初めて経験したファイナルラウンド

— まずは昨シーズンを振り返って。2011/12シーズンは柴小屋選手にとってどんなシーズンでしたか?
僕自身(前所属チームの)NECでもサンバーズでも、ファイナルラウンドを経験したことがなかったんですけど、昨シーズンは初めて出場して、セミファイナルと3位決定戦の全試合に出させてもらったことは、本当にすごくいい経験になりました。
— 初めてセミファイナルのコートに立った時はどんな心境でしたか?
初めてということだけじゃなく、被災地の東北(岩手県花巻市)で開催されるということもあって、僕としては思うところがありました。東北出身のVリーガーがそんなに多くない中で、仙台出身の僕が、バレーで、観にきてくださっている方を少しでも勇気づけられたらなという思いがあって、正直、初戦の東レ戦は力が入りすぎて、よくない部分が出てしまいました。出だしに7本ぐらい、ミスとシャットアウトを繰り返してしまって。
— ただ、2戦目の堺戦以降は攻撃の軸として存在感を発揮しました。どのように立て直したのですか?
後がない状況になって、開き直ったというのはあります。変に勝ちを意識しすぎず、とにかく思いっきりプレーしようと。初めてセミファイナルに来たんだから、ここでプレーできる喜びを感じながら、自分ができることをやるしかないなと考えました。
— 特に昨シーズン後半以降、山村宏太選手が試合中や練習中、柴小屋選手に声をかける姿が印象的でしたが、どんなアドバイスをされたのですか?
僕って、一つのことしか見えなくなる時があるんです(苦笑)。例えば、スパイクが決まらないと、「次はもっと高く跳んで、バーンと強く打ってやろう」と思ってしまう。「そうじゃないぞ」というのを、宏太さんはいつも言ってくれます。「強く打てばいいわけじゃない。決まるように打てばいいんだから、考えろ」と。だから僕がブロックを見て狙って打ったスパイクがへなちょこでも、「考えて打ってるな。そういうのを1本でも増やしていけよ」と言ってくれます。それと、宏太さんがよく言うのが「駆け引きをもっと楽しもう」ということ。相手が何を考えているのかを読んで、その逆をついたり、さらにその裏をかいたり。宏太さんが言ってくれることは、僕があまり身につけられていないものなので、すごく勉強になります。
— 新たに今シーズンはどんなことに取り組んでいますか?
今年はサーブもスパイクもガラリと変えて新しいことをやっています。サーブに関しては、僕はいい時はバンバン強打が入ってエースを取れたりするんですけど、水ものでした。そこで、いいサーブがコンスタントに入るのは誰かな?と考えた時に、うちのチームで言えば、米山や塩田や越川さん。僕はボーンとトスを放り上げて、自分のタイミングで打つだけですが、そういう人たちはトスを上げた時にはもう打つための助走に入っていて、一つの動作としてのリズムがある。そのやり方が自分に合うかどうかわかりませんが、今チャレンジしています。

バレーに対する思いの変化

— 昨年に続き今年も7月に仙台で行われたバレー教室に参加されたそうですね。
はい。もともと荻野さんが毎年続けられていたバレー教室に、昨年から僕も参加させてもらっています。もちろんどこでバレー教室をやっても子供たちはかわいいんですけど、仙台の子供たちは、やっぱり地元なので、なんとなく兄弟のような気持ちでやれて楽しかったです。
— 昨年の東日本大震災以降特に、地元東北で行われる試合やイベントには特別な思いがありますか?
そうですね。正直、昨年、震災が起こったばかりの頃は、バレーをしている場合じゃないだろう、と思ったりしてたんですよ。地元の友達がどうなっているかもわからないし、身内にも連絡が取れない人がいて。でもその後、「柴小屋さんが頑張っている姿を見て、元気をもらってます」って、仙台の人が言ってくれたり、BBSに書き込んでくれたり、手紙をいただいたりして…。自分がバレーを頑張ることで、そうやって夢を持ってくれる人がいるんだ、と考えるきっかけになりました。それまでみたいに自分のためだけにやってたバレーじゃなくて、一人でも誰かが笑顔になったり、頑張れるきっかけになるんだったら、そのために頑張りたいな、と。もちろん東北の人だけではなくて、僕らがやっていることって、誰かに影響を与える可能性もあるんですよね。
— 生まれ育った仙台で、もともと柴小屋選手がバレーを始めたきっかけは?
そういうルーツを振り返ると、正直僕はあんまりえらそうなこと言えないんですよね(笑)。小学校ではサッカーをやっていて、中学では、何となくバレーボール部に入ったという感じですから。強い思い入れがあったわけじゃないんです。だから、今はバレー教室もやってますけど、バレーをやりたくて始めた子供たちに、えらそうなことは言えませんね(笑)。
— でもそうして始めたバレーから、ここまでずっと離れられずにきているわけですね。
そうですね。中学、高校、大学から今に至るまでに、どんどんバレーと向き合う機会を経て、ここまで来ているので、その度に出会った人や出来事にはすごく感謝しています。
— 2009年の前所属チームNECの休部とサンバーズへの移籍も、転機の一つですか?
それはすごく大きな転機でした。あの時は親にもいろいろと相談しましたね。ずっとバレー選手を続けられるわけではないし、もしかしたらいい区切りかもしれないなと思ったりもしました。でも一つ、どうしてもひっかかったことが、僕は一度も日本一になった経験がないということでした。日本一だったり、全日本だったり、なにかトップになっていたら、あの時「もうオレはここまできたからいいや。今度は仕事で頑張ろう」と思ったかもしれない。でもまだ全然中途半端だったから、「まだやりきってないのに、ここで辞められるか」という思いがすごく強かった。だからサンバーズで日本一になるチャンスをもらえるんだったら、もう一回挑戦してやろう、という気持ちを持てたんです。
でも実は、金子さんに一度すごく怒られたんですよね。金子さんもNECからサンバーズに移籍したんですが、金子さんはすぐに、「サンバーズに行きたいです。もっとバレーやりたいです」と明確だった。だから僕が悩んでいたことに腹を立てていたみたいです。「こいつテキトーな気持ちでやってるんじゃないか」って。それで、サンバーズに入ってすぐの頃、金子さんと2人で飲みに行った時に、「もしお前がいい加減な気持ちでやるんだったら、オレはお前のことなんか蹴落としていくからな」というようなことを言われました。もちろん僕はそういう気持ちじゃなかったので、「そんなつもりでやるんだったらもう辞めてます。来たからには絶対優勝、日本一しか考えてないんで、そこは勘違いしないで欲しいです」って伝えました。そうしたら、「じゃあ頑張ろう」って。
— そんなことがあったんですか。熱い話ですね。
ドラマみたいでしょ(笑)。もちろん決意して入ってきたわけですけど、そういう出来事にも後押しされました。金子さんはほんと実直な人で、“昭和のよき男”みたいな感じ。僕がいうのはおこがましいですけど、そこが金子さんのめちゃくちゃいいところで、すごく尊敬できます。金子さんだけじゃなく、サンバーズは周りの選手みんな、すごく強い気持ちでやっていて、テキトーなヤツがいないから、それはすごく嬉しいしやりがいがあります。
— そのサンバーズでの4シーズン目に向けて、意気込みを聞かせてください。
チームも新生サンバーズとして新しい事をやっていてガラリと変わると思いますが、僕自身も本当に新しい自分にならないと生き残れないと思っています。新しい自分プラス、今までの持ち味である、ダイナミックさとかパンチ力とか、そういうものを表現したい。みんなすごく高い意識でいい練習をしてきているので、その中で、自分がV・プレミアリーグのコートに立っているとしたら、その時にはたぶん優勝に貢献できる選手になれていると思うので、そうなれるように、人より頭と体を使って、負けないようにやっていきたいです。
— 最後にファンの皆さんにメッセージをお願いします。
僕は、観ている人が「あいつのプレー観ていたら気持ちいいな」と思えるような選手を目指しています。皆さんにそう思って会場を出てもらえるように頑張りますので、これからも応援よろしくお願いします!

柴小屋 康行

宮城県仙台市出身。ウイングスパイカー。

高さ、スピード、パワーと三拍子揃ったサンバーズのポイントゲッター。明るい性格の持ち主で、チームのムードメーカー的存在。コート外では後輩の面倒見も良く、若手選手を牽引している。

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