バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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ウエスタン・サルーン(5)

前回、バーという酒場名称は、イギリスの裁判官と傍聴席を仕切った棒状の手すりを指したものが、広義の仕切るという意味で使われて酒場にも定着したのではなかろうかと述べた。わたしの推測にしか過ぎないのだが、サルーンとかバーといった酒場の呼び方はイギリスから伝わったものであろう。

さてアメリカ東部では1840年代にサルーンという酒場が生まれたようだが、西部にサルーンという酒場が乱立しはじめたのはいつ頃からだろうか。そもそも西部というのはいったいどこからはじまるのだろうか。

実は地理的にどこからどこまでを指すという明確な見解はない。時代や歴史研究対象によって勝手に解釈されているといえるだろう。つまりいくつもの西部があるということだ。

18世紀末、独立国家として歩みはじめる頃まではアパラチア山脈東側がアメリカであり、山脈を超えた西側はまだ先住民族の土地だった。アパラチア山脈の西、バーボンウイスキーを生んだケンタッキーが独立州となってから地理的西部は変化していく。

そして21世紀の現在、19世紀の歴史解釈においてさまざまなアメリカ西部が存在している。先住民、探検家、猟師、開拓者、鉱夫、カウボーイ、鉄道技師や工夫、牧師、そして女性など、それらを語り分析する立場によって括りは微妙に異なる。とくに南北戦争(1861−1864)以降からはじまる西部開拓時代にはさまざまな人間模様が繰り広げられた。

歴史を語る人によって、ミシシッピ川から西のプレーリーと呼ばれる大草原から西部ははじまるという場合もある。あるいはもっと西、探検家たちが苦闘したロッキー山脈からを西部として語っている人もいる。

では1860年代以降、西部の酒場、ウエスタン・サルーンが興隆した場所はどこからを指すのだろうか。いろいろな文献があるが、どうやらミズーリ川とそれが合流するミシシッピ川を境界線として太平洋岸までをウエスタン・サルーンの場として解釈してよさそうである。

ミズーリ川はアメリカ北西部、カナダと国境を接する現モンタナ州(1889年州に昇格)のロッキー山脈を源流とし、モンタナ州平原を東へと流れ、ノースダコタ州から南東へサウスダコタ州、そしてネブラスカやアイオワ州、カンザス州やミズーリ州などの境界を流れながらカンザスシティで東に向かい、セントルイス近くでミシシッピ川と合流する。つまりミズーリ川とミシシッピ川、そしてたくさんの支流が動脈となり人や物資が動いたのだ。

ケンタッキーのバーボンウイスキーも当初はこれらの川によって流通した。

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