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ジャパニーズウイスキー物語 水薫る

第三話 激動の中での熟成

戦争前夜に評価が高まったサントリー

『角瓶』亀甲型発売時
のボトル(昭和12年)

『12年もの角瓶』は1937年(昭和12)の発売と同時に大衆の心をつかむ。舶来盲信でスコッチ至上主義の好事家たちもそのフレーバーの豊かさに魅了された。
鳥井信治郎のブレンド技術の賜物だった。彼の姿は19世紀末のスコットランドのウイスキー業者に通じるものがある。
成功者の多くが雑貨商や食料品店から出発している。ブランデーやワイン、香水や葉巻など高級輸入嗜好品を扱いながらほんものを見極める感性を磨いた。そんな経験を積んだ者たちが後世に残るウイスキーの名品を生んでいる。
明治の薬種問屋で洋酒に出会い、感性を磨いた信治郎もまた数々の名品を世に送った。


戦時下でも守りつづけられた
山崎のモルト原酒

ジャパニーズウイスキーというひとつの形を創造し、実現した信治郎だが、暴挙とさえ言われたウイスキー事業に挑戦したのは何故か。
樽熟成の神秘に惹かれたことは事実だ。それとともに明治男の愛国心がある。信治郎は“洋酒報国”という言葉を盛んに使っている。そして明治から大正にかけての日本の洋酒事情に関してこう語っている。
「貴重な外貨が舶来洋酒のためにむざむざと海外に流出していく。これを是非防ぎたい。それには舶来品をしのぐ優良品をつくる以外にない」
信治郎には洋酒づくりで国に報いたい、との信念があった。
たしかにはじめはスコッチの製法に学んだ。だが日本人の嗜好を思い、香りと味わいを磨く。年月を重ねながら品質を改良し、次第にスコッチの鎧を脱いでいく。ついには日本人の繊細な味覚に合ったしなやかなウイスキーに変貌させていった。信治郎の香味の創造がなかったならば、いまの日本でのウイスキーの興盛はなかったであろう。


戦後まもなく、無傷の山崎蒸溜所

『角瓶』が発売される前年の’36年には二・二六事件、発売の年には日華事変が起こる。準戦時という言葉を耳にする情勢だったが、小春日和のような平穏さに包まれた奇妙な時の流れの中にあった。
人々の心にはゆとりがあり、「東京ラプソディ」「別れのブルース」といった流行歌を口ずさみ、また飲食を持参して郊外に遊ぶ “自転車ハイキング”が大ブームを呼んでいた。そんな中で「サントリーは旨い」という評判が広がり、『角瓶』の売れ行きは飛躍的に伸びていく。
大正時代からつづくカフェーとともに、昭和に入って都市化が進むとカウンターのある本格バーがたくさん登場する。この頃は戦前のバー興盛期でもあった。『角瓶』が東京、大阪のバーで輝きを放つようになる。

モルト原酒の豊かな熟成に信治郎のブレンド技術も円熟を見せる。
1940年(昭和15)には『オールドサントリー黒丸』が生まれた。後の『サントリーオールド』。『角瓶』の上をいく高級品で、より熟成感のある自信作だった。ところが市場に出まわることはなかった。小春日和はつづかない。太平洋戦争勃発前夜。洋酒に対しての目は厳しく、統制、制限は厳しくなっていった。

モルト原酒を守りつづける


海軍用イカリ印
サントリーウイスキー
のラベル(昭和18年)

吉凶は背中合わせにある。『オールド』完成の2ヵ月前、信治郎の長男で副社長の鳥井吉太郎が急逝。31歳の若さだった。社内はもちろん財界でも期待され、またそれに価する好男子だった。前年に還暦を迎えていた信治郎の嘆きはたとえようもない。
ウイスキーが大衆に認知されはじめた矢先のこと。後継者を亡くし、『オールド』は発表はしたものの世に出せず、そして戦争に突入。強気の彼が、はじめて老いを感じた。


トリスウイスキー
発売時のボトル
(昭和21年)

戦時下の経営は厳しいものがあった。『赤玉』をはじめとした寿屋の主力工場、大阪工場は海軍の指定を受けて航空燃料を製造する。負担は重く、経営は苦しくなったが、これが戦後に生きる。
はじめにイギリスに学んだ日本海軍はウイスキーを愛した。軍納品として『イカリ印』の名の特製ウイスキーを発注される。入手が困難となりつつあった原料の大麦の便宜を海軍が図ってくれるようになる。
そのため山崎蒸溜所は戦時下でも細々ながら稼働できた。
戦争末期は原料の大麦とモルト原酒を守ることに懸命となる。山崎の谷に防空壕を掘り、大麦を運び入れ、貯蔵樽を隅に隠し、竹や草木でおおった。やがて終戦。大阪本社と主力の大阪工場は焼失。だが山崎蒸溜所だけは無傷だった。


モルト原酒をテイスティングする
信治郎と敬三

敗戦という悲惨な状況下で、信治郎の負けん気がまた湧き上がる。彼を支えたのは復員してきた次男の佐治敬三だった。敬三は信治郎の妻クニの親戚筋、佐治家の名跡を継いでいた。
敬三は闇市の悪酒を飲んでいる人々を見て憂いた。イモからの急造焼酎カストリ、工業用アルコールを加熱処理して水で割ったバクダンがはびこっていた。彼は安価ながら品質のしっかりとしたウイスキーをつくり、多くの人々に飲んでもらうことができないものかと思案した。そしてモルト原酒の比率を下げ、穀類からつくったグレーン原酒を多くブレンドした低価格ウイスキーを信治郎に進言した。


幻の名品『オールド』登場時の広告
(昭和25年)

モルト原酒にこだわりを持つ信治郎だったが、敬三の憂いがよく理解できた。敗戦の失意と虚脱に沈んだ国民に、安くて旨いものを提供しようと決心する。戦争での寿屋の損失は莫大だった。だが幸いにも山崎のモルト原酒だけは残った。その原酒で少しでも多くの人々の心を癒そうと考えた。
こうして誕生したのが『トリス』だった。1946年(昭和21)4月、終戦から8ヵ月後に発売。『角瓶』には手が届かなくても『トリス』ならなんとか買えた。そしてこの一瓶が戦後のウイスキーの普及に大いに貢献する。売れ行きの伸びとともにモルト原酒の比率も高くし、味わいを深めていった。


山崎蒸溜所を訪れた
吉田首相を案内する鳥井信治郎(昭和26年)

’49年には三男の鳥井道夫が入社。敬三とともに信治郎を支える両輪が揃う。そして1950年(昭和25)、酒類の公定価格が廃止され、自由競争の時代を迎える。戦時体制下では日の目を見ることのなかった幻のウイスキーがよみがえった。
『サントリーオールド』。戦前、戦中と絶えることなく仕込みつづけ、苦難に耐えつづけた長期熟成モルト原酒がここに生かされた。
財政的に困窮していた政府も、サントリーウイスキーの伸張ぶりに注目する。酒税は国の重要な財源となる。’51年、当時の首相、吉田茂が山崎蒸溜所を異例の視察に訪れる。ウイスキーを主役とした、洋酒時代の幕が開けようとしていた。

[第3話 了]

  • 第一話 本格国産への挑戦
  • 第二話 研鑽が生んだ傑作
  • 第三話 激動の中での熟成
  • 第四話 大衆が認めた香味
  • 第五話 モルト原酒新時代
  • 第六話 香りの花束の継承
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