奥本大三郎の“虫の目エッセイ” 第一弾 丹沢編

二、 水はすぐ流してしまわずに、楽しむべし––エンジョイ・ウォーター

<後編>

ところで、農地改革は実施されたが、林野解放は実施されなかった。山林地主のほうは土地を取り上げられることが無かったのである。もともと山の土地は価格が安く、地主は広大な地所を所有していることが多かったが、平地の田畑におけるほどの地主と小作の過酷な関係はなかったようである。

トサカグンバイ:軍配の形をしたセミやウンカの仲間の小さい虫。葉の汁を吸い、街路樹の害虫となるものもある。(プラタナスグンバイなど)

実を言えば私の母方の実家は京都のその山林地主であったが、林野解放がなくて助かったと、よく言っていた。失敗ばかりの事業家で、発明家の母の兄、つまり私の伯父は、その山を切り売りしては事務所経営の資金にしていたということである。「おかげで、女学校にも行かせてもろうたんやわ」と、明治末年生まれの母は言っていた。

戦後の勤勉な植林活動の後、しばらくして外材の輸入が許可された。すると、外国から安価な材木がどっと入って来たために、人件費の高い日本の林業はたちまち成り立たなくなった。しかし、そうなったのは、とりもなおさず、コメとは違って、山持ちの人数が少ない、つまり、山林地主が選挙の票にならなかったからだと思われる。そのために国産の材木の場合は、コメのように政治家が守ってくれなかったのであろう。

日本中の山で人工植林のスギが大きくなった。もともと枝打ちと間伐を予定して密植してあったために、山は真っ暗な密林となり、日が差さないゆえに林床にはほとんど何の植物も生えないという状態になってしまった。スギ、すなわちクリプトメリア・ヤポニカという、ただ1種の植物が、結構広大なこの国土の四割近くを不健康な状態で覆うという、異常事態になってしまったのである。

スギ林の林床、林縁の植物は全滅状態と言ってもいい。だから、それを食餌植物とする昆虫などは激減した。ギフチョウがその最も目立つ例であるが、世間は、マニアの乱獲が原因と言った。そのほうが分かりやすい。

スギの様な針葉樹林は概して保水力が弱い。雨が降っても雨滴はすぐ滴り落ちてしまうし、その上、根も意外に貧弱で、大量の雨水を何週間も保持する力は無い。近年のゲリラ豪雨とかで、地滑りの様に山や住宅が崩れているところをテレビの映像で見ても、その周りはほとんどがスギの林である。しかもそれが利用されていないのはすでに述べたとおり。

針葉樹の山に降った雨はたちまち河川に集中する。だからこの雨水を出来るだけ早く海に流してしまわなければ、と土木工学の専門家は考えたようである。そのために川は三面張りで真っ直ぐなのがよい、ときわめて単純明快である。

水害対策上、水は利用せずに出来るだけ早く海に流してしまうのが正解、という考えが広くはびこっているところに、中央から予算が下りて、仕事のための仕事が発生すると地元が潤った。そうなると自然環境もヘチマも無い。

河川にダム造りの仕事をしたら、海岸の砂浜がなくなった。それで、日本の長い海岸線にも護岸工事をしてまた仕事が発生した。それでアサリもハマグリも獲れなくなって北朝鮮から輸入しているという。

水田の面積が広く、米作りが盛んな時代には、水は海に流れて行くまで長いこと保持され、有効活用されていたわけであるが、その次の時代には、河川は出来るだけ真っ直ぐにして、土にもしみ込まないよう、早く流れてしまうよう護岸工事をするようになったわけである。川幅が狭ければ、既製品のコンクリート製の巨大な樋の様なものを沢山運んできて川底に繋ぐように並べて設置すればいちばんてっとり早い。

東北のある県では、江戸時代からの農業用水路で、両岸に柳の老木がびっしりと根を張り、水中にはタナゴやフナや水生昆虫がうようよいる見事な環境が、重機を使ってバリバリと破壊され、あっというまに白い水洗便所のようにされるところを目のあたりに見た。近隣の農家は、高速道路の補償金と減反の補助金とで、働かなくともよいという。妙に働くとその分損をすることになる。田畑などで働く人はいなくて、朝からパチンコ屋で過ごすというのであった。もっと離れた所ではその上に原発の補償金まで入るのだと聞いた。

奥本大三郎

ボードレール、ランボーなどの象徴派詩人の研究を専門とするフランス文学者。
埼玉大学教養学部名誉教授、大阪芸術大学文芸学部教授。
幼少より虫を愛好し、日本昆虫協会会長、日本アンリ・ファーブル会理事長、ファーブル昆虫館「虫の詩人の館」館長を務める。1995年「楽しき熱帯」でサントリー学芸賞受賞。サントリー世界愛鳥基金選考委員にも名を連ねる。