

- 1810年頃、アイラ島に移り住んだジョンソン兄弟は、家畜を育てるために、ラフロイグの
地に1000エーカーの農地を買いました。
そして家畜を育てるために大量の大麦を栽培し、その一部を用い、ウイスキーの蒸溜を始 めたのです。
ラフロイグの地の水は大変柔らかくかつピートがきいていて、ミネラル分が少なかったことから、非常においしいウイスキーが出来上がりました。「ラフロイグで蒸溜されたウイスキーが特においしい」という噂がアイラ島中に広まったのです。これを受けジョンソン兄弟は家畜の飼育をやめ、ウイスキー蒸溜に専念することにしました。こうして1815年、ラフロイグ蒸溜所は誕生したのです


- 1836年、ドナルド・ジョンストンは弟から所有権を買い取り、ラフロイグの初代の単独所有者となりました。しかし1847年、蒸溜途中のウイスキーの桶へ落ちるという、蒸溜業者にとって理想的とも言える形でドナルドは亡くなりました。息子のドゥガルドはその後20年間にわたり、蒸溜所を大きく盛り上げていきました。


- 当時から、ラフロイグの流れるようなスモーキーでピートのきいた味わいは、ウイスキーブレンダーたちから高く評価されていました(今日でも、ブレンディングに最もよく使用されるウイスキーのひとつとなっています)。そして、この香味を誰よりも切望していたのは、当時 Mackie & Co 社(グラスゴー スピリッツおよびブレンディングの販売業者)が所有していた、隣接するラガーヴーリン蒸溜所でした。
- ラフロイグで製造されるウイスキーの半分は、グレーンウイスキーとのブレンディング用に Mackie & Co 社の手に渡っていました。これはかつて、ドゥガルドの手もわずらわせた問題でした。ピュアモルトウイスキーをより大きな市場へ売り込もうとするラフロイグの能力が、これによって制限されていたからです。
- 当時ラフロイグウイスキーはすっかり有名になっていましたが、Mackie & Co社の手に渡る量が多すぎると感じた一家は、代理店契約の解消に踏み切りました。その結果、相手の怒りに触れることとなり、2度目の裁判に突入したのです。


- 1907年、マッキー一家の命令によって、ユニークかつ貴重な水源が岩でせき止められ、小川の流れが変えられました。 水がなければ、ウイスキーを作ることはできません。しかし、裁判所の迅速な介入により「事態を収拾する」ことが求められたため、水の供給は回復しました。
- ところが、1908年、腹を立てたマッキー一家はラフロイグの蒸溜所をそっくりそのまま真似ようとします。このとき、ラガヴーリンへ誘われていたラフロイグの醸造長が手を貸したと考えられています。
- ラフロイグの醸造長がいて、そっくりの蒸溜所があって、隣接する湾に所在し、水源に近い、とこれだけの条件が揃えば、ラフロイグの味をそっくりそのまま再現することは簡単だとお考えになるでしょう。しかしそうではありませんでした。今日においてもまだ、これはラフロイグだけに許された繊細な蒸溜術なのです。
- その後も、ラフロイグやその貴重な土地を買い取ろうとする試みがさらに2回行われましたが、いずれも失敗に終わりました。
- この闘いに要したコストは甚大で、新しい会社にとって大きな負担となりましたが、少なくとも、ようやく貴重な水源は守られました。


- 1921年、蒸溜所所長となったイアンハンターはラフロイグを世界のモルトへと発展させました。フルボディでオイリー、そしてピートがスモーキーに香りたつこのウイスキーの魅力に世界中がとりこになりました。北欧をはじめとし、後にはラテンアメリカやヨーロッパ、そして禁酒法時代のアメリカ合衆国やカナダまでもラフロイグはどんどん広まっていきました。


- 1994年、チャールズ皇太子がラフロイグにお越しになり、王室御用達の称号を授けられました。ラフロイグはモルト蒸溜所として初めて王室御用達の認定を受けたのです。


- 現在もラフロイグはその個性び強さから熱烈な数多くのファンを持ち、アイラモルトの王者として君臨しています。
- 「好きか!嫌いか!?」
- あなたもこの他に類の無い素晴らしく強烈な個性を持つラフロイグの魅力にたっぷりひたって下さい。

