Liqueur & Cocktail

カクテルレシピ

ドライ マティーニ

ビーフィーター
ジン 47度
5/6
ドライベルモット 1/6
ステア/カクテルグラス
オリーブを飾り、
レモンピールを擦る

オリーブをいつ食べるか

「マティーニ」を語るのは、できるならば避けたい。レシピがあってないようなもので、19世紀末から現在までの間にどんどんドライになっている。そしてマティーニ・ファンそれぞれに自分の言い分がある。かなり面倒な一杯なのだ。

NBA(日本バーテンダー協会)のオフィシャル・カクテルブックでは、ジン対ベルモットの比率3対1が「マティーニ」、4対1を「ドライマティーニ」、さらには7対1を「エクストラドライマティーニ」としている。

正直に言えば、わたしはこのマッチョな感覚のカクテルのファンではない。しかしながら時折、無性に飲みたくなる。悔しいが、さすがカクテルの王である。ただし、わたしが飲みたくなったときに味覚の記憶として浮かび上がってくるのは4対1、あるいは5対1の比率の「ドライマティーニ」だ。

ジンは生粋のロンドンドライジン「ビーフィーター」47度。シトラスな清涼感あふれる、冴えた「ビーフィーター」にドライベルモットの香味がしなやかに溶け込んだ味わいを好む。稀になんだか疲れてしまったな、と感じたときに7対1のエクストラドライを飲む。

ジンがこれ以上多くなるとベルモットの存在が希薄になる。ジンが立ったスーパーハードなレシピのものをわたしは「ドライマティーニ」と呼びたくはない。それならばジンのストレートを飲めばいい。こんな見解を述べるとマティーニ・ファンの方々から叩かれるだろうが、それだけ人それぞれに想いが強いカクテルであり、王様の証でもある。


冷凍庫でキンキンに凍えさせたジンを好む人もいれば、冷蔵庫で冷やしたジンのステアがいい、という人もいる。最初にミキシンググラスに氷とベルモットを入れてステアして、そのベルモットを捨ててからジンを入れてステアするといったリンス・タイプを好む人もいる。

さらにはオリーブの好み。乳酸発酵したものかシンプルな塩水漬けか。丸ごとのホールの種ありか種なしか、種をくり抜いた中に詰め物をしたスタッフドオリーブか。日本の場合、スタッフドの中身は赤ピーマンがポピュラーだが、海外ではアンチョビ、アーモンド、チーズなどさまざまに語られる。スタッフドによって一杯の味わいが大きく変わってしまうのだが、人の好みは十人十色だ。

オリーブの枝は鳩と同様に平和の象徴である。『旧約聖書』には、神が大洪水を起こした後、ノアが陸地を探すために鳩を放った。鳩がオリーブの枝を加えて帰ってきたことにより、水が引きはじめたことを知る、といったことが書かれている。枝は平和の象徴であるのに、実となると、「マティーニ」の世界では論争の火種となる。

まだある。オリーブをいつ食べるか。わたしは早めに食べる。ひと口目をたっぷりとゆったりと味わい、ふた口目を軽くスーッと流し込んだ後にオリーブを食べる。でも、最後のほうに食べるという人もいるし、グラスを空にし、締めとして食べる人もいる。食べない、という人の中には彩りやスタイリングとしてあればいい、とまで。

さらにはグラスの中には必要ない、という人。つまり「マティーニ」にはオリーブを入れないで、別の小皿に出してもらい、食べながら飲むとか、一杯にオリーブ3個とかいう人もいるから大変だ。

他にはビターズの有無、レモンピールの有無やピールを「マティーニ」に入れるかどうかなんてことも語られる。

伝説のミスター・マティーニ

さて、日本にはかつて“ミスター・マティーニ”と呼ばれたバーテンダーがいた。今井清氏(1924~1999年)。太平洋戦争前夜ともいえる1939年、15歳で丸の内にある東京會舘に酒場係として入社し、戦争で出征、終戦とともに復員し會舘に戻る。

1945年暮れから52年夏まで、東京會舘は連合国軍総司令部 GHQに接収され、オフィサーズ・クラブ『アメリカン・クラブ・オブ・トーキョー』として運営委託された。今井清氏は20歳そこそこで、将校たちの相手をはじめたのである。そして彼らの好む味わいの「マティーニ」に対応し、このカクテルの王と戦いつづけた。

有名な話が残っている。おそらく連合国軍接収が解けてしばらくの頃であろう。ある保険会社の社長が世界一周旅行に出かけ、ロンドンから東京會舘の当時の社長に宛てた手紙に“アメリカにも行き、ヨーロッパを巡るが、いまだ今井君に勝る「ドライマティーニ」に出会っていない。ということは今井君の「マティーニ」は世界一ではなかろうか”といったことが書かれていた。

今井氏は1961年にオープンした同じ丸の内に位置するパレスホテルへ移ることになる。パレスホテルの『ロイヤル・バー』には、今井氏の「マティーニ」だけを飲みにくる客がたくさんいた。1984年に引退するまで、たくさんのファンが彼のカクテルに魅了され、伝説のバーテンダーとなった。

わたしが酒の仕事に携わるようになったのが今井氏の引退の年である。残念ながら彼のカクテルを飲むことはかなわなかった。イベントやパーティーでお見かけしただけである。

客に合わせて見事な香味の「マティーニ」をつくり上げた今井氏も、さすがにドライ化に対応せざるを得なかったという。最終的には8対1まで対応したらしい。その今井氏の8対1はキレがあるのにふんわりと丸みがあったと聞く。きっと論争とは関係なく、穏やかでしなやかで誰もが満たされたことだろう。

「マティーニ」に関しての他のエッセイはこちら

第10回「ボンドとデュークス・バー」ビーフィータージン

イラスト・題字 大崎吉之
撮影 川田雅宏
カクテル 新橋清(サンルーカル・バー/東京・神楽坂)

ブランドサイト

ビーフィーター ジン
ビーフィーター ジン

バックナンバー

第30回
ギムレット
第31回
ホワイト・
レディ
第32回
ブラッディ・
メアリー
第33回
アラスカ

バックナンバー・リスト

リキュール入門
カクテル入門
スピリッツ入門