バーボンウイスキー・エッセイ アメリカの歌が聴こえる

オールド・ジェイク・ビーム 文・達磨信

18世紀末、アメリカ独立戦争後の混乱から酒税が課せられ、それに怒ったウイスキー・ボーイたちが反乱を起こした。そして多くのウイスキー・ボーイたちがケンタッキーへと入植するようになる。

ウイスキー戦争とも呼ばれる反乱を鎮圧したのは初代大統領ジョージ・ワシントンであるが、実は彼もまたウイスキー・ボーイになったことで知られている。

ワシントンが大統領を辞した1797年のこと。彼はバージニア州マウントバーノンの自宅農場で引退後の生活を送るようになり、そこに立派な蒸溜所を建設したのである。発掘調査によって5基の単式蒸溜器を備えた本格的なものだったらしい。ライウイスキーを生産していたこともわかっている。

ただし、ワシントンはその2年後に亡くなってしまう。享年67だった。反乱を鎮めたことで新政府の権威が高まったことは確かだが、ワシントンは酒税徴収に責任を感じていたのかもしれない。自らが酒税を納め、歩みはじめたばかりの新国家財政の一助になればと考えたのかもしれない。

当時ウイスキーは黄金の液体だった。1頭の馬で荒れ地や山を超えて穀物を運べる量はたかがしれている。ところが蒸溜して樽に詰めると馬1頭でも多くの量が運べ、大金となる。しかも時を経ても傷むことがない。付加価値の高い製品であり、給料はもとより、買い物の代価として支払われていたともいわれている。貨幣にとってかわっていたのだ。


ではケンタッキー。1792年にはバージニア州ケンタッキー郡からアメリカ15番目の州、ケンタッキー州となる。

3年後の1795年、ジェイコブ・ビームはバーボンウイスキー、オールド・ジェイク・ビームを発売し、現在につづくビーム王朝の第一歩を記している。歴史をもたない若い国、神話や伝説のない国で、アメリカンウイスキーを牽引しつづけて21世紀のいまや伝説的な家系となったことは祝福されるべきことであろう。

そのはじめは樽詰めバーボン、シングルバレルであった。

どんな樽であっただろうか。シングルバレルではないが、現在人気のジムビームのプレミアム製品に、12年超もの年月にわたり樽熟成したジムビーム シグネチャークラフトがある。これなどバーボンウイスキーにとっては驚異の長期熟成である。ビーム家7代目フレッド・ノーがホワイトオークの見事な新樽を使用し、熟成時の徹底的な品質管理をおこないつくりあげたバーボン長熟の限界ともいえる傑作である。

*今回の連載内容は
第22回
「ジャーマン・アメリカン」
からのつづきです。

for Bourbon Whisky Lovers