バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえるバーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

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ロック・アラウンド・ザ・クロック

世界が認める最高級バーボンウイスキー、メーカーズマークはロックンロールの時代に誕生している。

アメリカは1950年代に突入すると技術革新によって生活水準がグレードアップし、市民は皆、中産階級意識を持ちはじめた。ただし若者たちだけは違っていた。テクノロジーの急激な高度化による矛盾、朝鮮戦争など将来への不安を抱えてフラストレーションを募らせていた。アメリカン・ドリームに憧れ、はけ口の拠り所を求めて爆発寸前だったといえる。

それはまずミュージックシーンに変化をもたらした。1951年、後にニューヨークのWINS局を全米No.1のAM局にのし上げることになる名DJアラン・フリードは、オハイオ州クリーブランドのWJW局にいた。アランは同市最大のレコード店の店主に「いま、何が起こっているのか、見に来い」と呼び出される。彼が目にしたのは、数十人のティーンエイジャーたちがスペシャリティ・レーベルのレコードの前に群がっている光景だった。

大事件。それは当時の白人社会の親たちが子供に禁じていた黒人専用のレーベルだったからだ。40年代はスウィングジャズの時代であり、1950年になるとパティ・ペイジの"テネシー・ワルツ"がヒットしている。若者たちにしてみればスウィングでは満たされず、ラブ・バラードは退屈きわまりない。彼らは刺激をR&B(リズム&ブルース)に見出したのだ。

この日を境にアラン・フリードは番組でR&Bを積極的に取り上げるようになる。そして彼はR&R(ロックンロール)として紹介しはじめる。古いブルースの中にあった『My baby rocks me with a steady roll』という詞にヒントを得たものだといわれている。

ロックとロール。揺すると転がすは黒人スラングではセクシャルな意味があり、また単純に踊るとかバカ騒ぎとも解釈された。

ハリウッドも敏感だった。1953年、映画『乱暴者』、54年『波止場』でマーロン・ブランドが見せた姿を若者が真似るようになる。とくに『乱暴者』での革ジャン、Tシャツにジーンズ。グリス、ポマードをつけたリーゼントヘアが大流行する。ただし、キャンパスではアイビーファッションが主流になっていく。ふたつのかけ離れたファッションが50年代若者の不安定な心理を浮き彫りにしている。

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