バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

フリー・ランチ

今回もまた19世紀アメリカの庶民が集まった酒場を見つめてみたい。19世紀の間、酒場の数は増えつづけ、とくに移民たちで占められた労働者階級相手の店が乱立した。多民族国家ならではの酒場の広がりでもあった。

禁酒運動の活動家たちにとっては彼らに根付いた飲酒習慣が目障りとなる。20世紀になって禁酒法が成立する要因のひとつを今回はご紹介しよう。

ではグラスに「ノブクリーク」を注ごう。永遠に止まることを知らぬかのように激しく歯車を回転させはじめた時代を見つめるには、深い熟成感と力強さ、そして滑らかな甘さを抱いたクラフトバーボンウイスキーがふさわしい。「ノブクリーク」の包み込むような温かみのある香味を感じながらお読みいただきたい。これから綴ることが移民たちの厳しい生活を物語っているとしても、アメリカの古き良き時代、ある意味、とても幸せな時代だったのではなかろうか。

18世紀末に独立国家となったアメリカは、長い歴史を誇るヨーロッパのような王城や宮殿が存在しなかった。そこでホテルが宮殿に変わる社交の場、迎賓館となったことを以前この連載内でお伝えした。

当初は上流階級の社交場だったホテルが、次第に大衆的、市民センターのような公的施設の機能をも担うようになったのは1820年代にホテル建設ラッシュが起こったことにはじまる。

これもまた流通網の発達、拡大によるところが大きい。このことは第56回『トラフィック・レボリューション』で述べたが、1825年にニューヨークのハドソン川から五大湖のエリー湖東端のバッファローまで運河がつくられ、それがやがてオハイオ川、ミシシッピ川を結ぶようになり、1830年には蒸気船による水運の大動脈が生まれる。たくさんの人、そして物の移動が短い日程で可能となった。

沿岸の都市にはホテルが建設されていくことになる。また蒸気船は旅を変えた。船中泊が可能になったために、河港のホテルは宿泊客を止める工夫が必要となり、より魅力的なサービスを生むようになった。

実際、それ以前、ミシシッピ川の下流の都市、ニューオーリンズから中西部の拠点、セントルイスまで馬で旅をしようとすると1ヵ月かかったようである。粗末なタバーンに宿泊しながら悪路を移動した。ところが蒸気船によって数日に短縮されたのである。

また蒸気船により東部と中西部の輸送コストは10分の1となったと言われている。そしてこの後には鉄道網が発達していく。1840年代以降は鉄道駅近くにホテルが建設されていく。

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