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2007年3月19日 VOL.23 「現役18年間を振り返り」 TEXT・PHOTO 荻野 正二

サントリー サンバーズ公式ファンサイト SUNBIRDS FRIENDS

こんにちは、背番号10番荻野正二です。いつもたくさんの応援ありがとうございます。 今回は、入社してから18年経った今、思い出される出来事を色々と書きます。

私が入社したのは1988年で、ちょうど内定選手の冨士田くんが生まれた年になります。同じ年にサンバーズへ入ったのは、現在長崎県で教員をしているOBの大浦くん(大浦正文氏)と、現サンバーズの監督である河野監督の3人でした。

私がバレーボールを始めたのは高校1年生。入社するまでのバレーボール歴はたった3年でした。そのため、他の2人にはかなりの遅れをとっていました。また入社後、練習に参加して一番驚いた事は、ボールの速さでした。レシーブ練習に入っても、ボールを目で追うのが精一杯で、体や足が反応できなかった事を今でも鮮明に覚えています。スパイク、ブロック、サーブと、どれをとっても高校生のレベルとは比べものにならず、ついていくのに必死でした。スパイクを10本打っても、全てブロックされ、1本も決まらず、当時はあまりにもショックで、「なぜこんな所に来たのか・・・」と後悔し、深く落ち込みました。

荻野選手 画像1

そんな時、全日本ジュニア(以下、ジュニア)に選出され、二年間ほど同じ年の選手と合宿しながら、練習する期間がありました。ジュニア時代は海外遠征や試合が多く、経験を重ねたことでボールのスピードなどにも少しづつ慣れ、やっと自分の考えていたバレーボール選手の姿に近づく事が出来ました。
ここで小自慢を1つ!当時の全日本ジュニアの成績は、世界ジュニア選手権でなんと2位!(ちなみにその大会の優勝国はロシアで、ロシアの監督は現JTサンダーズ監督のアントロポフ・オレークさんです。長い付き合いです。)

こうしてジュニアで経験を積む傍ら、私は一年目から少しづつですがサンバーズの試合(日本リーグ)にも出場する事ができました。当時は新日鉄(現、堺ブレイザーズ)や富士フイルム(以下、富士)が強く、新日鉄では現全日本男子監督の植田さんが、富士では現在はタレントとして活躍されている川合俊一さんなどが大変な人気で、大活躍されていました。サンバーズはと言うと、残念ながら最下位・・・。入れ替え戦も経験しました。(その二年後も再度入れ替え戦へ(泣)。)

時は流れて・・・ 日本リーグからVリーグに名称が変わった1994年に外国籍選手の登録が出来るようになり、サンバーズにはアメリカ人のサムエルソン選手と、カナダ人のジーノブルーソー選手が加入しました。そしてサンバーズは第1回Vリーグの覇者となりましたが、私は膝を故障していたため、決勝戦には出場出来ませんでした。当時キャプテンだった私はすごく悔しく、複雑な思いをした事を覚えています。その後、サンバーズは毎年4強(ベスト4)に入っていましたが、優勝からはしばらく遠ざかっていました。そして第5回Vリーグからは、ご存知の方も多い、ブラジル人のジルソン選手が加入しました。そのシーズンは、私は両膝を手術したため、1年2ヶ月もの間、バレーボールをする事ができませんでした。しかし、第6回Vリーグから復帰した私は試合にも出場することができ、サンバーズも優勝。その後も優勝を重ね、5連覇を果たしました。世間では「ジルソンサンバーズ」と呼ばることもあったほど、やはり彼の活躍なしではこの5連覇は成し遂げられなかったと思います。

荻野選手_画像2
 
荻野選手_画像3

 

現在V・プレミアリーグ(今季より「Vリーグ」から呼称変更)の真っ最中にあり、4強入りまでもう少しのところまで来ています。今季から河野監督の下、新たなサンバーズとして、2年間遠ざかっている優勝に向かってチームは突き進んでいます。私個人としても、同期入社である河野監督を男にすべく事を毎日思い、日々の練習に励んでいます。試合では最大限のパフォーマンスでチームの勝利に貢献したいと常々思っています。私が現役18年間で培った全てを、河野監督に捧げる覚悟であります。

今後ともサントリーサンバーズを応援して頂けたら幸いです。

最後になりましたが、3月19日~3月31日まで「サンバーズフレンズオフィシャルサイト」のBBS管理人を務めさせて頂きます。V・プレミアリーグ期間中のため、すべてにお答えできないかもしれません。予めご了承ください。沢山の応援メッセージをどうぞよろしくお願い致します。