バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

フォーティナイナーズ

アメリカ合衆国の国土は、19世紀半ばまでに大きく拡大した。西部への進出を簡略して述べると、1803年にまず中央部のフランス領ルイジアナをフランスより購入する。1846年には現在のワシントン、オレゴン両州地域周辺を合併して西海岸、太平洋に到達。1848年にはカリフォルニアをメキシコより割譲した。

1850年に31番目の州となったカリフォルニアはジャーマン・アメリカンと縁がある。前知事のアーノルド・シュワルツネッガーの先祖はドイツ系に包括されているオーストリアにさかのぼる。そして初期のカリフォルニアではスイス系で1803年にドイツ南西部に生まれたジョン・オーガスト・サッター(独名ヨハン・アウグスト・ズッター)という人物の名が登場する。


サッターがアメリカに渡った理由は、スイスでさまざまな事業に手を染めては失敗し借金を重ねてしまったからで、夜逃げ同然だったらしい。

ニューヨークへ到着したのは1834年。サッターは、とにかく“偉大な男になる”という夢を抱いていた。この手の人間がたくさん集まってアメリカは躍動したともいえるが、彼もまた西へ西へと旅をつづける。1838年には西海岸のバンクーバー砦へたどり着き、すぐにハワイのホノルルへと船出している。おそらく自分が偉大になれる地を探し求めつづけたのであろう。

スイス連邦のラテン語での国名はヘルヴェティア。彼にはノイエ・ヘルヴェティア(Neue Helvetia/新スイス)を築く大志があったそうだ。

サッターはハワイから次にロシアの植民地だったアラスカへと向かい、そこからクレメンタイン号に乗ってイエナ・ブエナ、現在のサンフランシスコに到着した。1839年の7月のことになる。

当時カリフォルニア周辺はメキシコの一部であり、広大な領域に5000人ほどのヨーロッパ人、そしてネイティブアメリカンが30,000人いたといわれている。人口密度からいえばスカスカの土地であった。

この地でサッターは幸せな夢を見る。メキシコ側に巧みに取り入って1840年にメキシコ市民となり、知事から土地開拓の権利を授かった。土地所有権証書には現在のカリフォルニア州に相当する広さが記されていたという。

彼はサッター砦を築き、そこをホーム地にしながら農業の楽園を創造する。ヨーロッパ人もネイティブアメリカンも多数雇い入れた。ノイエ・ヘルヴェティアと呼び、一時期、カイザー・フォン・カリフォルニエン(カリフォルニアの皇帝)と称されたこともあったらしい。

*今回の連載内容は
第22回
「ジャーマン・アメリカン」
からのつづきです。

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