奥本大三郎の“虫の目エッセイ” 第一弾 丹沢編

三、 昆虫相調査、丹沢の実情

<後編>

養魚場

イワナとニジマスの養殖場を通り過ぎて車を降り、鉄柵を越えて山道をゆっくり歩き出す。標高は500メートルを超えている。

それにしても虫が少ない。路上の水たまりに蜂が来ている。スズバチ、キイロスズメバチ、コガタスズメバチ、その他、ツチスガリの仲間らしい、ごく小さな狩りバチがみられるだけ。

ちらちらとシャクガ、ヒトリガの仲間と思しき白い蛾が飛ぶ。これらをある程度採集するには、夜間採集をするしかあるまい。人工の明かりというものは昆虫にとっては、理解の出来ない物であって、人間がこんなものを開発したために、どれほどの虫が無駄に命を落としたことであろうか。ことに近年の水銀灯などというものは大規模な殺虫装置である。虫としては、ああいう波長の灯をみれば、そっちのほうに、不可避的に惹きつけられてしまうのであるから、不可解であるのみならずじつに殺生なものである。最近ガソリンスタンドなどでは虫のあまり来ないオレンジ色の明かりにしているが、虫の側から言えば大変結構なことである。

それはさておき、夏枯れということもあるだろうけれど、もう秋の蝶が出ていいころなのである。それなのに、蝶は随分少ない。キチョウ、テングチョウ、カラスアゲハぐらい。筆者はカラスアゲハの雌を一頭採集したが、それが異様に青味の強い、美麗個体なのである。

「これ、まるでトカラか、八丈島の血が混じっているみたいだね」

「ほんと、八丈のDNAだ」

と皆が言うので、飼育採卵することにした。この母蝶からはその翌年、あまり綺麗でない成虫が出た。我々のファーブル昆虫館の狭い土地に、カラスアゲハの食草である、カラスザンショウが植えてあるから、卵さえ産ませることに成功すれば、飼育は容易である。

今年は全国で異様に、蝶を始めとする虫の少ない年のようである。ジャノメ、ヒカゲの仲間を見ないのはこのあたりにササが少ないからか。

ただ暑いだけ。鳥の声も聞こえない。鳥は河原でセキレイを見かけた。周りの山を見ると、モミの巨木とスギの植林ばかりで、花も咲いていなければ、鳥の食べるような実もなっていない。(その後、この状況はすっかり改善されていた。)

シカの食害を避けるために、杉の幹に金網が巻きつけてある。ところどころに、広葉樹の苗が植えてあり、筒状の金網で囲んである。

少し広い空間があるとオニヤンマがテリトリーを張っている。かと思うと、沢から道を横切って渓川のほうに降りていく個体がいる。雌が渓流で産卵するからであろう。

それにしても虫が少ない。今年は春先からずっと虫が不作の年であったが、ここにきてもそのことを思い知らされる。

一通り山道を歩いて採集し、まあ今日はこんなもんかと引き返す。ニジマスの養殖場まできて魚を見ると、ニジマスばかりではなくイワナもいる。大きな、いわゆる尺岩魚である。養殖なればこそ、であろう。天然もののこんな奴をもし釣ったら、腰を抜かしそうになる、と思われるのがうようよいる。魚を見ていたら食いたくなった。

「ニジマスとイワナで味がどんな風に違うか試してみようか」

と私が言った。我ながら食い意地が張っているという気はするが、誰も反対しない。遅い昼飯にする。シーズンオフの養殖場には他に誰も客がいず、持ち主らしい親父と若者が冬越しの支度をしている。若者の話では、夏にはミヤマクワガタがたくさん灯りに来ると言う。

仲間の一人がその人たちと交渉して両方の魚をなんだかずいぶん安く分けてもらったようである。ついでに薪をもらい、キャンプ場の炉も使わせてもらう。話を済ませて、彼がひっひっひと笑いながら戻ってきた。

「おじさん、魚のワタ抜いてくんないかって言ったら、そこまで面倒見きれねえよ、自分でやんなって言われたよ」

とまだ笑っている。この人は、昆虫採集に行っても農家の人なんかとの交渉が上手というか、付き合いに慣れていて、私有地での採集を許してもらうだけではなく、いつの間にか仲良くなって畑の物を「持ってきな」とどっさり渡されたり、山菜なども「好きなだけ採ってっていいよ」と言われたりするようである。

実際農家の人にしても、どこかの国の資源ナショナリズムのように、よそ者に地元の蝶を採られて悔しいと思っているわけではないのだ。もちろんそういう人も少数はいるけれど、それより採集者の行儀の悪いのが許せないのだ。きちんと挨拶をして礼儀さえ守ってくれればいいのである。黙って他人の土地に入り込んで蝶採りに夢中になるあまり畑を踏み荒らしたり、農道の真ん中に邪魔な車を止めたりされれば誰だって腹が立つであろう。

魚が焼けるまで私はオニヤンマ採りに専念する。この養殖場を横切って細流がひとすじ流れており、そこにさっきからしきりにオニヤンマが飛んで来る。雌が産卵に訪れ、それに誘われて雄が来るのである。

老眼になってからバッティングセンターに行っても蜻蛉採りをしても、腕の衰えを嘆くばかりであるが、オニヤンマの場合は飛び方が決まっているから、最初の一、二回空振りはしたものの、後はそれこそ、昔取った杵柄で、次々に網に収める巨大やんまのバサッじゃりじゃりと採った瞬間の手ごたえは何にも変えられない。これで昆虫館の展示には困らない。

エメラルドグリーンの大きな複眼に、黄と黒の横縞のこのやんまは、世界的に見ても最大級の蜻蛉であって、よくぞこんな虫が日本にいてくれた、と感謝したくなる。まさに日本の名昆虫の一つである。そうだ、ヤマトタマムシ、オオクワガタ、オオスズメバチ、ハンミョウ、オオムラサキ、ギフチョウ、オオスカシバ等をずらりと並べ、ちゃんとした解説をつけて「日本の名昆虫」という展示をやろうと思いつく。

立派なやんまをいくつも採って、いい気分になり、さてそろそろ魚が焼けたかな、と炉のほうに戻ると、例の仲間が煙と闘いながら奮闘している。遠赤外線か何かの作用で、芯まで火が通るのにはもうあと少し待たねばならない。まずビールで乾杯。おむすびとチキンの空揚げ、サラダが並んでいるのはいつものとおり。さて味覚的比較研究の対象の、イワナとニジマスについてはどうであったか。両者ともに焼きたてでなかなかの味であることはわかったが、どちらがどう、ということについて、細かいことは今書こうとしても、もう忘れている。いずれまた確認のうえ報告書を書くことにしたい。

奥本大三郎

ボードレール、ランボーなどの象徴派詩人の研究を専門とするフランス文学者。
埼玉大学教養学部名誉教授、大阪芸術大学文芸学部教授。
幼少より虫を愛好し、日本昆虫協会会長、日本アンリ・ファーブル会理事長、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」館長を務める。1995年「楽しき熱帯」でサントリー学芸賞受賞。サントリー世界愛鳥基金選考委員にも名を連ねる。