ニュースリリース

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2011年11月10日

第33回 サントリー学芸賞 受賞のことば


<政治・経済部門>

井上   正也(いのうえ   まさや)(香川大学法学部准教授)
『日中国交正常化の政治史』(名古屋大学出版会)

伝統あるサントリー学芸賞を賜りましたこと深く御礼申し上げます。錚々たる歴代受賞者の末席に名を連ねさせて頂くことを誇りに思います。大学院進学以来、明けても暮れても国内外の外交文書を追い求め、関係者へのインタビューを重ね、戦後日本の中国外交とは何であったかを問い続けて参りました。その意味で本書は、史料の海でもがき続けた私の二十代の集大成であります。
本書のあとがきにも記したように、日中関係をめぐる議論は、独特の熱気を帯びることが少なくありません。過去も現在も変わらず、日中両国を取り巻く問題はあまりに巨大です。われわれが日中関係の過去を振り返る時、その巨大な磁場に引き寄せられ、中国を好む者も嫌う者も、いつしか熱を込めて感情的に語るようになるのです。それは永井陽之助氏の言葉を借りれば、「中国を語ったつもりで、実は己自身を語ったに過ぎなかった」ためかもしれません。私が目指したのは、こうした熱気から距離を置き、対象を突き放した醒めた目で戦後日本の中国外交を描くことにありました。
とはいえ、改めて本書を読み返してみて、果たしてこうした試みがどこまで達成できたのだろうかと思います。歴史家は物語の結末をあらかじめ知ることができる意味では気楽な存在です。しかし、中国といかに向き合うかを真摯に考え続けた人々の営為を追体験することは、その時々にぎりぎりの判断を強いられた彼らの苦悩を共有することに他なりません。とりわけ、外交の現場におられた方々へのインタビューを重ねるにつれて、あたかも自身がその場にいたかのような錯覚を覚えることもありました。本書の執筆に際して、「客観的」な政策分析を志向しながらも、いつしか吉田茂、佐藤榮作、周恩来といった政治指導者の心情に深く入れ込むようになったのは、私もまた熱気にあてられたせいかもしれません。
サントリー学芸賞という重い賞を頂いたことが、これからの私の研究にどのような影響を及ぼすのかまだ予想もつきません。ただ、今後も戦後と呼ばれた時代を対象に、生の史料に向き合い、聞き書きを重ねていきたいと思います。そして、本書が私の研究人生の到達点ではなく、出発点であったと言われるように、今後も一層の精進を重ねて参りたいと思います。

古川   隆久(ふるかわ   たかひさ)(日本大学文理学部教授)
『昭和天皇   ――   「理性の君主」の孤独』(中央公論新社)

拙著『昭和天皇』が、このような栄誉を受けることになり、感慨無量です。選考委員の先生方やサントリー文化財団に対し、厚くお礼申し上げます。
昭和史研究を志した学生時代から、昭和天皇には研究対象として関心を持っていましたが、史料公開や昭和天皇研究の進展を背景に、満を持して本格的に研究し始めたのは4年ほど前、本書執筆の話が決まったのは3年ほど前のことです。それからは、昭和天皇についての学術論文の執筆と並行して、昭和天皇の全生涯について、昭和天皇が学んだ教科書から、君主のあり方や政治・憲法についての部分と、日記などの一次史料から本人や側近の発言を書き抜く作業を進め、昨年の夏に一気に執筆しました。
研究を進める過程ではいつもそうなるのですが、史料の書き抜きを眺めていると、自然と一つのかたまりとしての史料群から書くべきことを語りかけてきます。個々の史料は解釈次第で意味合いが変わってくるかもしれません。しかし、多数の史料と精緻な先行研究の数々が織りなす網の目の中に置かれた個々の史料は、読む側の勝手な解釈を許しません。
小生が行うべきは、史料のかたまりが自然と浮き彫りにしてくる歴史像を、いかに的確に言葉にするのかということでした。そしてその過程では、小さなことであれ必ず新しい発見があります。これらはまさに歴史学研究の醍醐味であります。今回もその楽しみを存分に味わうことができました。
しかも、今回の受賞は、こうして出来上がった拙著が、昭和天皇、ひいては近現代の皇室や日本、さらには人間社会における政治や王権について考える上で、ささやかながら貢献し得る可能性を認めていただけたという意味で、歴史学者のはしくれとしてこれに過ぎる喜びはありません。
日本近現代史研究の意義は、なぜ太平洋戦争のような惨禍が起きてしまったのか、そしてその後、日本はいかにして現在に至ったかという二つの課題を通して、人類社会における日本という地域の意味を問うていくことにあると考えます。私は、今回の受賞を励みとして、微力ながら、今後もさまざまな視点からこの課題に取り組んでいきたいと思います。
これまで、小生の研究・教育活動に対し、ご指導・ご鞭撻・ご支援くださった多くの方々や諸組織、そして、同業者として助言を惜しまなかった妻をはじめ、いつも応援してくれている家族・親族に感謝の意を表するとともに、これからも皆さまのご指導・ご鞭撻・ご支援をお願い申し上げまして、受賞の言葉といたします。

<芸術・文学部門>

大和田   俊之(おおわだ   としゆき)(慶應義塾大学法学部准教授)
『アメリカ音楽史   ――   ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』(講談社)

あとがきに記したとおり、拙著はもともと大学の講義として企画されました。ブルースやジャズ、ロックンロール、ヒップホップなどの音楽を「アメリカ文化」という枠組みで論じたい、と思ったのがことの発端です。
しかし、大学生に向けてこうした音楽について語ることには独特の難しさがありました。受講生のなかにはジャンルによって教員よりも遥かに詳しいものもいれば、さほど音楽に関心がない学生もいます。音楽の知識がほとんどない学生にブルースの面白さを伝えるにはどうすればいいか、またヒップホップしか聞かない学生にジャズの魅力を語ることはできるのか、そもそもこうした音楽を「学術的」に論じる意義はどこにあるのか ―― このような問いと日々格闘しつつ、学生の反応を見極めながら講義の内容を少しずつ修正していったのです。拙著が学会を越えて一般の音楽ファンにも届いたとすれば、それは講義に対するコメントを毎回提出してくれた学生たちのおかげです。
その後、コロンビア大学客員研究員としてニューヨークに滞在する機会をいただき、講義の内容をまとめることができました。アメリカのポピュラー音楽史を執筆するのに、ニューヨーク以上にふさわしい街はないでしょう。ダウンタウンのグリニッジ・ヴィレッジにはボブ・ディランが当地で初めて出演したライヴハウスがあり、そこから東に歩くとニューヨーク・パンクの聖地、CBGBの跡地が全盛期の面影を残しています。ブロードウェイを北上すれば、若きキャロル・キングやバート・バカラックが作曲に励んだブリル・ビルディングが聳え立ち、ハーレムのアポロ・シアターには明日のスターを夢見るアフリカ系アメリカ人が現在も数多く出演しています。さらにブロンクスに足を伸ばせば、ヒップホップ誕生の地をこの目で見ることもできるのです。私は執筆に行き詰まるたびにこうした場所を訪れ、アメリカが育んできた多様な音楽文化の歴史に想いを馳せました。
拙著はこれまでのアメリカ研究とポピュラー音楽研究の蓄積の上に成り立っています。とりわけ三井徹先生をはじめとして、日本のポピュラー音楽研究の発展に尽力されてきた先生方の業績がなければ、そもそも拙著がこのような栄誉ある賞の対象になることすら考えられません。この受賞を励みに、少しでも学会の進展に寄与できるよう今後も研究と執筆に邁進したいと存じます。最後になりましたが、サントリー文化財団および選考委員のみなさまに心より感謝申し上げます。

輪島   裕介(わじま   ゆうすけ)(大阪大学大学院文学研究科准教授)
『創られた「日本の心」神話   ――   「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』(光文社)

今回受賞の栄に浴した拙著『創られた「日本の心」神話   ――   「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』は初めての単著だが、ここに至るまでに、若造なりに遠回りをしてきたように思う。最初はブラジル音楽に魅了され、その研究を志した。やがて、「異文化の音楽」に魅了されることへの反省的な関心から、日本の非西洋音楽への愛好および研究が、欧米のそれに比して微妙に異なる自意識を有していることに気がついた。つまり、日本では「民族音楽」や「ワールドミュージック」は、単なるエキゾチシズムというよりも、「既に失われた、あるいは未だ獲得されざるわれわれ自身の国民的・民衆的な音楽」への渇望の反映として聴かれ、語られてきたようだ、ということだ。そして私自身もそのような意識を内面化した音楽マニアとして「異郷」に憧れていたのかもしれない、と思い始めた。そこで日本の音楽的伝統を再発見した、ということならばよくある話だろう。しかし、私にとって幸いだったのは、私が愛好する南米、カリブ、アフリカのポップ音楽はほとんど、自明なものとして想定しうる「伝統」を根絶やしにされた地点から創出され真正性を獲得したものであったことである。そしてそれらの音楽の創出過程に関する研究書が、ここ20年ほどの間に主に英語圏で続々と刊行されていることもわかってきた。その問題意識を引き継ぎ、単純な「歌は世につれ」式ではない批判的な近代日本の大衆音楽史が可能なのではないか?
こうして地球の反対側から日本に到達したのだが、「演歌」に至る道のりも近くて遠かった。1970年前後に「演歌」ジャンルが成立した、という事実には早くに気づいたが、その創出がいかに、何のためになされたかを調べるうちに、あっという間に数年が経った。その間常勤職を持たず、論述の中では批判的に言及した「ルンペン・プロレタリアートに同一化する亜インテリ」の立場に、苛立つ自分自身を重ねてしまうこともあった。
ようやく出来上がった拙著は、新書にしては長大で筋書きもそれほど単純ではないが、専門書としては形式的な厳密性を欠き、個人の嗜好に基づく饒舌もあえて厭わない、という奇妙なものになった。今回、望外の受賞の報に接して、大衆文化研究の成果を広く社会に問う上では、こうした折衷的な形態もあながち間違っていなかったかもしれない、と思い直した。何にもまして、大学2年の私を初めてのブラジルの旅に誘った『オーパ!』の著者、開高健氏が選考委員を長く務められた芸術・文学部門での受賞を、この上なく光栄に思っている。選考委員の皆様および関係各位に深く感謝を申し上げたい。

<社会・風俗部門>

小川   さやか(おがわ   さやか)(国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員)
『都市を生きぬくための狡知   ――   タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(世界思想社)

このたびは、サントリー学芸賞という栄えある賞をくださり、大変嬉しく存じます。財団および選考委員の先生方に心よりお礼申し上げます。
文化人類学と地域研究はいずれも、フィールドワークを重視しています。私が楽しそうにフィールドの話をするせいか、よく後輩や学生にフィールドワークのコツや秘訣を聞かれます。教える立場にあるときには、「止まっているものは測り、動いているものは数える」「フィールドでは勉強したことを賢く忘れる」といった恩師や先輩方からのことばに、自身の体験談と人類学の議論を織り交ぜて答えるようにしています。でも人生にマニュアルがないように、未知なる世界との出会いであるフィールドワークにも「こうすれば完璧」という方法論はありません。フィールドワークには知識だけでなく、偶然を愛し偶然を生かす知恵が必要です。拙書のテーマである「賭け」は、何より私自身のフィールド経験に根差しています。
拙書は、タンザニアの零細商人マチンガが日々を生きぬくために駆使する狡知に光をあて、彼らの商慣行や商実践、仲間関係について描いたものです。マチンガの狡知は私にとって、長年の二つの疑問を考えるきっかけになりました。一つは、「助ける ― られる」「愛す ― される」「怒る ― られる」といった「与える ― られる」にかかわる不均衡なやり取りを、負い目を生じさせることなしに、権利や義務にもせずに、開放的で自由で対等な世界観のうちにつづけていくにはどうしたらよいか、という問いです。もう一つは、ごまかしや、かっこつけ、はったり、逆ギレ、コケ脅し、愛想笑い、聞き流し、硬直、逃避…といった行為を、人類社会をつくり動かしている原動力として、いま私たちが生きる社会について考えたり語ったりするときの中心に据えるにはどうしたらよいか、という問いです。拙書で提示したかったマチンガの世界は、どこでもいつでも存在しています。それを知っているか知らないかで社会の見え方が少しだけ異なるにすぎないのだと思います。そして私はこの世界を知っているほうが、いま私たちが生きている世界の見え方が豊かになると思っています。
最後に、できないことばかりの私を支えてくれたマチンガ、アフリカや人類学を愛する先生方、編集者の望月さん、先輩方や友人の皆さま、家族に改めて厚くお礼申し上げます。拙書はまだ粗削りで課題は山積みですが、新たに挑戦したいテーマもたくさんあります。この受賞を励みとしてこの賞に恥じない研究をしていきたいと思っております。

<思想・歴史部門>

隠岐   さや香(おき   さやか)(広島大学大学院総合科学研究科准教授)
『科学アカデミーと「有用な科学」   ――   フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ』(名古屋大学出版会)

この度、拙著に伝統あるサントリー学芸賞を賜るとのお話、誠にどうもありがとうございます。驚きと共に、身に余る光栄と感じております。同時に、今年を振り返り強い感慨を覚えております。
本書が刊行されたのは2011年2月末日、東日本大震災が起きたのはその直後のことでした。津波の甚大な被害に加え、それが原発事故と結びついたことで、震災は科学技術史を専門とする者に鋭い倫理的な問いを突きつけました。我々は科学と社会について今まで何を語ってきたのか、これからどうすればよいのか。当初の混乱がある程度まで収まってきたとき、訪れたのはこのような問いでした。
その意味で本書は、震災前という「一つ前の時代」に書かれた書物といえます。しかも内容が18世紀フランス科学史であるため、特に3月の頃は、己の著した文章が牧歌的なものに見えていたたまれない気持ちがしたものでした。しかしその後、予想外にも一部の方々に、「科学の専門家が果たす役割」という震災後の文脈と重ね合わせて読んで頂ける幸運を得ました。そのとき頂いたお言葉は忘れがたいものばかりで、今でも思い出すたびに感謝の念に堪えません。
本書で扱ったパリ王立科学アカデミーは、「科学者」という存在が職業として成立する直前に誕生し、その後の近代的な科学の制度化に影響を与えた組織です。今とは異なり自然科学が社会的な認知を殆ど得ていなかった当時、同アカデミーは自然科学の研究者共同体があるべき姿を定義しようと腐心し、一世紀以上の時をかけて、一定の権威と、国家からの相対的な自律性を獲得していきました。それは人間精神の自由と解放を謳った啓蒙思想の営みとも重なる部分を持ち、事実、近代社会が成立するにあたり、自律した科学研究活動の場がこうして保証されたことは、重要な意味を持っていたと私は考えています。しかしその結果として科学者共同体は、政治権力と密接な関係を持つ新しい特権階級としての特徴をも有していくことになったのでした。
このように、科学と権力、そして社会の関係はその黎明期から既に葛藤に満ちており、それは近代が当初から抱えた宿命であったともいえます。ではこのことについて今後どう考えていけばよいのか。現時点で私に明確な答えがあるわけではありません。ただ一研究者として思うのは、今後の自分の仕事を考える上でも、この類の「葛藤」をなるべく見過ごさないようにしたいということです。そのような姿勢をもって、まずは地道に18世紀を中心とした科学史研究を続けていきたい。そして、これからの私の仕事が、過去に生きていた人々の声とそこにあった複雑さとを伝えることに、ほんの僅かでも貢献できるとしたら、歴史家としてこれに勝る喜びはありません。

伊達   聖伸(だて   きよのぶ)(上智大学外国語学部准教授)
『ライシテ、道徳、宗教学   ――   もうひとつの19世紀フランス宗教史』(勁草書房)

過去の受賞者のお名前を拝見していて、サントリー学芸賞は、各部門の若手および中堅の有望株に送られる賞である、というイメージがありました。どうしてもそのイメージと自分がつながらないところがあり、嬉しさをかみしめつつも、なかなかその違和感を拭えずにいるところです。他方、選ばれる作品は、専門外の読者にも開かれた、良質の日本語で書かれた本という印象があります。拙著がその基準を満たしていると評価していただいたのであれば、そのことは、宗教学という学問を通してライシテを研究してきた私のレゾン・デートルにかかわるもので、このうえない喜びです。
宗教学は「宗教とは何か」を問う学問ですが、宗教が自明である対象に向かい続けていると、この根源的な問いを見失うことがあります。その意味では、宗教とその周辺を研究するほうが、往々にして宗教学にとっての本質的な問いに迫ることができるわけです。しかし、そうすると今度は、もはや宗教学とは呼べなくなってしまうような地点が出てきてしまうのです。ところで、このジレンマは、宗教学者の一部は強く共有しているのですが、はっきり言ってしまうと、宗教学の外にいる人には別にどうでもよい問いです。
私が受賞作において試みたことのひとつは、フランス革命後の共和国市民の社会化を根本で担っていくことになるライシテの道徳を対象に据え、異種混交的なアプローチで分析を加えることで、宗教学の〈内〉に対しても〈外〉に対しても通用する議論の場を構築することでした。
そのような課題と格闘するうちに、私は大学でフランス語やフランス語圏の政教関係などを教える人間になっていました。フランス語教育を通じて、宗教学やライシテ研究の魅力を語りたいと思っていますし、私自身がその魅力にとりつかれています。
「ライシテ」は、フランス特有の政教関係を規定する言葉とされますが、なかなか日本語にしにくい概念です。多面性を持ち、共和国イデオロギーの代名詞かと思えば、それを批判する議論の拠り所にもなります。フランス以外にもあります。トルコでは、ライシテが軍部と、イスラームが民主主義と結びつく傾向があります。カナダのケベック州では、公共空間で宗教を表明することが、ライシテの名において承認されます。今後の抱負としては、このように複雑なライシテを、日本語でどう説明できるのかを模索しつつ、日本のライシテはどのような形において存在してきたのか、これからはどうなるのかを考えていきたいと思っています。



以上

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