優勝のその上を目指して、
初戦からとばしていきます!
引き出しが増えたおかげで相手と駆け引きできた
- — ワールドカップお疲れさまでした。16日間に11試合というハードな大会でしたが、大会終盤になるほどプレーがよくなっていたのではありませんか?
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体は終盤、少し疲れてはいましたが、チームの状態が上がっていたので、自分もそれにいい形で乗っかっていきたいなと思っていました。
- — この春、大学を卒業したばかりの選手が、世界のトップチームを相手に活躍する姿に驚いたファンの方も多いと思います。
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うーん……僕自身はあまり特別なことをしていないというか、レセプションは乱れていたし、だけどそれをカバーしてくれる周りの人がいたからフィニッシュまで思い切りいけた。結局は自分以外の人がいい動きをしてくれたおかげで、自分がいいように見られたんだと思っています。
- — サーブでは、ベストサーバーランキング5位と存在感を発揮しました。勝負どころで強力なサーブを打ち込める秘訣は?
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「思い切り打っていい」と周りに常々言われているので、そういう精神的サポートのおかげかなと思います。例えば僕の前にサーブを打つ清水(邦広、パナソニック)さんは、「オレは入れていったり戦術サーブを打っていくから、お前はいつも思い切り打っていい。たとえオレがミスしても、ダブり(連続ミス)は気にせず打っていけ。お前はサーブいいんだから」と、すごくポジティブな声かけをしてくれました。おかげで僕は気持ちよく打てたし、それが結果にもつながったのかなと思います。
- — 例えば23-24の場面でサーブが回ってきた時に、「ミスしちゃいけないな」とか「ミスしたらどうしよう」とは考えないんですか?
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考えないですね。そういう考えがふわっと浮かんだら、もうそのサーブはダメですね、きっと。チームが信頼してくれて自分が打たせてもらっているので、マイナスのイメージにはつながらずに打てていたんじゃないかと思います。
- — スパイクに関しても、相手の高いブロックをものともせず得点を重ねていました。
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自分は高さやパワーで勝つのは難しいので、そうじゃない手で対抗しないといけない。今年は全日本で、自分のようなサイズのプレーヤーが身につけるべきスキルをいろいろと教わりました。リバウンドを取ったり、ブロックに当てて出したり、とにかく引き出しをたくさん作ってもらった。
しかもそれを、海外遠征など、実戦の中で試す機会をたくさん設けてもらえたことが大きかったと思います。以前は、ブロックを抜きにいくだけになりがちだったけど、引き出しが増えたおかげで、相手と駆け引きができ、だから勝負になったんじゃないかと思う。相手にもちょっとプレッシャーがかかっているかなと感じました。
- — 逆に課題だと感じた部分は?
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たくさんあるんですけど、一つは、運動量が少ないこと。というか“弱い”という表現が合うかなと思います。ワンプレーで切らせてしまって、ラリーが続くとちょっと動きが鈍くなる。だからそこの運動量をもっと意識して、ラリー中も動きの幅が狭くならないようにしたいです。
海外の選手はそれを当たり前にやっている。特にポーランドのクビアク選手なんて、半端じゃない運動量でした。ああいう選手になりたいですね。海外の選手は体つきがすごくて、クビアクみたいなガタイはかっこいい。自分なんてめっちゃ細いから、ユニフォーム着たらダサイんですけど、ポーランドの選手はすごくかっこよかったですね。
- — いえいえ、ダサくはないですよ(笑)
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それに5セットを戦い切ることも大事です。本来は3セット目あたりは加速しなきゃいけないセットなのに、僕たちはちょっと失速してしまっていた。そのための土台作りや動きのトレーニングをしっかりしていきたいですね。
- — そこはサンバーズでもテーマになりますか。
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はい。サンバーズに帰ってきてから、めちゃくちゃトレーニングがきつくて、筋肉痛がひどいです(苦笑)。全日本よりきついですね。でもこれがここでは普通なので、頑張ります。
全日本のレギュラーはこんなものか、と思われるのは嫌
- — ここからは柳田選手のバレー人生を振り返ってもらいます。まずバレーボールを始めたきっかけは?
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両親がバレーをやっていたので、小学校1年生の時にジュニアバレーボールチームに連れていかれました。練習が厳しかったので、休みたいなと思った時もありましたが、親が行け行けと言うので、「じゃ行きます」って。自分、意志が弱くて(笑)
- — 初めて日本一を経験したのは?
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小学5年生の時ですね。その次は、高校2年から3年になる時の春高バレーです。
- — その春の高校バレーでは、東洋高校のエースとして大活躍。あの頃も注目を集めていましたから、周りの環境の変化は大きかったのでは?
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そんなことないですよ。当時は、自分はいつも教室の端っこの方にいて、あまり外に出なかったので、これといって変わらぬ日々でした。「話しかけるなオーラが出てた」ってよく言われます(苦笑)
- — 環境の変化は今の方が大きい?
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そうですね(苦笑)
- — 高校卒業後、進学先に慶應義塾大学を選んだのは?
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当時は勝手に「勉強と両立したい」とか「学問でもちょっと何か残したいな」なんて思っていて。それに、バレー部の練習は学生主体で、選手各々が考えてやるという感じだったので、「あ、それいいな」と思って。正直その頃は、プレミアリーグのチームに入ろうというような意欲はなくて、慶應に入って4年間頑張って、どこかに就職して、仕事頑張ろうかなと思っていた。でも2年ぐらい経ったら、「やっぱりバレー面白いな」と。いろいろな人の話を聞くうちに、もっと頑張って続けることもできるかなと思ったので、こういう路線をたどりました。
- — サンバーズに入っての印象は?
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アットホームな感じですね。歳の離れた先輩もいますが、みんなすごく話しやすいし、何でも気軽に聞けて、質問に対するレスポンスもたくさんくれます。ワールドカップから戻ってきた時も、みんな、「おかえりー」ってあたたかく迎えてくれたのがすごく嬉しかったです。「NEXT4(笑)」とかいってバカにされたりもしますけど、そういうのって結構大事で、自分としては気が楽になりますね。
- — 昨シーズンのV・プレミアリーグ、ファイナルは、コートの外から、どんな思いで見ていましたか?
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昨シーズンはリーグの途中から帯同していて、本当にすごく強いチームに入ったなと感じていました。でもそのサンバーズでも準優勝だった。優勝するためにはもっと頑張らなきゃダメなのか、と思ったし、自分はどこまでできるだろうと考えながら、いろんな人のポジションと自分を重ね合わせたりしていました。そうすると、自分には足りないと思うところばかりで、ここなら通用するな、と思ったところはあまりないですね。
- — 今は違いますか?
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いやーどうですかね。あんまりそういうことは言えないたちなんで(笑)
- — でもワールドカップの前と後では、周りからの期待度も違うのでは?
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うーん、まあ一応全日本でスタメンに入らせてもらっていたということで、少しはそういう部分もあるとは思うんですが、サンバーズはそういう経験をした人たちの集まりなので、やっぱりここで結果を残さなきゃいけないと思っています。
プレミアリーグには、「自分が全日本でいいのかな」と思うぐらい、すごくいい選手がたくさんいるので、そういう人たちともう一度国内でしっかりと戦うことができるというのは、自分はチャンスだと思っているので、思い切り戦って、吸収して、できれば全部倒していきたいですね。
- — 柳田選手の中ではまだ、全日本のレギュラーを獲得したという感覚ではないのですか?
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全然ないですね。むしろ、「自分がスタメンで入っててよかったのかな」という感じがしています。だからこそ、これからもっと頑張らなきゃいけない。「全日本のレギュラーってこんなもんだったのか」と思われるのは嫌ですから。
- — まもなく開幕するプレミアリーグへの意気込みをお願いします。
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僕のイメージでは、ワールドカップと同じぐらい相手が強い、というか、むしろ僕からすると日本人の選手の方が精度が高いし、うまいので嫌なんです。だからそういう選手たちに負けないように、ぶつかっていきたいですね。
- — 目標は?
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優勝です。いえ、優勝の上ぐらい。優勝を目指していたら準優勝とかになると思うので、優勝のその上を目指すイメージです。圧倒的に優勝するイメージを持って、初戦からとばしていきたいです。最初からとばせないのが自分の悪いクセなので(苦笑)。そこはうまく自分でコントロールして、コートの中で走り回りたいなと思います。皆さん、応援よろしくお願いします!