ニュースリリース

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2012年11月13日

第34回 サントリー学芸賞 選評


<政治・経済部門>

井口 治夫(いぐち はるお)(名古屋大学大学院環境学研究科教授)
 『鮎川義介と経済的国際主義 ―― 満洲問題から戦後日米関係へ』(名古屋大学出版会)

 鮎川は、明治13(1880)年、山口県に生まれ、昭和42(1967)年、没した。大叔父が井上馨、義弟が久原房之助、岸信介、佐藤栄作も親戚という濃密な長州人脈を背景に、卓抜な経営の才覚を発揮し、日産コンツェルンを作り上げ、関東軍の要請でこれを満州に移して満洲重工業を作り上げ、満州国の建設に大きな役割を果たした。その勢力は、関東軍参謀長の東条英機、国務院総務長官の星野直樹、総務庁次長の岸信介、満鉄総裁の松岡洋右とともに、ニキサンスケと呼ばれるほどであった。
 この本は、鮎川の活動の国際政治的意味を解明しようとした研究である。鮎川は、日本の産業の高度化のために、アメリカ資本の導入が不可欠であると信じ、満州事変以後には、アメリカ資本の導入により、満州の経済を発展させると同時に、日米関係を安定させることを目指した。その構想の中核は、1937年から40年にかけて追求された、日産自動車とフォード自動車の提携工作だった。
 こうした構想を著者は経済的国際主義と呼んでいる。その観点から著者は、鮎川のアメリカでの人脈と活動をつぶさに検討し、とくにハーバート・フーヴァー前大統領との関係を重視している。現在ではフーヴァーは、大恐慌の処理に失敗した大統領として、フランクリン・ルーズヴェルトの影に隠れているが、1920年代には重要な国際協調主義者であった。
 鮎川の構想は、言い換えれば、アメリカの伝統的な門戸開放主義の修正版であった。その可能性と限界を追求することが、本書の基本テーマである。
 その過程で、著者は様々な興味深い事実を明らかにしている。たとえば、満州国建国以後も、アメリカは、「満州は中国の一部」という建前の中で満州における総領事館を維持しており、そこを基盤に満州国の現状を分析していた。そして、満州が日本に対する資源供給においては成功していても、産業の高度化という点では失敗し、対ソ安全保障能力の強化という目的においても失敗していたことを把握していた。
 その他、様々な分野において、鮎川は経済活動を通じて満州国の事実上の承認を追求し、国際対立を克服しようとしており、昭和16年の日米交渉についても関与していたことが、明らかにされている。
 評者は次のように考える。すなわち、満州国ないし日本の側において、鮎川が望んだほど満州国は門戸開放的ではなかった。また、アメリカ国務省は、1920年代においても、日本の満州権益に対して非協力的であり、満州事変以後には、満州国の存在に対して強く批判的であり、その批判は日中戦争勃発後にさらに強まっていた。著者のいう修正門戸開放主義が機能する余地はかなり小さかったように思われる。
 鮎川は、戦後、インフラ建設や中小企業育成政策に取り組み、そこにおいても、アメリカ資本の導入をめざすが、それは共通の利益の創造という点で、戦前の活動と連続していた。
 本書には、いくつか疑問なところもあるし、やや構成が弱い感じもある。しかし、1930年代と1950年代前半の日米関係を考える上で実に多くの示唆に富む興味つきない著作である。

北岡 伸一(政策研究大学院大学教授)評

鈴木 一人(すずき かずと)(北海道大学大学院法学研究科教授)
 『宇宙開発と国際政治』(岩波書店)

 福島第一原発事故は、巨大技術が生命、環境、エネルギー、経済、社会、政治、そして世界政治をまるごと巻き込む文明的な脅威となりうることをわれわれに思い知らせた。それとともに、巨大技術の機会とリスクがシャム双生児のように背中合わせにある怖ろしさを改めてわれわれに教えた。宇宙もまた、そのような巨大なまるごとのインパクトをわれわれに与える存在である。
 宇宙は「未来のテクノロジー」ともてはやされ、そこには「人類の夢」があると謳われてきた。ここは「物理の法則だけが唯一のルールである世界であり、国家や国境といった人間が勝手に作った仕組みなど歯牙にもかからない、絶対的な公共空間」である。にもかかわらず、20世紀以降、そこは国際政治の空間となった。ただ、宇宙と宇宙システムが、国際政治にどのような意味合いをもたらし、同時に、どのような国際政治の力学がそこに投影されているのかは、これまで十分に解明されてこなかった。鈴木一人氏の『宇宙開発と国際政治』が、その仕事を見事に成し遂げてくれた。
 鈴木氏は、国際政治における宇宙開発を、「ハードパワー」としての宇宙システム、「ソフトパワー」としての宇宙システム、「社会インフラ」としての宇宙システムという概念で説明する。「ハードパワー」は、冷戦時代の「米ソ宇宙競争」、とりわけ米国のアポロ計画がその代表だ。無人航空機によるピンポイント爆撃を可能にする測位衛星もこの範畴だろう。「ソフトパワー」は有人宇宙飛行のような国威発揚の舞台としての宇宙パワーである。世界の大国クラブへの入場券ともなる。「社会インフラ」は、GPSに代表される、いわば国際公共財としての宇宙である。国々は、この3つを手に入れるために、宇宙開発を進めてきた。本書は、このような分析の“レゴ(LEGO)”を組み立てることで、宇宙の国際政治学を鮮やかに構築して見せる。それとともに、宇宙という究極のグローバル化の本体を解剖することで、斬新なグローバル化論ともなっている。
 宇宙においては、東西も南北も民族も宗教もない。衛星を通じた情報が一般市民にまで広がったことが、ベルリンの壁の崩壊をもたらした。そして、その後のグローバル化の時代、技術拡散は光の速度にように速い。21世紀は、宇宙を含む巨大科学技術の(国際)政治がハイポリティックスとなるだろう。
 しかし、宇宙でも米国の一極構造は急速に崩れつつある。すでに自国が調達した衛星を運用している国々は60以上にのぼる。15カ国による共同事業である宇宙ステーションは、宇宙の列強協調(concert of powers)の兆しなのだろうか。
 福島第一原発事故は、科学技術政策の政治経済学研究の重要性を痛感させた。それも「ムラ」によって囲われていないグローバル・リテラシーに裏打ちされた研究が切に求められる。この分野での第一人者の颯爽たる登場を慶びたい。

船橋 洋一(日本再建イニシアティブ理事長)評

待鳥 聡史(まちどり さとし)(京都大学公共政策大学院・大学院法学研究科教授)
 『首相政治の制度分析 ―― 現代日本政治の権力基盤形成』(千倉書房)

 日本とは何か。戦後日本政治とは何か。
 私などが大学に残ってそれを考えようとした時代には、歴史という物差(ものさし)をもって測る他ないと思った。戦前から戦後へ日本政治はどう変ったか。カメのような愚鈍さで新旧を比較することから始めた。
 本書の著者の世代は違う。国際的な比較の中で日本政治を見る学問的飛び道具が使える。著者が奉ずる比較制度論は、アメリカ政治学が洗練された成果をあげている分野であり、日本では村松岐夫の弟子らがそれを展開している。
 大統領制と議院内閣制は対照においてよく議論されるが、比較制度論の政治学はそれを好まない。大統領制も実に多様であり、議院内閣制もさまざまである。その名でイメージしている内容と正反対の実体であったりもする。むしろ大統領と首相を「執政制度」という一つの土俵の上に並べて検討する。両者は共に国民から委任をうけ、政策形成と実施の双方に責を負う。法制上、実質上の権限とその制約は何か。与野党や官僚との関係はどうか。
 アメリカ政治に関する出版がこれまで多かった著者は、本書において戦後日本の「首相政治」すなわち首相権力の行使のあり方とその変容を伸びやかに論じる。本書は戦後日本の中選挙区制がもつ意味を重視する。すなわち各選挙区で3〜5人が当選する中選挙区制は、多党化と連立政権を誘う制度である。だが冷戦下にあって、左翼政党を政権から排除しつつ経済復興と政治的安定を持続するため、保守諸政党は1955年に大同して自民党を結成した。自民党は内実において連立政党であったからこそ、中選挙区制下で長期政権を維持しえた。が、それは首相政治に大きな制約をも強いた。首相の閣僚任命権は自民党の基礎単位である派閥に分け取りされ、派閥間競争は政党間競争をかすませる程であった。また官僚機構は強大であり、政策の形成と実施の大部分を担った。首相が無能であっても、各省庁が大概のことはやっていける。
 リーダーシップの欠如、派閥政治の弊と金権腐敗、官僚支配など、戦後政治への批判が、冷戦終結とともにさらに高まり、二つの重要な制度変更が90年代になされた。小選挙区を中心とする新選挙制度と、首相官邸の機能強化である。その前後の強力な二人の首相、中曽根康弘と小泉純一郎の比較は興味深い。前者が「大統領型首相」を一代限りの格別な手腕でつくり上げたものであるのに対し、後者は強化された制度(ウェストミンスター型議院内閣制)に支えられたものである。
 だが、ここで逆説が生ずる。制度に支えられるのであれば、小泉以後の首相は皆強力であってよい筈である。事実は、自民党であれ民主党であれ、1年しか続かない弱体政権揃いである。制度は強化され、執政中枢部は与党議員集団や官僚機構の影響力を排除できる程になった。それは著者が「集権化の逆機能」と呼ぶ事態を招いた。かつては官邸が無能でも、党と官僚機構が大概のことをやれた。権力を官邸に集中した今は、首相が自ら力強い手腕に恵まれ、有能なスタッフを官邸に集めなければ、政治全体が悲惨な事態に陥るのである。
 この難しい時代に政治を観察する識者を、社会は必要とする。ジャーナリストだけでなく、深い学問的素養をもってそれを行う人も不可欠である。その意味で、戦後政治の全体像を、変動を含めて構造的に語る本書を歓迎したい。

五百旗頭 真(熊本県立大学理事長)評

<芸術・文学部門>

堀 まどか(ほり まどか)(国際日本文化研究センター機関研究員)
 『「二重国籍」詩人 野口米次郎』(名古屋大学出版会)

 「序章」の見事な展開にまず読書欲をそそられる。最上の書き出しと言うべきだろう。著者はこう述べる。
 20世紀の前半に、野口米次郎あるいはヨネ・ノグチと呼ばれた国際的に知られた日本の詩人がいた。英語と日本語で多彩な言論活動を行い、戦前は国際的文化人の大御所として、日本のみならず世界中の多くの人から仰ぎ見られる存在だった。しかし、戦後は一般にはほぼ忘れられ、現在にいたるまでその生涯や作品史を通観する研究はない。文学事典類のこの詩人に関する項は、1904年の帰国後の経歴については具体的な説明がほとんどなく、詩人としての日本の詩壇における位置づけも、曖昧なままだ。なぜこうなったのか。
 最大の理由は太平洋戦争に際して「日本主義」に走った「ナショナリスト」、「戦争協力者」といった負のレッテルを戦後貼られ、同様の扱いを受けた高村光太郎が戦後長い間かかって反省と悔恨をつづって再評価にまでたどり着けたのとは違い、敗戦2年後に死去して「名誉回復」の時間を持てなかったことにある。加えて詩人自ら「日本語にも英語にも自信がない」と謳った『二重国籍者の詩』(1921年)の「自序」のイメージに引きずられて、二流詩人だとして蔑視する傾向が根強いことにもあるだろう。が、従来見過ごされてきたブラックホールに光を当てれば、この詩人の活動全体の評価が変わる可能性があるのみならず、20世紀における国際文化交流の実態について、これまでの認識を一変させるような意味があるのではないか。
 こうして野口の生涯を振り返る作業が開始されるが、著者が重視するのは作品論や伝記考証に加えて日本文化・文学の側からのアプローチに力点を置き、その際に国際的同時性に着目することで一国文学史が陥りやすい欠点を克服し、国際的な動向の中で野口が果たした役割を多角的に描きだすということだった。このラインに沿って「生い立ち」から「後輩詩人たちの戦後評価―蔵原伸二郎と金子光晴」まで、三部構成の十五章が用意される。
 キーワードのひとつは象徴主義というモダニズムで、この動向が欧米および日本で野口の活躍を先導もしくは後押しする。著者はその広がりと波及を新しい資料を含む調査を生かして述べていくが、驚異的なのは野口が詩人としての名声を手にした後に世界に紹介した日本の文化の幅の広さで、芭蕉を中心とする江戸文芸、浮世絵などの美術、そして能・狂言と多岐にわたる。特にわたしが関心を持ったのは、フェノロサ→イェイツ→パウンドという線で能が西洋に紹介され定着したとの通説とは違い、野口とイェイツの親交がこれに先立つという「事実」が明示されていることである。これと同様な驚きがインドの詩聖タゴールとの日中戦争をめぐる論争や、野口の「戦争詩」の解明にもある。つまり、本書の随所に新しい視点が埋められていて、単にある到達点を示しているばかりではなく、今後の研究への多くの示唆を含んでいる。この両義性が本書の大きな特色であり、また収穫だと言っていい。

大笹 吉雄(演劇評論家)評

水野 千依(みずの ちより)(京都造形芸術大学教授)
 『イメージの地層 ―― ルネサンスの図像文化における奇跡・分身・予言』(名古屋大学出版会)

 本書は、14世紀から16世紀にかけてのいわゆるルネサンスの時期、古代文芸復興に基く人文主義の思潮を背景に、現実再現的表現技法を有力な武器として新しい芸術が生み出され、それとともに職人は「芸術家」になり、「礼拝のためのイメージ」の時代は、「イメージそのものの礼拝」の時代へと移行したという一般的なルネサンス芸術観に対して、そこには古くから伝えられて来た信仰形態や共同価値観、あるいは像をめぐる社会慣習や民間伝承などがなお根強く生き続けて「イメージの地層」を形成しており、それがイメージの成立、継承や社会的機能、地位を大きく支えていたという斬新な視点に立って、この時代のさまざまの図像の意味と役割の解明を試みた重厚な労作である。そこで問題となるのは、作品の表現様式や技術的完成度などの「審美的」側面ではなく、あるいはそれだけではなく、広く「時代の精神的風土」とも呼ぶべきものとイメージとの複雑密接なからみ合いの様相である。そのため著者は、美術史学のみならず、社会学、宗教学、民俗学、文化人類学などの隣接諸科学の分野にも充分な眼配りを効かせ、綿密な実地調査と厖大な資料文献の博捜を重ねて、きわめて優れた記念すべき成果を纏め上げた。
 全体は、それぞれ独自に設定された主題を扱う五つの章から成る。すなわち、14世紀のトスカーナ地方では聖母信仰の昂揚が高まり、ある特定の町が一時的に聖母崇敬の中心として多くの信者を集め、その熱狂が終息すると次に別の町で類似の現象が起るという聖母崇敬の流行と変遷が見られるが、その流行が中央の都市部を遠く離れた周辺部でまず燃え上り、次第にフィレンツェに近づいて最後にはその文化環境のなかに吸収される過程を辿った「聖なるものの地政学」(第一章)、災害などで損傷を受けた聖像を修復するにあたって、背景や衣装などは新しい様式で描き直されながら、最も重要な顔や手などは敢てもとのまま残すという方式が採られたことや、逆に容貌の特徴的な部位を強調して塗り重ねたり、さらにはその容貌を他の聖人に移行させる「横滑り」の例が見られることから、聖像の持つ力はイメージの継承によって保たれるという論理が働いていたことを論ずる「像の再活性化/無効化の力学」(第二章)、同様の論理と心性が世俗彫刻の分野でも認められることを、ライフマスクやデスマスクに基く肖像が像主の「分身」と見倣されて礼拝空間などで重要な役割を演じた事例を通して明らかにした「痕跡と分身」(第三章)、聖画像に登場する注文主の像は、単に聖なる場面に立ち会うだけではなく、古代以来の記憶術を応用した新しい宗教的瞑想法の実践者であり、画面はその瞑想による幻視の情景であることを解明した「『肉の目』と『心の目』」(第四章)、そして1500年という節目の年の前後、世界の終末の不安と新しい時代への期待がない混ぜになって著しく緊張が高まった時期に数多く生み出された幻視の聖母や怪物像などの図像の意味と役割を主題とした「予言と幻視」(第五章)がその内容である。いずれも多くの新しい知見と鋭い分析に富み、イメージ解釈の射程を大きく拡げた力作と言ってよいだろう。

高階 秀爾(東京大学名誉教授)評

<社会・風俗部門>

酒井 隆史(さかい たかし)(大阪府立大学人間社会学部准教授)
 『通天閣 ―― 新・日本資本主義発達史』(青土社)

 大規模な博覧会を開催して人を集めれば都市が整備され、いわゆる公共工事で官から金が下りる。そして大量の人が集まれば街に活気が出て金が集まる。それは今も昔も同じである。古くから、そうしたイベントの有利さに人々は気付いていた。いや、気付いている人々は多くても明治新政府が出来るまで、そういう資本主義的な事業はめったに許されなかったのである。
 そうした企画のなかでもとりわけ大規模なものとして、内国博覧会があった。その第五回の開催地が、「大阪市南区天王寺今宮」に決定したのは、1900(明治33)年のこと。大阪が、誘致合戦で、東京、仙台、名古屋等、他の候補地を押さえて勝ったのである。
 しかし、その大阪でも、どの地域にするかとなると、もちろん利権が絡む。資金力を有する者と議員連、そしてヤクザの親分衆らが、西区か南区か、オモテとウラとで最後まで争った末、この天王寺に決まったのであった。
 ではその候補地には何があったか。そこには田圃と、スラムがあった。人の住んでいない地域は開発に適しているけれど、問題は後の方である。北方面からの幹線道路である堺筋沿いには近世以来の貧民窟が広がっていた。住民の数は約一万。貧しい人々が木賃宿、長屋など、狭苦しい所に群がって住み、悪臭が鼻をつき、衛生状態は最悪で、コレラの巣とみなされていた。
 博覧会場を建設するためにはスラムを取り払わなければならないし、それもひとつの都市改造である。この事業は、ただの催し物ではない。“勧業博覧会”であって、明治天皇が六回も来られる、日本国近代化のためのいわば国策なのだ。では、住民の立ち退きを実質的に誰が受け持つか。それはヤクザなのであった。警察官が立ち退けとふれて回って、その後を、片っ端からヤクザが叩きつぶして行った。追われた住民は南方面に移動して行き、それが釜ヶ崎の起源になる。
 そうして建設された博覧会場のそれぞれの建物には、20世紀の象徴ともいうべき電気仕掛けの照明が設置された。夜になると正門には「第五回内国勧業博覧会」という文字が明滅し、各館にはいっせいにイルミネーションが点灯された。正門近くの高さ75尺の噴水塔から、照明で照らされた赤色の水煙が吹き上げられ、美術館の池の大観音像は五色の光でライトアップされた。住むところを取り壊され、行き場のない貧しい人々はそれまで見たこともなかった電灯の明るさに驚き、会場の外からその光景に眼を瞠ったに違いない。さらに美術館の傍らには、150尺の塔が建てられた。建設者の名から大林高塔と言う。しかもこれには大阪初のエレベーターが設置されていたのである。これが通天閣の直接のルーツとなった。
 著者は、役所の書類からパンフレットの類にいたるまで、ほとんどマニアックなまでに、というか、凝りに凝って、と言ったほうがふさわしいかもしれないが、考え得る限りのありとあらゆる資料を漁って当時の事情を発掘し、またその後の通天閣にまつわる物語を展開している。
 「ジャンジャン町パサージュ論」、「王将―阪田三吉と『ディープサウス』の誕生」、「無政府的新世界」等、目次はごく大雑把だが、中身はきわめて豊富で、まさに縦横に論じられており、話の糸はもつれて、時にはこの界隈の歴史そのままに混沌とした迷路の観を呈する。しかし、それがまた尽きせぬ興味をそそるのである。

奥本 大三郎(埼玉大学名誉教授)評

渡辺 一史(わたなべ かずふみ)(フリーライター)
 『北の無人駅から』(北海道新聞社)

 本書はこの部門では、最も「読ませる」力作と思った。著者には繊細で深い観察力、そして民衆への温かい心がある。また、渾身の力が感じられた。それゆえ選考会で私も高得点を与えた。しかし同時にこの本には問題点も感じたし注文もあると述べたら同意を受け、ならば選評を書けということになった。そこで率直に、唸らされた点と問題点を述べたい。
 本書は、北海道の無人駅を起点に、多くの無名の人たちの生き様を、直接の聞き取りや資料調査で微に入り細にわたって描いたものだ。主題や対象はきわめてローカルかつマニアックで、誰が読むだろうかと著者は悩んだという。しかし、特殊なミクロの世界もとことん穿てば、宇宙に通じる。本書の魅力は、名もない庶民の心の襞に深く分け入って、そこに豊かな宇宙を見出していることだろう。
 最初からグイグイ引き込まれる。酔って列車に轢かれ両足を失ったアイヌの文太郎が、もの凄い気力と体力、漁の腕前により、文字も読めないのに「アタマのええ」船頭として清水次郎長的な親分になる話。よそ者である都会人の自分勝手な「自然保護」の意識とはまったく違う感覚で、信念を持ってタンチョウやオオカミを相手に暮らしている「頑固な変人」たちとの心温まる交流。陸の孤島の漁村に道路が通じて変わる漁民たちの生活と心。また、こういう地元の人たちに、心を開いてもらうまでの涙ぐましい著者の努力。
 われわれが上からの目線で切り捨てる世界を、このように愛情をもって魅力的に浮き彫りにする作者の力量は、単に優れた観察力や文章力ゆえではなく、彼の人間性ゆえでもあろう。本書を読んですぐ思い出したのは、民俗学者宮本常一の名著『忘れられた日本人』だ。宮本と同様、本書も、地方の人たちの生活と心に関する貴重な時代の証言だ。そして、この証言には渡辺の個性が深く刻印され、他人には書けないものとなっている。途中に沢山挿入されている、辞典的な解説のページも懇切でスグレものだ。
 次に問題点を指摘したい。個別のミクロ世界も、確かな眼で穿つと、自ずと普遍の世界につながる。しかし、意識的に普遍化しようと安易に理屈や論に走ると、一挙に生彩を欠く。本書でも、本来の手作り的な「有機農業」と北海道の「クリーン農業」の違いに関連して、農業指導員の苦労話などを具体的に語るのは面白い。しかし、その先に進んで著者の農業政策論、TPP論などに及ぶと、たちまち平板な紋切り論になり個性が消える。町村合併の話についても、住民投票論から「そもそも民主主義とは」といった政治論に進み、合併は「国の政策誘導に乗せられた」などと論じているが、これもまたありふれた定型論だ。政策論、政治論に走った章では、人々の生活や心を見る眼も格段に粗になっている。理論で勝負するというなら別だが、宮本常一が一般化を敢えて禁欲した意味を著者はしっかり噛みしめて欲しい。これは、著者の今後の成否を左右する問題である。一般受けする紋切り論、定型論でポピュラーになって欲しくないが故の注文だ。
 最後になったが、この書を引き立て生彩を与えているのは並木博夫の写真だ。グラビア用紙にしないで、普通の頁にさりげなく印刷されている地味な風景が、主題にも合い、かえって自己主張が感じられる。空気感という有り体の言葉は避けたいが、独特の味わいを感じさせる写真だ。写真家並木氏も共同受賞者と言えるだろう。

袴田 茂樹(新潟県立大学教授)評

<思想・歴史部門>

篠田 英朗(しのだ ひであき)(広島大学平和科学研究センター准教授)
 『「国家主権」という思想 ―― 国際立憲主義への軌跡』(勁草書房)

 この10月に来日した2011年ノーベル平和賞受賞者のリベリアのジョンソン=サーリーフ大統領は、東京大学で行われた講演の質疑応答のなかで、かつてアフリカ諸国はみな内政不干渉ということで他国の事情には無関心だったが、いまや国家主権は「保護する責任(Responsibility To Protect: R2P)」という考えで解釈されなければならない、したがって他国の事情にも無関心ではいられないと語った。21世紀の今日、国家主権は、単純に至高で絶対な権利というだけではすまない概念となっている。それでは、国家主権とは何なのか。国際社会に関心を持つ者は、依然として国際社会の基本単位は主権国家であると了解している。しかし、その意味は何なのか。
 本書『「国家主権」という思想―国際立憲主義への軌跡』は、そのような疑問をもつ読者に対して、最もコンパクトで明晰な分析を提供してくれる業績である。本書が冒頭に明らかにするように、国家主権とは近代が生み出した概念である。しかし、それをどのように解釈するかは、時代の変遷とともに変化してきた。この変化を分析する本書は、絶対性・至高性という観点から強調される国家主権という概念が、実は民主制や法の支配を生み出してきた「立憲主義」の考え方と密接に関連しつつ発展してきたことを論証している。国内社会において、絶対君主の主権という考え方から、法の支配(立憲主義)のもとでの人民主権という考え方に展開してきたように、著者は、国際社会においても、法の支配を基調とする立憲主義(国際立憲主義)が国家主権の見方に影響を与えたのが19世紀から21世紀にかけての展開であると論じる。
 論述は明晰であり堅実である。とくに18世紀から20世紀にかけての国際社会の考え方に大きな影響をあたえた英米を中心にする思想家・国際法学者が国家主権を如何なる文脈でどのように捉えてきたかを概観するのに本書にまさる分析は世界的にもほとんどない。特に国内主権論と対外的な国家主権論のはらむ緊張関係についての分析は本書の特徴である。国際立憲主義的主権観を推し進めようとするウィルソン米大統領のもとで国務長官をつとめたランシングは、力によって定義される主権概念を主張する国際法学者であった。この二人の間の緊張関係の叙述は、本書の山場の一つであろう。もちろん、本書の格闘する相手は、国際社会の根本概念である国家主権である。本書をもってしても、その全貌を覆い尽くしていないのは当然である。評者は、冒頭、ジョンソン=サーリーフ大統領の見解を紹介したが、20世紀から21世紀にかけての主権概念の変遷を考えるとき、かつて帝国主義のもと植民地支配を受け、独立を勝ち取っていった人々の見解の変遷もまた、きわめて重要な国家主権に関する思想史を形成すると思う。「保護する責任」(R2P)という考え方自身、依然として論争的である。著者には、21世紀の国家主権論をさらに詳細に展開して欲しいと思う。

田中 明彦(国際協力機構理事長)評

(たかやま ゆうじ)(日本学術振興会特別研究員)
 『トクヴィルの憂鬱 ―― フランス・ロマン主義と〈世代〉の誕生』(白水社)

 ここ十年ほど、日本でもトクヴィルへの関心が急速に高まってきたようです。マルクス主義全盛の時代には、歴史の流れに逆らった保守的政治家・歴史家として扱われていたトクヴィルですが、ソ連の崩壊で社会主義の道が閉ざされてからは、唯一残された選択肢である民主主義を徹底考察した予言者として高く評価されるに至っています。
 本書もそうしたトクヴィル・ルネッサンスに棹さす一冊ですが、類書と異なるのは、トクヴィルもまた絶対に憧れるロマン派特有の「憂鬱」に冒された世紀病患者の一人ではなかったかという視点を導入したことです。つまり、ロマン派的憂鬱がトクヴィルをしてアメリカという未知の国へと旅立たせ、新しい民主主義の発見へと導いたのではないかというかたちで問題設定をした点にあります。トクヴィルは、平等化が進んだアメリカに未来のフランスの可能性を見ようと試み、その成果を帰国後の1835年に『アメリカのデモクラシー第一部』として著しました。トクヴィルはアメリカで発見した「個人の利益追求が結果的に全体の利益につながるという発想」はフランスでも適用可能と信じたのですが、七月王政下で社会の平準化が進むにつれて、やがてことはそれほど単純でないと悟るようになります。民主政治の宿痾たる無関心と嫉妬の問題に気づいたからです。こうして五年の時を経て書かれた『アメリカのデモクラシー第二部』ではトクヴィルの関心がシフトし、民主主義社会における無力感と無関心が主たる関心事となります。
 著者は、こうした平準化社会における無力感と無関心が嫉妬と羨望を呼び起こす現象を同時代のバルザックにおいても描かれていることを指摘しながら、トクヴィルが七月王政下で突き当たった問題意識を次のように要約します。
 「無関心な社会で各人が他人を意識するのは一見矛盾しているが、当人の精神構造においてはなんら矛盾ではない。無関心な社会に生きる人間は、他人にそれ自体として(その他在において)関心をもつわけではなく、人は自己の存在を確定させるための尺度としての他人を意識するのである。」
 つまり、民主主義社会においては他人は自分の位置と大きさを定める定規として意識されるだけなのであり、嫉妬や羨望もそこから生まれることになると。トクヴィルはこうした分析を通じて、人間の自律可能性を前提とする近代理論がある種の神話でしかないと悟るにいたりますが、そうした絶望にもかかわらず、トクヴィルは絶対や完全を希求しつづけることをやめませんでした。その意味ではトクヴィルは、理性とは理性では計り知れない次元があることを認めることだとしたパスカルに近い思想家だったのです。
 このように、本書は、従来、アメリカ的な文脈のみで語られ、その冷徹な観察眼だけが称賛されてきたトクヴィルを、不可能な夢にとりつかれて憂鬱に陥った元祖ゼロ世代(1800年に始まるディケード生まれ)の一人と認識し直すことで、新しいトクヴィル像を描き出すことに成功したといえます。
 トクヴィルを現代的なコンテクストで読み替えようとする意欲作として高く評価したいと思います。

鹿島 茂(明治大学教授)評



以上

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