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1786年創業、現在の社長は創始者から直系7代目。「220年を越える歴史」とひと言でいっても、その間にはフランス革命があり、近年には二度の世界大戦もありました。ぶどう畑もワインも、激動の時代に翻弄されていったのは言うまでもありません。いまドイツワインの代名詞とも言われる「リープフラウミルヒ(聖母の乳)」を醸造していた聖母教会のぶどう畑も例外ではありませんでした。昔から旅人や巡礼者を癒していたワインのぶどう畑も、18世紀末にはすっかり荒れ果てていたのです。
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19世紀に入り、その畑の大半を譲り受け復興させたのが、創始者P・J・ファルケンベルクです。その畑の復興の最中に、百年あまりものあいだ行方不明になっていた礼拝堂の聖母像がみつかったのは、それからの彼の仕事を予言するような有名な話です。そして彼はリープフラウミルヒの品質を磨き、世界に旋風を巻き起こしました。
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フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーは、1838年9月29日付の友人への手紙に「このリープフラウミルヒを飲むだけでも、再びヴォルムスに来たいものだ」と記し、イギリスの文豪チャールズ・ディケンズは、しばしばファルケンベルク家を訪れ、その素晴らしさを1845年6月25日付の直筆手紙に書き残しています。
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やがて、その名声にのって「リープフラウミルヒ」を名乗るワインは、とめどなく増えていきました。1908年のワイン法の制定時に諮問を受けたファンケルベルク社は、多くの醸造元を想い、より広い概念として「リープフラウミルヒ」の名前を使うことに賛成しました。そして元祖であるファルケンベルク社がつくるリープフラウミルヒは、掘り起こされた聖母像に敬意を評して『マドンナ』と名付けました。リープフラウミルヒの育て親としての自信と誇りをこめた名前です。