なタイミングでしたが、この浜口構想の担い手として鮎川率いる日産をはじめとする新興財閥が台頭してきました。満洲事変以降、日本は、浜口構想から日本陸軍の永田鉄山が推進した自給自足的な高度国防国家を目指す構想へシフトして行きました。鮎川が推進した戦前の日米経済提携構造は、永田構想を下敷きにしていた石原莞爾の構想に乗りながら、浜口構想へ修正させて行こうとしました。
 拙著を書いた際持っていた問題意識は、戦前と戦後について共通するところは、過度に国産主義にならないで外資との提携を推進しようとしたことの現代的意義です。それから日米開戦前についていうと、鮎川が支持した来栖三郎の最後までの粘り強い外交の必要性。それから臥薪嘗胆の大切さです。
 鮎川の戦前の日米経済提携構想は、フォード自動車と日産自動車の提携交渉、日本の自動車産業における主導権、そして、朝鮮半島最大級の金鉱脈の利権を所有していた米国資本との交渉というスケールの大きな内容を伴いました。
 それからハーバート・C・フーヴァー元大統領を中心とする人脈と鮎川人脈との関係は、日本の外交と日本の経済界が共和党系人脈とのパイプが太い好事例でした。日本がなぜ民主党とのパイプが共和党との関係と比べて細かったかというと、フーヴァー政権までの20世紀の米国で民主党の大統領が実現されたのは、ウィルソン政権の2期のみという要因が大きかったからです。あと、フランクリン・ローズヴェルト政権がそれまでの歴代共和党政権の対東アジア政策を変更しだしたのは、拙著で指摘しているように、日中全面戦争突入以降でした。戦後は、冷戦と中国での内戦の展開が米国の日本重視に大きく作用していったわけですが、鮎川人脈と深く関係したディロン・リード投資銀行出身者たちが冷戦初期の米国安保・外交政策で中心的役割を果たしていったことは日本にとっては幸いでした。内向き志向にならず、国際的な人的ネットワーク構築を怠らない重要性を痛感いたします。

鈴木 一人(すずき かずと)(北海道大学大学院法学研究科教授)
 『宇宙開発と国際政治』(岩波書店)

 このたびは栄誉ある賞を授かることができ、大変光栄です。本書は、これまでの日本における宇宙開発に関する政策が、一方で「夢」や「希望」といった抽象的な表現のレベルで議論されており、政策として成熟していなかったことがあり、他方で国際社会では冷戦後の宇宙開発のあり方がダイナミックに変化している姿が充分に分析され、理解されているとは言い難い状況があったことに動機を得て執筆いたしました。
 本書で描いたように、宇宙開発は「冷戦の落胤」であり、米ソ宇宙競争によって「ゲームのルール」が定められてきたわけですが、冷戦が終了することで新たな「ゲームのルール」が模索されています。同時に技術の成熟に伴って、新興国・途上国でも宇宙開発が進み、宇宙開発のプレーヤーが増えています。
 しかも、宇宙システムの社会的重要性は知らない間に非常に高まっています。日常の天気予報や携帯ナビゲーションだけでなく、昨年の東日本大震災で唯一の通信手段を提供したのは人工衛星であり、津波の被害を克明に広域で撮影したのも人工衛星でした。また、安全保障分野でも宇宙システムの重要性は増しており、2007年には中国が衛星破壊実験を行うなど、宇宙システムの利用が進むことで国際政治のあり方も大きく変わってきています。さらに、それに伴い、宇宙空間のグローバル・ガバナンスが必要との認識も高まっており、様々な政府間協議が国連や地域レベルで行われています。
 このような時代にあって、「宇宙先進国」の一つに数えられる日本がグローバルなルール作りに参加できず、未だに「夢」や「希望」といったお題目で宇宙開発を進め、新しい技術を開発することを目的とするだけで良いのか、という問題はもっと議論されるべきだと考えています。本書がこの賞をいただくことで、より多くの読者がこの問題に関心を持ち、現在の国際社会における宇宙開発のあり方を理解した上で、厳しい財政的な制約の下でも宇宙開発を進めることの意義を議論されるようになれば、受賞した意義も高まるものと考えております。
 本書が昨年の3月に出版され、東日本大震災の惨状と福島原発事故の最中に出されたことは、科学技術と政治の問題を扱う研究者として、多くのことを考えさせられました。科学技術を政治が管理することの難しさ、「夢のエネルギー」といった盲目的な技術に対する信頼と期待、硬直化した官僚制や政策決定過程がもたらす帰結など、宇宙開発とも共通する点が多々あります。本書が宇宙開発だけでなく、科学技術と政治・国際政治の問題への関心を高めることに貢献できれば、これに勝る喜びはありません。

待鳥 聡史(まちどり さとし)(京都大学公共政策大学院・大学院法学研究科教授)
 『首相政治の制度分析 ―― 現代日本政治の権力基盤形成』(千倉書房)

 人間は複雑であり、たくさんの人間が関係し合いながら動いている社会はもっと複雑で、それゆえに目の前に起こっている社会的出来事の意味を理解するのは難しい。その難しさを少しでも解きほぐして、多くの方々に伝えてみたい。素朴な関心ですが、いずれも私が政治学に関心を持ったときに最初に感じたことであり、現代政治を研究テーマとして選んだ直後から思っていたことでした。
 そのために私は、現代政治を相対化して捉える、と呪文のように言い続けてきた気がします。それをより具体的に言えば、理論的な関心に導かれつつ、他の国や地域との比較という観点から、あるいはその国や地域の過去との比較という観点から、現代のある国や地域の政治で起こっている出来事やそこに存在する因果連関を分析することを意味します。同時代の比較という横糸と、時系列の比較という縦糸の組み合わせだと表現することもできるでしょう。
 しかし、実際にこのアプローチを試みようとしても、なかなか思ったようには行かないことの連続でした。ときに理論に引っぱられた同時代比較の色彩が強すぎて対象のリアリティは失われ、また別のときには時系列の比較に関心が寄りすぎて、平板な叙述の連続になってしまう。日本政治やアメリカ政治を対象としながら、横糸と縦糸のバランスを取るための試行錯誤が続きました。
 受賞の栄に浴することとなった拙著『首相政治の制度分析―現代日本政治の権力基盤形成』は、依然として多くの欠陥がありながらも、そのバランスという点では一定の手応えをもって送り出すことのできた成果でした。書き終えたときに、今までのどの著作よりも強く、これは本当に専門家以外の読者にも受け入れていただけるかもしれない、という感触を持ちました。
 多くの方々に助けられながら私なりに続けてきた試みに対して、サントリー学芸賞という望外の評価をいただいたことを、心より嬉しく、また有り難く思います。それは、今回の拙著そのものの意義を認めていただいたということ以上に、このバランスで続けていけば、いつの日かもっと意味のある仕事ができるはずだ、という選考委員の先生方や関係の皆様方からの励ましのメッセージだと受け止めております。
 研究の出発点で抱いた素朴な関心に対しても、私の現在地はなお道半ばに過ぎません。頂戴した励ましに厚く御礼申し上げるとともに、それを道標にしつつ、今後とも歩んでいく所存です。

<芸術・文学部門>

堀 まどか(ほり まどか)(国際日本文化研究センター機関研究員)
 『「二重国籍」詩人 野口米次郎』(名古屋大学出版会)

 数多くの人々のご指導やご支援を受けて刊行に漕ぎつけた拙著が、まさか、この栄誉ある賞を賜ることになろうとは思ってもいませんでした。何より有り難く、感慨無量です。今回の受賞は、「野口米次郎」が今こそ再評価に値すると公認された記念賞のようにも思えます。彼の執念が受賞を導いたのかな、と。
 野口米次郎という存在は、近代日本を考えるための重要な鍵を握った人物であり、同時に、ひとつの象徴であると信じてきました。彼の多岐にわたる活動の全容について国際的な観点から再検討を加えることは、既成の日本近現代文学史から、また二〇世紀の文化思想交流史から欠落したページを埋める行為となるだけでなく、それらの歴史の全体像についても再考を促し、あらたな構想に導く可能性を秘めているだろう、と。
 トランスナショナルな意識と行動力を持ち、日本の精神美学を国際的に敷衍しようと試みた野口。彼は戦争の時代には、普遍主義と日本ナショナリズムとの間で引き裂かれながら、帝国日本のプロパガンダの先鋒に立ち戦争協力を行いました。〈境界者〉として彼が抱えた夢と挫折と痛みは、それゆえに、今日を生きる我々を照らし出す光源になりえます。
 〈ガラパゴス〉的空間と称されてきた日本ですが、今まさに大転換期を迎えています。野口の背負ったような境界性と困難は、国家という薄いオブラートの下にグローバル化が進む現代社会の中、個々人の内面の中、そこかしこに様々な形で存在しています。「二重国籍者」を自称した野口が、今を生きる私たちに発している忠告や警告は、けっして少なくないはずです。
 私はこの十数年、野口を介してさまざまな場所に導かれ、たくさんの魅力的な人々と事物と歴史に遭遇してきました。彼が世界各地に向けて発信した記事や、世界各地の人々と交流した歴史的記録は無尽蔵です。さらなる分析や共同研究を深めていくべき課題も多数残っています。しかし、未完成や不安、失敗も含めて未来にひらく点こそが、研究活動の意義であり、ひいては人間の歴史の醍醐味なのかもしれないと思っています。
 この本を手にする私よりも若い人々が、人間がひとり生きていくことの重さ、そして学問の躍動を、もし感じてくれるならば、それは私にとって何よりの喜びです。私自身が研究を通して諸先生方・諸先輩方から学び、つねに心を動かされているのが、それらだからです。解決の見通しのない膨大な問題や、矛盾の嵐が吹き荒れる昨今ですが、文系研究者として何を発信していくのか、人の子として親としていかなる責任を負うべきか。この受賞を出発点として、賞に恥じない研究者になれるように努力していきたいと思います。

水野 千依(みずの ちより)(京都造形芸術大学教授)
 『イメージの地層 ―― ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』(名古屋大学出版会)

 このたびの賜賞、たいへん光栄に存じます。関係各位に心から御礼申し上げます。
 拙著は副題に「ルネサンスの図像文化」と謳っておりますが、その図像のなかには、人目に触れず朽ちるがまま放擲されてきた礼拝像や、破壊や暴力の痕跡をとどめた痛ましい聖像、、さらには怪物表象や予言的形象など、「美術」とはおよそかけ離れたイメージの数々が犇めいています。
 このような研究に至ったのにはいくつかの契機がありますが、そのひとつは、留学時代に感じた美術史研究への一種の違和でした。研究のとば口に立ったばかりのフィレンツェ留学時代、街中に溢れ返る芸術的遺産に圧倒されながらも、美術史学の基礎的知識や方法論の体得に余念がなかったころ、週末は決まって、双眼鏡、照明、カメラという三種の神器を携えて各地の聖堂を巡っておりました。聖堂は恰好の作品研究の場です。時に司祭の目を盗んで写真を撮ることさえ憚らず、様式的特徴を記憶することに心を砕きました。
 しかしいつしか、聖像に触れて祈る信者の傍らで、あるいは奇跡像の周りを埋め尽くすように奉納された絵や写真や血の染みたハンカチの前で、双眼鏡を手に図像を分析するわが身に疑問を感じるようになったのです。イメージを前に汲み取るべきは、われわれ見る者を強く捉え、時に畏怖の念をも抱かせるような力、イメージがかつて人々とのあいだで紡いできた生ある歴史ではないのか、と。さまざまな文化の記憶や時間の痕跡を刻む複雑で重層的なイメージの地層を掘り起こし、その息吹のかすかな余韻を感じ取ることも「美術」史研究ではないのかと思い至ったわけです。
 聖像の足下に刻まれた懇願の文字、信者が触れ摩滅した奇跡像の頭部、幾層にも加筆や修正を被った絵画の表面……そうしたイメージの呼びかけに応えるべく歩みはじめた研究は、当初は道標なき険しい道でありましたが、近年、「イメージ人類学」という名のもとで進められている研究と問題関心を共有することに力を得て、少しずつ前に進めてきた次第です。
 芸術的刷新の時代とされるルネサンスの図像文化を理解するうえで、近代以降、遡及的に再定義された「芸術」という概念からとりこぼされてきた「イメージ」を視野に入れ、その歴史を語り直すという本書の試みは、まだ緒についたばかりです。今回の受賞を励みとして、残された多くの課題に今後も真摯に取り組んでまいる所存です。

<社会・風俗部門>

酒井 隆史(さかい たかし)(大阪府立大学人間社会学部准教授)
 『通天閣 ―― 新・日本資本主義発達史』(青土社)

 大阪と、そして拙著においても発想の源泉の一つである『日本三文オペラ』の作者と縁のふかいサントリーから賞をいただけたことが、なにより今回の受賞でうれしいことです。ありがとうございました。
 数年間、なりわい以外の時間のほとんどが、この仕事に投げこまれました。これまでのどちらかといえば思弁的なかたむきのある仕事とは大きく異なる対象に着手したため、最初は、慣れない手つきで図書館の古い文献や地図をあさりはじめました。
 2000年代後半の、時代の激しく動くなかで、それとすれ違うかのように私の頭のなかはいつも・・・なりわいの仕事以外の時間ですが・・・過去をさまよいました。よく道を見失い、結局使いようもない、瑣末な史実の解明に大きな時間を費やし、資料につっこんだ頭をあげてハッと世間をみわたし、このような作業をやることになんの意味があるのかを自問することもありました。
 これまで、私の研究には多かれ少なかれ義務感がともなってきました。しかし、今回の著作は、周囲にご迷惑をおかけしながらも、ご好意に見守られながら本当にやりたいことを好き放題やることができました。その意味では、この作業に没頭できた時間は幸せな時間であったと思います。
 私にとって、この本を仕上げるまでの10年は大阪の一つの町――通天閣のある新世界の界隈、「ディープサウス」とも呼ばれています――に魔術にかけられたようなものでした。11年まえ、四天王寺南門前に引っ越してきました。はじめての大阪での生活でした。上町台地の長い坂を下って、漫画や映画のイメージ上でなじんできた塔が現実に、しかも近所にそびえているという事態に違和感を感じながら、その足下にひろがる一帯に足をふみこんで以来、長いこと解けない魔術でした。いま、本を仕上げ、住処をかえてふり返ってみると、10年間だけ、なにかべつの夢の世界にいたようなめまいのするような感にもとらえられます。この本は、その魔術にかけられたまま書いたようなものです。私自身は、この仕事は、一つの町への、一つの長いラブレターのようなものだと思ってきました。本来、こうした作業は、冷静で適切な距離をとるべきともされるのでしょう。しかし、多くの研究がそうなってしまうように、この本は魔術にかけられたまま熱にうかされたようにしか書けなかったものです。これ以降、二度とこのようには書けないと思います。
 本書をとにもかくにも仕上げられたこと、そしてこのたびの賞をいただいたことは、私にとっても大きな区切りとなりました。これからも、やはり日本の近代を書いていきたいと、考えています。ただ、今度はもっと地味だけど、もっと大きくて広い歴史をめざしてみたい。
 今回は本当にありがとうございました。

渡辺 一史(わたなべ かずふみ)(フリーライター)
 『北の無人駅から』(北海道新聞社)

 倉本聰氏が脚本を書き、のちに国民的ドラマとも呼ばれるようになった『北の国から』の放送がスタートしたのは、昭和56年(1981)。今から30年以上も前のことである。
 「電気がないッ!? 電気がなかったら暮らせませんよッ」
 東京からいきなり、北海道の原野に移り住むことになった主人公の「純くん」は、父に向かってこんな悲鳴を上げる。東日本大震災をへた今となっては、その予言的ともいえるメッセージの存在感はますます増しているとさえ思う。
 拙著のあとがきにも書いたように、私は当時、大阪に住む中学生だった。ちょうど純くんと同世代だったこともあり、テレビに囓りつくようにして、あのドラマを観ていた。
 そして、観た人には自明のことだが、あのドラマは「東京」と「北海道」という大きな二項対立の図式の中でストーリーが進行していく。それは例えば、頼りない“都会っ子”の純くんが、大自然の中でたくましく成長し、「失われた内面」を取り戻してゆくドラマともとれるし、「都市と自然」「消費と創造」「大量生産とハンドメイド」「核家族と地域共同体」「車と馬」など、あざやかな二項対立がドラマに大きなうねりを生み出し、バブルとバブル崩壊、そして長期不況に突入してゆく日本と日本人のありようをみごとに映し出す鏡ともなっていた。
 一方、私は拙著『北の無人駅から』を書くにあたって、極力そうした手法は用いないと決めていた。そうではなく、北海道を北海道として掘り下げることで、どうにか「普遍」へと至る道筋を見つけられないものかと考えたのだ。単純な話、北海道が東京と対比して「理想郷」であるはずがない。人間はどこに住もうが問題だらけだし、都会には都会の問題があるように、田舎にも田舎なりの問題点がある。物事はすべてコインの裏表であり、単純に「いい、悪い」を決められない局面もごまんとある。そうした北海道のシビアな現実を描き出しながら、それでもなお、かすかな希望を見い出せないものか。「見い出せるはずだ」という方向に私は賭けたのだ。
 結果はどうだったかというと、私は8年間、苦悩と絶望の淵をのたうちまわることとなった。「地方を地方として描く、普通の人を普通の人として描く」という、概念的にはいたって単純明快なこのテーマが、いざ実践するとなると、なぜこうも難しいのか、それは今もナゾとして残っている。
 ともあれ私は、この作品でやり残したこと、またわずかながらやり遂げたことを道しるべに、今後もコツコツと精進を積み重ねてゆきたい。その中間報告としての拙著をご評価いただき、誠に感謝に堪えない。ありがとうございました!

<思想・歴史部門>

篠田 英朗(しのだ ひであき)(広島大学平和科学研究センター准教授)
 『「国家主権」という思想 ―― 国際立憲主義への軌跡』(勁草書房)

 大変に歴史と権威ある賞をいただくことになり、嬉しさと同時に、大きな責任を感じています。
 これまで私は、「平和構築」に関する政策的研究とあわせて、国際社会の思想的基盤を探求する研究も一貫して行ってきました。今回この『「国家主権」という思想』で、伝統ある賞をいただけるのは、自分自身の今後にとって大きな意味を持ってくることだろうと思います。
 「国家主権」とは、国際政治学や国際法学の教科書において平板に紹介されるような概念であると同時に、長い政治的確執を内包する論争的な概念です。ロンドン留学中に集めた17世紀から始まる文献資料を再編しつつ、あらためて21世紀の学術的・政策的動向へとつなげていく作業を行うことにより、この概念をめぐる思想的営みの重要性を思い直しました。
 たとえば、新しい国家の建設を目指して合衆国憲法を制定したときに、「フェデラリスト」たちは、なぜ国家主権の「新大陸」における解釈という問題を討議しなければならなかったのか。新しい国際秩序の形成をめぐる交渉の場において、ウッドロー・ウィルソンは、自らが任命した国務長官ランシングと、なぜ国家主権の「法技術」性について論争しなければならなかったのか。将来を嘱望された国際法学者でありながら、ナチスを逃れて欧州を転々とした揚句にニューヨークに辿り着いてエレベーターボーイで生計を立てるところから始めた亡命ユダヤ人・ハンス・モーゲンソーが、「政治的現実主義」国際政治学者の巨匠として這い上がるとき、なぜ国家主権の歴史的相対性の問題と立ち向かわなければならなかったのか。
 一つの概念の探求によって、これほどまでに人間の汗臭いドラマを見ることができるのは、やはり「国家主権」が特別な歴史を持っているからだろうと思います。「国家主権」とは、アフリカの紛争解決についてであれ、中東の国家建設についてであれ、アジアの領土紛争についてであれ、私自身が今後の様々な機会を通じて、さらに発展的に再発見していかなければならない複雑かつ深遠な問題であるように思っています。
 日本人は、政治的理念の扱いは不得意であるという一般的な印象があります。しかしそれは、決して思想的研究の伝統が弱いからではないでしょう。ただ、国際社会で流通している思想とは、高度に哲学的であると同時に、高度に政治的です。われわれは思想史を、もっと政治的に見ていってもよいのではないかと思います。私自身は、思想研究こそが政治的な作業であり、政治研究は思想的な作業であるということに、今後もこだわり続けていくでしょう。今回の受賞が与えてくださる誇りと責任を胸に抱きながら。

(たかやま ゆうじ)(日本学術振興会特別研究員)
 『トクヴィルの憂鬱 ―― フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生』(白水社)

 名誉あるサントリー学芸賞を賜りましたこと、大きな喜びと共に、身に余る光栄と感じております。サントリー文化財団および選考委員の先生方に、心より感謝申し上げます。
 私はこれまで、アレクシ・ド・トクヴィルの著作や書簡を読み進めてきましたが、彼が時折あらわす憂鬱や不安といった感情がつねに気になりました。そしてある時、それは同世代に共有されたものだと理解しました。ユゴー、バルザック、ラマルチーヌ、コント、ドラクロワはみな同じ世代。彼らはフランス革命後に生まれ、「何者でもない」存在になった最初の〈世代〉でした。しかも革命後早くも社会が閉塞化するなか、何者にもなれない若者が激増し、憂鬱症にとりつかれます。トクヴィルはこの世代の最年少、同じく煩悶しながらアメリカに旅立ち、新しい社会を観察することで、時代の病の理由が近代社会の原理そのものにあることを発見したのです。
 近代社会が生まれたばかりのこの時期、若者たちは同時に躍動していました。本書を執筆していると、登場人物たちが著者の手を離れて動き出すような感覚を一度ならず覚えたものです。政治家でもあった作家が政治社会を分析し、歴史を動かす「ことば」を語りました。いよいよ産業化が本格化し、概して物質的には豊かになるけれども心の不安は広がってゆく社会で、若者たちはそれでも憂鬱に沈むことなく、文学/出版の世界に躍り出て、社会を統合する詩想(新しい信仰)を紡ぎだしたのです。しかし、政治と文学の蜜月は短く、政治腐敗と第2共和政の崩壊、そして人民投票型独裁者の登場をもって終焉します。晩年のトクヴィルは、憂鬱を深めますが、それでも歴史研究のうちに希望をつなげようとしました。
 もちろん、この研究は現代に対する私の問題関心と無縁ではありえません。トクヴィルとその時代の精神を描くとき、憂鬱は深まる一方で昂揚ないし希望は失われつつある現代日本の社会情況がかえって切実なものとして浮かび上がってきます。文学/文芸と切り離され、「ことば」を失いつつある現代政治の諸課題を少しでも照らしだそうと思いました。
 拙著は、これまでの日本における良質なトクヴィル研究とともに、フランス文学研究の蓄積の上に成り立っています。多くの先輩方の研究業績がなければ、このような栄誉ある賞の候補にすら挙がることはなかったと思います。今後は、この受賞を励みにして、政治と文学を架橋するような思想史研究の発展に少しでも貢献できるよう精進したいと存じます。最後に、大学院への進学を理解してくれた両親と、研究/生活を共にしてくれた同業者でもある妻に感謝の意を表します。



以上

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