バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

ロングドライブ

セレモニーのために、レールを枕木に固定する最後のイヌ釘が時を待っていた。イヌ釘は黄金で、祈りをこめた刻印が施されていた。
“神よ、この鉄道が二つの大洋を結ぶごとく、この国を一つに統合しつづけたまえ”

1869年5月10日。アメリカ最初の大陸横断鉄道が完成する。ユタ州オグデンに近い砂漠の真っただ中、プロモントリーが歴史的な場所となった。

大西洋と太平洋を結ぶという遠大な構想が生まれたのは17年前の1852年のこと。ミズリー州に、ミシシッピから西に向けてわずか8キロの鉄道が開通したときだった。その先、太平洋岸までは3千数百キロもある。

険しく果てしのない山脈と荒涼とした砂漠が延々とつづく西部は、未開の地域である。馬で旅をすれば大陸横断には半年は覚悟しなければならない。無事にたどり着ける保証もない。広大な国土にさまざまな人種が散在して暮らしているアメリカをひとつにまとめるためにも、鉄道の役割は見逃せなかった。


構想は幾度となく挫折しながら、やがて国民的な期待を盛り上げていった。賛否両論が渦巻き、利権をめぐっての激しいやりとりがつづくなか、計画にGOを出したのはリンカーン大統領だった。彼が法案にサインしたのは1862年のこと。南北戦争の最中である。

これが若々しい国の勢いというものなのだろうか。21世紀のいまを生きる我々にとっては、南北戦争という凄まじい内戦下であっても躍動しつづけた国家というものを理解するのは難しい。投資家たちにとって魅惑の地だったと片付けるのは簡単だが、なんとも不思議の国である。

計画は西海岸サクラメントから、東は大陸中央部のオマハから同時に工事をすすめ、両方が出会ったところでひとつに結ぶというものだった。西からはユニオン・パシフィック鉄道。中央からはセントラル・パシフィック鉄道。両社による空前の鉄道敷設レースであったといわれている。

そしてプロモントリーがゴールとなった。最後のレールがうやうやしく枕木の上に置かれ、黄金のイヌ釘が打ち込まれると、両社の機関車が左右から近づき、まるで乾杯のように排障器をカチリと合わせた。

ついに西海岸と東海岸が一本のレールで結び合わされたのだ。居合わせた鉄道員も作業員も機関車を取り巻き、シャンパンを抜いてこの偉業を祝ったという。全国各地でも、その一瞬のために祝賀パーティーが準備されていた。電信を通じていち早くこの知らせが届いた沿線の各地でもいっせいに祝宴がはじまり、西海岸の町では祝砲が轟いた。アメリカ近代化のシンボルとなった。

*今回の連載内容は
第22回
「ジャーマン・アメリカン」
からのつづきです。

for Bourbon Whisky Lovers