バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

レイルロード・ウォー

19世紀半ばのゴールドラッシュはカリフォルニアにひとつの恩恵をもたらしている。ヨーロッパから金採掘にやってきた人々のなかにぶどう栽培や醸造に精通した者たちがいた。ワインづくりのベースは彼らによって築かれたのだ。

アメリカ西海岸側がやっと開拓されはじめたこの頃、東海岸はすでに産業革命の波によって近代化がすすんでいる。西部では一攫千金を狙った者たちが原始的な金の発掘作業に躍起になっている姿があり、一方でアメリカ政府はペリーの黒船(1853年)で徳川幕府に開国を迫っている。なんとも不思議の国であり、いかに若々しく元気にあふれていたことか。


バーボンウイスキー事業は19世紀前半から少しずつ成長していく。1823年にはケンタッキーの『レキシントン・ガゼット』紙がバーボン景気を記事にしたという記録があるらしいが、これはオハイオ川、ミシシッピ川の河川輸送によって広がりつづけたのである。

そしてついに鉄道の時代がはじまる。アメリカでの蒸気機関車による初の営業運転は1830年である。それまでのアメリカの交通網は劣悪だったといわれている。道路整備もすすんでおらず、ほとんどは河川に頼っていた。道路網が充実していたのはニューイングランド(コネチカット、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、メイン、ロードアイランドの6州)のあたりだけだったようだ。

1830年12月25日のクリスマスの日にサウスカロライナ州で蒸気機関車での営業がはじまる。『ベスト・フレンド・オブ・チャールストン』という可愛らしい機関車名だった。これにより各地で蒸気機関車の実用化がすすんでいく。

1832年ペンシルベニア州、バージニア州。翌33年ノースカロライナ州。34年にはケンタッキー州とつづき、35年からはさまざまな州へと広がる。1840年には鉄道の総延長が4,500kmに達し、この距離は当時のヨーロッパすべての鉄道合計距離の2倍というものだった。驚くべき発達である。

ミシシッピ川の東側は1850年くらいまでに路線網が充実し、ミシシッピ川に鉄道が到達したのは54年のことになる。

1856年にはミシシッピ川に橋が架けられたが、3週間で焼失してしまう。蒸気船が橋脚に衝突して炎上してしまったのだ。当然訴訟となる。鉄道側の弁護士がなんとしばらく後に大統領となるエイブラハム・リンカーンであった。

*今回の連載内容は
第22回
「ジャーマン・アメリカン」
からのつづきです。

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