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クラブハウス

2006年12月5日 YELLOW FLAG PROJECT
YELLOW FLAG TALK 第1回「大久保直弥―朝日健太郎―水原恵理」

イエローフラッグの活動テーマである「参加と交流〜勇気と友情」をテーマに、サンゴリアスの大久保直弥選手、日本を代表するビーチバレープレーヤー朝日健太郎選手、そして、テレビ東京でアナウンサーとして活躍する水原恵理さんに語っていただきました。

大久保直弥―朝日健太郎―水原恵理 画像1

◆1つのスポーツをずっと続けるのはすごい

—— 大久保選手、朝日選手、それぞれどういう経緯で今やってるスポーツにたどり着いたんですか?

大久保直弥 画像1 朝日健太郎 画像1 水原恵理 画像1

直弥:いろいろなスポーツをやっていたらラグビーにたどり着きました。両親がスポーツをするのも見るのも好きだったようで、母親はバレーを、父親は野球とテニスをやっていました。その影響で、とにかくいろいろなスポーツをやりました。

朝日:高校でバレーをやっていて、大学からラグビーを始めたんですよね。

朝日健太郎 画像2

直弥:バレーのセンスがなかったんです(笑)。

朝日:それまでラグビーはやったことはなかったんですか?

直弥:全くありませんでした。

水原:ラグビーって高校から始める人が多いですよね。

直弥:最初はアメフトをやりたかったんですよ。

水原:大学から始めて日本代表になってしまうというのはすごいことですよね。

朝日:体はもともと大きかったんだっけ?

直弥:バレーの中で見れば、骨格が大きかったですね。

朝日:そうだね、俺とか細いもんね。縦に長いだけで、ぶつかる系のスポーツなんて全然想像できなかったな。小学校の頃はサッカーやっていて、当たりが弱くてダメで、走るのもダメで、ダメダメダメという中で、バレーに来たという感じでしす。

直弥:僕はラグビーやるまでぶつかる系が得意ということすら知りませんでした。偶然ですよ。高校は大学の付属校(法政二高)だったんですが、仲の良かった友達がアメフト部に多かったので、大学に行ったらアメフト部に入ろうと80%決めていました。そんなとき、バレー部の監督がラグビー好きで、ちょっとラグビーも話を聞いてみろってことで話を聞いたんです。ラグビーじゃなきゃいけないっていうことでもなかったですし、もしかしたらバレー部に入って健太郎の球拾いしてたかもしれませんね。始めたスポーツをやりきるという美学もあるんじゃないですか。僕はあまり深く考えずにラグビーに転向しましたが、1つのスポーツをやりきるのもすごいことだと思います。

大久保直弥 画像2

朝日:そう。1つのスポーツをずっと続けるというのはすごいと思う。僕もインドアからビーチに転向した時にいろいろ悩みましたよ。

直弥:インターハイで朝日健太郎率いる鎮西高校(熊本)にボロ負けして、こいつらと一緒にはできないだろうと思いました。

水原:ポジションはどこだったんですか?

直弥:センターでした。

朝日:二高とやったのは覚えてます。なんか試合前ラジカセで音楽流してダンスしていたのを覚えてて(笑)、都会的なチームだなと思っていました。

◆曖昧な気持ちから飛び出した

朝日:僕は部活スタートですから、これだけ競技がある中で、バレーを続けてきましたが、バレーが好きで好きで仕方ないということはあまりなくて、トントン拍子で来てしまったという感じですね。始めたキッカケが部活だったので、気持ちに余裕がありました。別にバレーじゃなくてもいいという気持ちの余裕があったので、逆に続けてこれたのだと思います。ビーチに転向したのも、そういった曖昧な気持ちから飛び出したという感じがあります。みんなからは「全日本で活躍して目立ってるね」って言われますが、それが目標でもなかったし、心底欲しいものでもありませんでした。それで、次何やろうかなと思ってたところにたまたまビーチからの誘いがあったんです。ちょうどその時は気持ち的に息詰まっていたところでもあったので転向しましたが、もしその誘いがなかったら、今でもインドアでやっていたんじゃないでしょうか。

水原:サッカーや野球って子供の頃から英才教育を受けた選手がそのままプロになって活躍するというケースが多いですが・・・。

朝日:そうですね。サッカーや野球は背中を見る、目標となる選手がいてくれるからという部分もあると思います。バレーはまだそこまでスター的な選手はいないし、プロという意識もあまり高くないですね。

—— 水原さんも抜群の運動神経でラグビーもやり、ビーチバレーも上手いですね

水原恵理 画像2

水原:うちは父親がラグビーの監督をしてたので、スポーツ一家でした。子供の頃から少年野球やったりサッカーやったり、球技ばっかりやってました。母親が男の子が生まれたら可愛い女の子のような子を育てる、女の子が生まれたら活発な男の子のような子を育てるといっていたらしく、私は活発な男の子のように育てられたんです。お兄ちゃんはピンクの服を着せられて、私は紺の服を着せられてたりしました。少年野球も男の子に混じってやってました。家族の影響って大きいですよね。小学校1年生の時に野球をしていたんですが、引っ越しをして、引っ越した先の少年野球チームには女の子だから入れてもらえず、学校でバレーボールを始めて同時にサッカーもしてました。中学校からはサッカー部がなかったのでバレーに絞ってやっていました。中学の卒業アルバムには夢は実業団でバレーをやるって書いてました。けど、身長が足りないから高校でホッケー部に入りました。ミニ国体のメンバーにも選ばれましたが、大学では父親に冗談でラグビーの練習に行ってみろと言われて、真に受けて行ってみたらはまってしまって、女子ラグビーを始めました。

直弥:ポジションはどこですか?

水原:フルバックかウイングです。

朝日:女子もスクラム組むんですか?

水原:組みますよ。中学生の男の子と試合したりもしてます。勝ちますよ。

直弥:ニュージーランドでは女子ラグビー盛んですよ。高校生の男の子でも勝てないと思いますよ。で、どうしてそこから女子アナになったんですか?

水原:ホッケーは先が見えませんでした。社会人でチームを持っているところもありましたが、あまり光の当たる舞台でもなかったですし、そこで続けるのも逆に辛いなと思いました。兄がスポーツメーカーに務めていたので、私もスポーツメーカーに行こうかなと思っていましたが、アナウンス試験が先にあったので受けました(笑)。そしたら受かっちゃって、それでスポーツを希望しました。

◆ドロドロになるのが新鮮

朝日:それだけスポーツやってきてたら結構詳しいよね。

水原:ルールとかはある程度は知っていましたね。

朝日:運動神経もいいんでしょうね。

水原:お二人に比べたら足元にも及びませんよ。

朝日:僕はよく、どうしたら運動神経は良くなるんですかと聞かれますが、僕はいつもこう答えてます。僕は走るのも苦手だし、運動神経は良くないんですよって。どうしたら大きくなるんですかという質問には、よく寝ることだと答えてます。よくちびっ子に触れる機会があるんですが、「何時に寝てるの?」と聞くと、「12時」なんていう答えが返ってきてびっくりします。

朝日健太郎 画像3

—— 水原さんは自分がスポーツ選手になりたいということはなかったんですか?

水原:小学校の卒業アルバムには野球選手になりたいって書いてたし、中学校は実業団バレー部って書いてましたが、自分の限界点を見てしまってからは無理だと思いました。全国大会によく出る選手や、女子の日本代表選手などと触れあう機会が増えてからは、体つきなど根本的に持っているものが違うと思い、無理だと諦めました。

—— 水原さんから見て、ラグビーとバレー、それぞれどういった面白さがありますか?

水原:ラグビーの方が人と人とのつながりが濃いですよね。

直弥:どっちがキツイ?

水原:キツイのは、ラグビーですかね。けど、練習がキツイのはバレーですかね。どっちでしょう。バレーボールはチームプレーでありながら個人の要素が強くないですか?

直弥:結構やってる人間の性格も違いますよね。

水原:そうですね、バレーは繊細ですね。朝日選手は違うからビーチバレーに転向したんでしょうか(笑)。

直弥:ラグビーはドロドロになるのが新鮮です。だから僕は合っているんですかね。普通はドロドロになって気持ちいいとは思わないですよね。

水原:私はバレーをやっていた時はバレーがいちばん楽しいと思っていましたが、遡って考えてみるとぶつかるスポーツの方が自分に合っていたんだなと思います。バレーボールはネット越しに相手がいるのでぶつかることはないですが、ラグビーは体と体がぶつかるので、全てそこにぶつけることができてスッキリするんです。

水原恵理 画像3

直弥:ラグビーもホッケーもそうですけど、体をぶつけられたときに、痛いって思うか、クソーとか悔しいって思うか、水原さんはクソーって思う方なんでしょうね。そういう人はラグビーに向いてますよ。

水原:そうですね。コンタクトにいった時は気持ちいいですね。

—— 競技によって性格というかタイプが違ってきますね

水原:プレースタイルや相手選手との距離感から来るんでしょうね。

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