バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

プルマン・パレス・カー

角型の食パンを“プルマンブレッド”と呼ぶ。19世紀後半、アメリカのプルマン社が製造した豪華列車の食堂車内で、サンドイッチ用のパンを蓋(ふた)が付いた四角形のケースに生地を入れて焼いたことにはじまるという。

随分と前に、あるパン職人さんからこの話を聞いたのだが、それまで鉄道の寝台車の代名詞ともいえるプルマンカーとプルマンブレッドがわたしのアタマのなかで結びつくことがなかったから、新鮮な驚きだった。

アメリカの酒場の歴史を語る上で、鉄道の発達は避けて通れない。馬車の時代から鉄道の時代へと移り変わるなかで、酒場の有り様も大きく変わっていった。そして深く調べていくと、プルマンカーの存在を知ることとなる。


家具製造業を営んでいたジョージ・プルマン(1831-1897)は、1855年に夜行寝台車(アメリカ初運行1836年、ペンシルベニア州)に乗った。ところが快適とはいえず不満を覚える。そこで1859年に自らの手で寝台車を誕生させた。

鉄道会社の客車を改造したもので、まずイリノイ州シカゴとインディアナ州ブルーミントン間で運行がはじまる。ただし遅れての参入のため人気はいまひとつ。南北戦争(1861)がはじまると兵員輸送車として北軍に買い上げられ、大活躍する。まだ豪華とは言い難かったのが幸いしたといえるだろう。

これにより資金が潤沢となったプルマンはより居住性の高い客車製造へと向かう。1865年、豪華客船を範にしたパイオニア号を製造。これは豪華ながら巨大過ぎるという理由で鉄道各社は採用を控えた。

うまく軌道に乗ることができないでいるところに、リンカーン大統領が暗殺される。大統領の遺体をワシントンD.C.から出身地のシカゴ(出生地はケンタッキー)へと送る送葬列車にパイオニア号が選ばれるのだった。これによりプルマンカーの名は一気に広まり、乗車を希望する声が高まったために各地の鉄道会社から依頼が殺到するようになる。

1867年、プルマン・パレス・カー・カンパニーを設立。シカゴとニューヨーク間に調理設備と食堂を備えた“走るホテル”プレジデント号を導入した。

翌68年登場のデルモニコ号ではニューヨークの有名レストラン「デルモニコ」が送り込んだシェフが腕を振るった。客は食堂の車窓に映る雄大な景色を眺めながら、生花を飾ったテーブルでフルコースの食事とワイン、シャンパンを楽しむ。当時はまだミシシッピ川より東の地域での運行ではあったが、やがてプルマンカーは全米を駆け巡り、“走る豪華ホテルチェーン”となっていく。

for Bourbon Whisky Lovers