かけがえのない実戦経験を重ねた2年目のシーズン

— 2015/16V・プレミアリーグでは、開幕5戦目のジェイテクト戦で、途中から出場して流れを変え、それ以降、先発に定着。しかし1月に左ふくらはぎを痛めて離脱することになりました。2年目の今季は星谷選手にとってどんなシーズンとなったのでしょうか?
出場機会が増えたことはすごくよかったですし、その中で活躍できた試合もあったので、非常にプラスになる経験を多くできたと思います。とにかく、自チームでよく知った選手と練習するだけでなく、対相手に試合ができて、「このチームに対してはこうしたほうがいいな」ということを、ネットを挟んで感じられたことが大きかったですね。やはりチームによって特色がありますから。怪我については、しょうがないところもあったので……。
— ポジションをつかんだところでしたから、最後まで出たかったのでは?
それはもう、自分が100%動ける状態ならやりたかったですけど、チームに迷惑はかけられませんから。でもやっと怪我も治って、今はもう普通に練習できています。
— 実績のある山村選手、鈴木選手に加え、今季は星谷選手が先発に入ったり、終盤は塩田選手が活躍したりと、改めてミドルブロッカーの層の厚さを示しました。
そうですね、層が厚いというか、みんな個性が違いますよね。タイプが違う、というのはお互いに思っていることなので、誰がAチーム誰がBチーム、というより、パズルを組み合わせるように、この相手にはこの選手がフィットするな、というふうにしても面白いんじゃないかなと個人的には思っています。
— 星谷選手から見て、他の3選手の個性とは?
(山村)宏太さんは何と言っても205cmの身長があるので、ちょっと背伸びしたらある程度手が出ちゃう。だからしつこいブロックができるし、経験や高さを活かした安定感のあるプレーは健在ですよね。鈴木さんは、宏太さんほど背が高くはないですけど、腕が長いし、太いので、相手の真ん中の攻撃に対するブロックはナンバーワンだと思う。塩田さんは、高さは突出してはいないですけど、“万能”というのが一番の強みで、計算のできる選手だと思います。
— その中で星谷選手の個性は?
返球が少し乱れた時の相手の攻撃に対するブロックには、わりと自信があります。逆に苦手分野はスパイク。まだ決め方の幅が狭いので、そこは課題にしています。
— 今シーズン、チームはレギュラーラウンド7位と苦しみ、23年ぶりにチャレンジマッチに回ることになりました。今季のチームをどのように見ていましたか?
昨季も今季も、やってきたことは変わらなかったと思います。でも昨季はエバンドロをはじめ、クリさん(栗山)も、ハイボールをボコボコ決めてくれて、勝つことができた。だから今季も大丈夫だろうと、同じように準備をしてきてしまったんですが、選手の不調だったり、いろんなことが重なって、チームの悪い部分が露呈してしまったのかなと感じます。シーズン途中から、選手たちでなんとかムードを変えようとしたり、年末年始の間にブロックシステムを変更したりして、それはいい修正になったんじゃないかと思います。
— レギュラーラウンド最後は3連勝。いい流れで締めくくることができましたか?
そうですね、追いつめられてから、メンタルが変わったんじゃないでしょうか。練習を見ていても、追いつめられた状況になって以降、例えばクリさんは助走にすごくキレが出ていた。それに、最後の方はセッターの山本が出て、その安定していない感が逆によかったのかもしれません。エバンドロも最後の方は力が抜けて、悪いトスほど決めてくれた印象があります。
— 次の試合は3月5日、6日のチャレンジマッチです。
はい。黒鷲旗や来シーズンを見据えて、というぐらいの熱量を持ってやっていきたいと思います。

受験勉強か、バレーか。高校3年の分岐点が今につながる

— ところで、星谷選手がバレーボールを始めたきっかけは?
バレーを始めたのは渋谷教育学園幕張高校1年の時です。中学では軟式野球をやっていたのですが、野球は小学生の頃からやっている人が多かったので、そういう経験者が有利になる。だから高校では、高校から始める人が多い部活にしようと思って、バレー、ハンドボール、ラグビーの中からバレー部にしました。中学にはバレー部がなかったんですけど、僕の学校は中高一貫校で、中学1年の時の担任の先生が高校のバレー部の顧問だったこともありますし、当時から身長が190cm近くあったので。
— バレーにはすぐにのめり込んだのですか?
いえ、正直そんなに楽しくなかったですね(苦笑)。弱小チームでしたし、自分自身もゼロから始めて、なかなかうまくならなくて、思い通りにいかないことのほうが多かったので。
— それが、大学でも続けようと思ったのは?
きっかけは高3の国体でした。新潟国体の千葉代表に選んでもらったんです。最初は、断ったんですけどね。
— どうしてですか?
受験があったので。当時は東京大学を目指していて、そのためには1日10時間ぐらい勉強しなきゃ間に合わなかった。国体代表に選ばれたら、夏場、その練習に時間を取られてしまうので、「できません」と顧問の先生に伝えました。でも、顧問の先生の話を聞いて……。その先生も中学生の頃、バレーをやっていて、選抜チームに選ばれたそうなんですが、当時、その先生を指導していた顧問が、「お前は勉強して高校に行ったほうがいい」ということで、何も言わずに勝手に断ってしまった経験があるそうなんです。だから、「お前にはやってほしい」と言われて。浪人すればまた来年も受験はできるし、代表なんてなかなか経験できないものだから、行ってみるか、と考え直して、結局、行くことにしました。
とは言っても、僕にはレギュラーになれるほどの実力はなく、ただ練習に付き合っているという感じだったんですが、そのチームが新潟国体で優勝したんです。みんな大喜びしていましたが、ベンチからその風景を見ていた僕は、自分が貢献したわけじゃないので、あまり実感がなかったし、悔しかった。そのことがあって、「もうちょっとバレーを続けようかな」と思ったんです。その頃、慶應義塾大学から誘われていて、慶應だったら自分がやりたい勉強も平行してできるんじゃないかなと思って、慶應に決めました。
— やりたかった勉強というのは?
ロボットに興味があったので、そういう勉強をしたいなと思って、制御工学を学べる理工学部システムデザイン工学科に進みました。実際入ってみると、深いところまで学ぶには、学部だけではなくて、大学院やその先の就職を考えなければ難しいなと感じたんですけどね。
— 星谷選手が入学後、慶應義塾大は着々と順位を上げて行ったのでは?
運なんですかね。僕が進学を決めた時は関東大学リーグの2部だったんですが、入学する前に1部に上がりました。1部でやることになるとは思ってもみなかったんですけどね(笑)。僕は到底そのレベルではなかったんですが、1年生の頃から使ってもらって、少しずつ力をつけることができました。先輩にはすごく優秀な人が集まっていたし、同級生にも岡田拓巳という192cmの選手がいたし、1個下には柳田や、野口剛志郎というセッターが入ってきました。柳田はその頃からすごかったですよ。大学では今より相手のブロックが低かったので、ボコボコ打っていました。
— 大学卒業後もバレーを続けようと考えるようになったのは?
最初は、バレーは辞めるつもりだったんですが、サンバーズの荻野(正二)さんに声をかけてもらったり、Vリーグのチームから誘われて、3年、4年になるにつれて、「バレーは今しかできないから、続けようかな」と考えるようになり、今に至ります。
— いろいろな選択肢がある中、その都度バレーを選んでここまで来た星谷選手が、この先、選手として目指すところは?
「オリンピックで試合に出る」というのが一番の目標です。「日の丸を背負って試合に出る」。そこを目指すためにサンバーズを選びました。かつて強かったチームというのは、やっぱり積み上げてきたものがあると思うので、それを知りたかった。それに、ミドルブロッカーには鈴木さん、山村さんという日本を代表するレベルの選手がいるので、その人たちの持っているものを間近で見られるのはいい経験になると思いました。それに加えて、海外の選手の動画をたくさん見たり、いろいろ情報を仕入れたりもしています。
— 目指すは2020年東京五輪ですか?
そうです。それと同時に、サンバーズでは、勝ち続けるチームの中に自分がいることが目標でもあります。みんなそれぞれ役割があると思うので、自分の持っているものが必要だと言われた時に、それを発揮できるように頑張っていきたいと思います。これからも応援よろしくお願いします。

星谷 健太朗

東京都江戸川区出身。ミドルブロッカー。

サンバーズの鉄壁として成長著しい若きミドルブロッカー。
漲る闘志と気迫溢れるムードでサンバーズのコートを盛り上げる。

このページの先頭へ