カナディアンクラブストーリー

  • カナディアンクラブの歴史
  • カナディアンクラブのできるまで
  • カナディアンクラブのこだわり
  • 世界中で愛されるカナディアンクラブ

カナディアンクラブの歴史

ハイラム・ウォーカーは1816年7月4日、独立記念日にマサチューセッツ州に生まれた、野心にあふれたアメリカ青年でした。ハイラムは9歳の時に父親を亡くし、20歳の時単身でボストンに赴き、食料品店で地道な見習いの仕事を始めました。

その経験を生かし1838年にはデトロイトへ移り住み自分の食料品店をオープンさせ、ビジネスのノウハウを学びながら穀物商となり、ウイスキー製造業者となる足場を固めて行きました。

ハイラムはウイスキーの需要が伸びることを見通し、ハイラムの店でも酒類を販売しようと考えました。
しかし当時の法律ではドラッグストアのみに専売権が認められ、ハイラムの食料品店では認められませんでした。

またアメリカが禁酒法に向けての時代を迎えていた事もあり、それを見越したハイラムは、1856年、デトロイト対岸のカナダの土地468エーカーを購入し、蒸留所を建て、ウィスキー業界に名乗りをあげました。

カナダは豊富な穀物の収穫があり、ウイスキー蒸留所の建設地として理想的な場所でした。ウォーカーはそこに、従業員の住宅を初め警察署や消防署まで整った一つの町を築き上げました。そこは、彼の名にちなんで、ウォーカービルと呼ばれています。1858年ウォーカーは、それまでにない軽いタイプのウイスキーを世に送り出しました。

このウイスキーが当時のアメリカ紳士の社交場であった、各地の「ジェントルメンズ・クラブ」にて好評を博し始めると、ウォーカーは、自らのウイスキーに「クラブ・ウィスキー」と名前をつけました。こうして彼は、ウイスキーにブランド名を冠した最初の製造者となりました。

「クラブ・ウィスキー」は「ジェントルメンズ・クラブ」やホテルバー等で大人気となり、アメリカ中に普及し本場バーボンの売上を凌ぐまでに成長しました。この「クラブ・ウィスキー」の人気急騰に脅威を感じたアメリカ・ケンタッキー州のバーボン業者は、ロビー活動を実施、政府に嘆願書を提出し、カナダ産ウィスキーとアメリカ産ウィスキーを区別するよう求めました。

政府はその法律を制定し、「クラブ・ウィスキー」は、「カナディアンクラブ・ウィスキー」と呼ばれるようになり、1890年、ここに「カナディアンクラブ」が生まれました。カナディアンとして市場に出れば、人気が下がると見込んだ対策でしたが、その人気は衰えるどころか、ますます不動のものとなりました。

現在も「カナディアン・クラブ」は、アメリカ、カナダではもちろんのこと、世界中150カ国以上で愛飲されています。

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