
「僕の成長がないとサンバーズは優勝できない」
主将として、覚悟を持って開幕へ!
「ずっとチームの中心としてやりたいと思っていた」
- — 3年目の今シーズンはキャプテンを任されました。キャプテン就任はどのように伝えられたんですか?
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黒鷲旗が中止になると決まったぐらいの時期に、監督の(山村)宏太さんに、「来シーズン、キャプテンやってくれ」って言われて。「はい、わかりました」とそこで返事をしました。2シーズン目からずっと、チームの中心としてやりたいと思っていたので、別に早いとは思わなかったし、「おー、やったー」みたいな気持ちでした、その時は。でも6月になって、いざ新チームがスタートするとなると、初日は「うわーどうしよう」という感じになりました(苦笑)。自分に自信がなかったし、みんなからどう思われるんだろうとか、いろいろ考えてしまって。
でも、(鶴田)大樹さんと秦(耕介)が副キャプテンなので、大樹さんに相談したら、「1人でやることじゃないし、オレらなんでも手伝うから」みたいに言ってくれました。3年目でキャプテンというのは(藤中)謙也さんも同じ経験をしているし、マサさん(柳田将洋)も代表のキャプテンなので、相談できる人がいっぱいいる。最初は1人でチームをまとめなきゃいけないって思っていたんですけど、栗さん(栗山雅史)とかも「なんでも言ってきていいよ」と気にかけてくれて、すごく周りに恵まれてやれていますね。
- — キャプテンに選ばれた理由は聞きましたか?
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僕の成長がないと、サンバーズは優勝できない、ということを言われました。僕がみんなから信頼があるからキャプテンに、というのではなくて、成長を期待してもらって選ばれたというふうに聞きました。

- — 昨シーズンは、最終戦となったファイナルラウンド・ジェイテクトSTINGS戦のあとの涙が印象的でしたが、あの時の思いを聞かせてもらえますか。
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あのファイナルラウンドの堺ブレイザーズ、JTサンダーズ、ジェイテクトとの3連戦は、みんなコンディションも雰囲気もプレーも、昨シーズンの中で1番よかったと思います。3戦目のジェイテクト戦のあとは、もちろん敗れた悔しさがありました。でもそれだけじゃなく、スパイカーのみんなが、疲労もすごくたまっていた中で僕のトスを最後まで打ってくれた、という思いもありましたし、なんかいろんな感情がありましたね。
もちろん優勝を目指していたので、もっとやれたんじゃないかという気持ちもありました。最終戦は自分の中で1番(小野)遥輝とコンビが合わなかったんですよね。遥輝とは自主練を毎日欠かしたことがなかったんです。それなのに、これだけ1番やってきた信頼している人に、最後の最後で合わなかったというのが、悔しくて悔しくて……。
なんで合わなかったのか、逆にやりすぎたのかなとも考えました。1本合わなかったら考えてしまうんですよね。どれだけやっても100%合わせることは不可能に近いと思うんですけど、でもあのジェイテクト戦は合わなすぎたので、申し訳ないって気持ちがありました。
- — 今年も小野選手との自主練習は続けていますよね。
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そうですね。最終的にディマ(ドミトリー・ムセルスキー)がいますけど、僕の生命線は遥輝のところだと思うので。それは昨シーズンを通してめちゃくちゃ感じました。遥輝とバッチリ合ってる時はもう本当に何でもうまくいくし、逆に合わない時はブレてしまう。今年は塩田(達也)さんや(佐藤)謙次も、「コンビ合わせましょう」って(自主練に)入ってきてくれるので、変わってきているのかなと思います。やっぱり信頼感を高められるのは日々の練習しかないと思っているので。

- — 今季は他にもよりどころができそうですか?
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みんなを頼りにしてますよ。プレー以外でも、マサさんや大樹さんがすごく声をかけてくれるのが支えになっていますし、メンタル的に今年は強くなれそうな気がします。
キャプテンとして、今年はいろんな人と関わっていかないといけないと思っています。遥輝に依存しすぎず、あえて離れてみることで、そこから見えてくることもあると思うので。もちろん全然仲悪くなったわけじゃないんですけど(笑)。

- — 今年は7月から8月中旬まで代表合宿に参加しましたが、どんな収穫がありましたか?
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合宿の中盤に(フィリップ・)ブランコーチが合流して、初めて1対1でトスに関して教えてもらったんですけど、サンバーズに帰ってきてからも、「なんかトスの感じが今までと違うね」と言われますし、自分でも、手離れが早くなったと感じます。代表ではそれをずっと言われていたので。代表はスピードも全然違うので、最初は難しかったんですけど、レベルの高いところで緊張感のある練習ができて、めちゃくちゃいい合宿に参加できたなと思います。じゃあ代表で戦えるかと言われたら、まだまだですけどね。

- — どのあたりがまだまだですか?
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クイックとパイプ攻撃の使いどころが、僕はマニュアル通りでしか使えていなくて、「ここ絶対クイックだろ」という時に使ってしまっているので、相手ブロックはやりやすいと思う。でも今回合宿に来ていた関田さん(誠大・堺)や藤井さん(直伸・東レアローズ)は、トリッキーとまではいかないけど、パスの返球時にいろんな攻撃パターンが頭の中でイメージできている感じがしました。どこからでもコンビを作るという意識が、僕にはまだ足りない。でも今回の合宿に行ったことで、来年オリンピックがあるなら挑戦したい、という気持ちは強くなりました。
「このレベルでバレーできていることが何より楽しい」
- — 大宅選手がバレーボールを始めたきっかけは?
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姉がバレーをしていたので、幼稚園の頃から体育館についていって見ていて、家に帰ったら風船でバレーをして遊んでいました。だから小学1年生になってすぐにチームに入りました。それからはバレー一筋です。

- — 最初からセッターだったんですか?
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いえ、中学3年のJOCカップで初めてセッターをやって、それからです。それまではスパイカーでした。エースでしたよ、大エース(笑)。楽しかったな、スパイカー。

- — セッターは楽しくないですか?
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セッター楽しいですよ。でも1番怒られるポジションだったので、昔はしんどい時期もありました(苦笑)。

- — 挫折しそうになったことも?
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一度ありましたね。大学1年の時にジュニアのアジア選手権に出場したんですけど、負けて、世界選手権の切符を獲れなかったんです。その時はメンバーが、スパイカーがすごく揃っていて……アウトサイドの対角が石川祐希(ミラノ)と久原翼(パナソニックパンサーズ)、ミドルブロッカーが高橋健太郎さん(東レ)と小野寺大志(JT)、オポジットが大竹壱青(パナソニック)、リベロに川口太一(ウルフドッグス名古屋)。
- — 現在の代表メンバーやVリーガーばかりですね。
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そうなんです。そのメンバーで負けたので、そりゃあセッターのせいだって言われますよね。自分でもそう思って、もうバレーを辞めようとして、大学を離れて実家に帰りました。
- — そこからどうやってバレーに戻ったんですか?
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1ヶ月ぐらいは実家でバレーボールから離れていたんですけど、毎年、元旦に母校の大村工業高でOB会があるんですよ。とりあえずそこに顔を出せと、高校の恩師から連絡があったので、断ることができずに行きました。そこでOB対現役のゲームがあって、僕は出ないで見ていたんですけど、そうしたらなんか、だんだんソワソワし出して(笑)。みんなが本当に楽しそうにやっていたので、「バレー、やりてー」みたいな気持ちになって。それで、大学に戻りました。
あの時、辞めていたらどうなってたんだろうな……考えられないですね。時々、「バレー選手になっていなかったら何をしていましたか?」みたいな質問をされるんですけど、それ僕、本当に答えられない、わからないです(苦笑)。
- — 今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、活動を自粛し全体練習ができない期間もありましたが、その時期はどんなふうに過ごしていましたか?
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ジグソーパズルをしてました。ちょっとバレーから頭を離そうと思って。でも無理でしたね。「バレーしたい、バレーしたい」となって。今も、1日オフがあっただけでも「バレーやりたい」ってなりますよ。
- — 大宅選手が感じるセッターの面白さ、醍醐味はどんなところでしょうか?
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なんだろう……新しいことに挑戦して初めてしっくりきた時とか、やりたいことが本当にうまくいった時は、「これセッターしか味わえないな」と思ったりしますね。ミドルブロッカーに「こういうふうに入って」と伝えて、相手のブロックがそれにがっつりつられて、引きつけてくれた時は、「うわ!やった!」って1番気持ちいいですし、嬉しいし、「ありがとう!」って感じですね。ブロックを振りたいとは思っていないですけど、やりたいことがちゃんとハマるとめちゃくちゃ気持ちいいです。まあ、もうこのレベルでバレーをできていることが1番楽しいんですけどね。
- — 最後に、まもなく開幕する今季の目標を聞かせてください。
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今シーズンは優勝します。何がなんでも、優勝します!
