| ウイスキーミュージアム > ウイスキーと文化 > ウイスキーとミステリーの世界 > 特集:ウイスキー「謎」のブレンドに挑戦した作家たち |
(2000 日本) ; 作/福井晴敏; 出版/講談社文庫
(ストーリー)
雑居ビルで警備員の仕事をしている桃山剛は、ある晩奇妙な出来事に遭遇した。ビルの前で悪さをしていたちんぴらを追い払った後、気づくとビルに見知らぬ娘が潜りこんでいたのだ。男物のコートを羽織った娘は、まだあどけない顔にいくつもの傷跡をつけていた。誰何する桃山に、娘は頭を下げて懇願する。地下室にいる友人を助けてほしい。その友人は怪我をしているのだと。彼女の懇願を聞いて地下室に下りた桃山を迎えたものは、オートマチック拳銃の銃口。銃を握りしめていたのは、娘と大差ない年齢と思われる青年だった。彼の胸の傷を、桃山は自己流の手術で処置する。
娘は葵、青年は保という名前だった。二人が何者かに追われていることは確かだったが、彼らは敵の正体を明かそうとはしない。傷が癒えるまでという約束で地下室に彼らを匿い続ける間に、桃山の心には熱いものが芽生えていた。『亡国のイージス』の作者が贈る冒険巨編。
寂しがり屋が最近増えてきたようだ。友達の数がステイタスになる。携帯電話とメールでいつも誰かとつながっていないと不安になる。よく言われることだが、携帯電話文化は本当にたくさんの寂しがり屋を作りだした。さもなければ、あれほどたくさんの出逢い系サイトなどというものができるはずはない。かく言う私だって、人のことはいえない。仕事場にこもっていると、ふと人恋しくなる瞬間がある。特に日付が変わった後の深夜に多くやってくるのだ。まさか寝入っている家族を起こすわけにもいかない。寂しがり屋の虫はうずうずと胸の中で這い回り始める。
そういうときは、行きつけのバーに駆け込むのも一つの手だ。バーテンダーと話すのもいいが、もっといいのは自分自身と話をすることだ。グラスにウイスキーを注いでもらい、琥珀色の水面に映った自分に向かって話しかける。そんなに対話をしたい機会なんてまたとない。じっくりと自分のことを知る機会ではないか。やあ、こんばんは、自分。よく心得たバーテンダーは、決してそういう客の邪魔をしない。また、無粋な携帯電話もそのメールも届かないようになっている。地下にあるバーがいいバーであることが多いのはそのためだ。「バーの良心度は店内の携帯電話の電波の強度と反比例する」(今日のトリビア)。
独酌、というのもいいかもしれない。冷蔵庫から取り出した氷をグラスに入れ、自分で水割りをこしらえる。些細なことだが、その動作が自分自身と向き合うきっかけを作ってくれる。今日はどのくらい濃いのがいい? そうだな、普段より指一本分多く。そうやって自分との対話が始まっていくのだ。
『川の深さは』の主人公、桃山剛もそうやって何回もの夜を過ごしていたのだろう。彼はもと警察官。職を失い、妻子とも別れ、今はその場しのぎの仕事で食いつないでいる。すでに中年にさしかかった年齢ですべてを失い、これからどうするのか。自分自身と話すことはたくさんあっただろう。その孤独な男の元に、傷ついた二人の若者が転がりこんできた。桃山は二人を救い、そのことによって見失いかけていた自分を取り戻していく。両者の間をとりもったのは、桃山が愛飲していたウイスキーだった。銘柄がトリス、というのがまたその世代らしい。桃山はトリスを、傷ついて弱った保に気付け薬として飲ませたのである。自らもトリスを飲む桃山に、傷の癒えた保は言う。
「安酒ばっかりよく飲むな」
「やかましい。これなくしてなんの人生か」
コップを掲げて言った桃山を一瞥し、ぷいとそっぽを向いた保は、「酔っ払うって、そんなに楽しいのか」と、ぽつり呟いた。
楽しいさ。しかしそれは、単純な酩酊の楽しさだけではない。ウイスキーの導きによって、自己のより深いところを見ることができる。だから、楽しいのだ。そして自分が抱えている深い孤独を知っているからこそ、他人に優しく振舞えるのだ。ウイスキーの味にその教えを読み取るには、保はまだまだ若すぎるだろう。けれどトリスのボトルにはそんな人生の秘密が詰っている。