バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

フィラメント・ランプ

第1回ケンタッキーダービーが開催された翌年、1876年は文学と音楽の分野で日本にも馴染みのある名作が誕生している。文学ではマーク・トウェインの『トム・ソーヤの冒険』、音楽ではヘンリー・ワークの『大きな古時計』。どちらも21世紀の今日まで読み継がれ、歌い継がれてきた。

科学分野では同じ76年にアレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明した。フィラデルフィアでの万国博覧会に出展し金賞を受賞する。その電話機初輸出先は日本だった。翌77年、日本に2台の電話機が輸出されている。

そしてベルと特許紛争を起こしたトーマス・アルバ・エジソン(1847〜1931年)が発明王としての道を歩みつつあった。77年、エジソンは蓄音機の実用化で名を高め、この年、彼の価値ある業績のひとつ、白熱電球の開発に着手する。

一般に白熱電球を発明したのは1879年2月、イギリスのジョゼフ・スワンだといわれている。しかしながら点灯寿命があまりにも短過ぎて普及、実用化には無理があった。光度を上げようとすると構造上フィラメントの温度を高くしなければならない。スワンが開発した細長い炭素繊条のものでは13時間ほどでフィラメントが蒸発してなくなってしまうのだった。

8ヵ月後の1879年10月21日、スワンの電球を改良したエジソンの白熱電球が完成する。木綿糸に煤(すす)とタールを混ぜ合わせたものを塗り込んで炭化させたフィラメントを使用したものだった。

40時間以上の点灯が可能になり実用化の目処が立ったのだが、製品化して広く普及させるためには安価でさらに長時間点灯させる必要がある。当時普及していたガス灯と競うには最低でも600時間以上点灯できなければ製品にはならないとエジソンは考えていた。電球内の高い真空化を達成できた彼には、とにかくフィラメントが最重要課題だった。

エジソンは6000種もの材料を炭化させて実験したという。友人の髭まで試した。彼を救ったのは研究室にあった中国土産のしゅろの団扇(うちわ)だった。その団扇の骨、竹をフィラメントに使ってみると200時間以上も灯ったのだ。


1880年、エジソンは莫大な資金をかけて世界各地に20人もの竹ハンターを放つ。日本には中国経由で探検家ウィリアム・H・ムーアがやってくる。

ムーアは初代首相就任前の内務卿だった伊藤博文に会い「京都に行ってみるといい」とのアドバイスを得る。次に彼は当時の京都府知事、槇村正直を訪ね、「嵯峨野か、岩清水八幡周辺が良質」と教えられる。

そしてムーアは両地の真竹を採取してアメリカのエジソンに送ったのだった。

*今回の連載内容は
第22回
「ジャーマン・アメリカン」
からのつづきです。

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