増田朋子が語るホール・オペラの魅力
今回、『ドン・ジョヴァンニ』でドンナ・エルヴィーラ役をつとめるソプラノの増田朋子さんに、ホール・オペラ®の魅力を語っていただきました。
私が、初めてオペラを歌ったのは、東京藝術大学2年の学園祭での『蝶々夫人』主役で、このときオペラの面白さに目覚めました。その後、大学在学中にサントリーホール オペラ・アカデミー(1993年、ホール・オペラ誕生と同時に創設)で『ラ・ボエーム』を勉強し、初めて本物のオペラに触れました。アカデミーの同期(第一期生)には、ソプラノの天羽明惠さん、森麻季さん、テノールの櫻田亮さんなどがいました。ホール・オペラ®に出演する一流の外国人歌手と一緒に稽古ができるなんて、他では考えられないことでした。
大学卒業後、ウィーン、ミラノへ留学し、2000年、プラハ国立劇場『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・アンナでデビューしました。ドンナ・エルヴィーラ役は、今回のホール・オペラ®が初めてになります。海外での経験を生かし、自分なりのエルヴィーラを演じたいと思います。
ホール・オペラ®でのデビューは、05年『ラ・ボエーム』でした。エヴァ・メイさんの代役で急遽出演することになりましたが、93年にアカデミーで学んだミミ役で、アカデミーで一緒に稽古したテノールのジュゼッペ・サッバティーニさん、ソプラノの森麻季さんと共演するという、運命を感じるデビューとなりました。
「サントリーホールは、オペラ劇場と違い、舞台が客席に囲まれていて、歌いにくくないですか」と聞かれることがありますが、お客様に囲まれ、温かく包まれるような雰囲気の中で歌うことができて、逆にとても歌いやすいのです。ミミの登場で幕が開ける第2幕、舞台袖で出番を待っているとき、客席のお客様が今か今かと待ってくださっているものすごいオーラが伝わってきて、このとき舞台で歌える喜びを感じました。一方、それはプレッシャーでもあり、お客様の期待に応えられるよう演じなければ、という気持ちを一層高めてくれます。
ホール・オペラ®はオペラ劇場でのオペラと比べ、ハード面で大変なところがあると思いますが、大変だからこそ、工夫し、新しいことを考えるので、「大変」=「すばらしい」ことだと思っています。『ドン・ジョヴァンニ』の公演をとても楽しみにしています。

2005年ホール・オペラ『ラ・ボエーム』にミミ役で出演。左はジュゼッペ・サッバティーニ。
モーツァルトとダ・ポンテが喜ぶ最高のキャスト
ニコラ・ルイゾッティ(指揮・フォルテピアノ)

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モーツァルトは古典派とロマン派の中間の作曲家ですが、『フィガロの結婚』を作曲してから一年半という短期間に、それまでのハイドンやサリエリとはまったく違う、新しいロマン派の作曲家に生まれ変わっています。『ドン・ジョヴァンニ』の冒頭の部分など、もうベートーヴェンを予感させるものです。オーケストラ編成でも、トロンボーンが入っていますし、チェロやティンパニの使い方が前の作品とはまるで違って、驚くほどドラマティックになってきています。また、ナポリの楽器であったマンドリンをセレナーデの伴奏に使っていますが、マンドリンがオペラに使われた初めての例だと思います。
その小さな例からみても、モーツァルトは正真正銘、イタリアの作曲家だと言えます。特にそれが明確に出てくるのは、彼のレチタティーヴォ・セッコの部分のイタリア語の発音の完璧さです。彼のセッコにつけた音楽の、イタリア語のアクセントは、ロッシーニの場合よりはるかに正しいし、ヴェルディでさえ、イタリア語のアクセントを間違えている音をつけている場合がありますが、モーツァルトの場合はそれが皆無です。ダ・ポンテの台本に他の作曲家も音楽を書いていますが、それらの音楽と台本の融合は、モーツァルトとダ・ポンテのコンビの域に達しているものはありません。この二人の間には、ヴェルディとボイトのコンビで『オテロ』という傑作を書いたように、またR.シュトラウスとホフマンスタールのコンビのように、錬金術の技が、化学反応の妙が働いていたのでしょう。だからこそ、モーツァルトのこの三部作は、彼の作品中、最も有名で音楽史上、極めて重要なものなのです。
今回のキャストは、今考えうる限り最高のキャストが揃ったと、大いに満足しています。特にサントリーホールでの上演には最適の歌手達です。
マルクス・ヴェルバほど、ドン・ジョヴァンニ役に完璧なキャラクターを備えている人はいないと思います。彼の優しく無邪気で愛すべき顔立ちは、誰もが危険を感じることなく信頼できるという要素を持っていますから、女性は誰でも警戒心なくなびくのです。声楽的には、彼は声色そのものに大変に魅力あるバス・バリトンで、さらに“超”が付くほどプロフェッショナルな歌手です。それに加えて彼の素晴らしさは、感情を声の中に表現できるという素晴らしい能力です。往年のフィッシャー・ディースカウのようです。『フィガロの結婚』であの難しい伯爵役を、難なく軽く歌いこなしましたが、ラヴィアの演出に従って作り上げていった彼のキャラクター作りの絶妙さ、頭の良さにも感服しました。マルクスは、指揮者の私を幸福にしてくれるばかりではなく、音楽スコアを幸せにし、モーツァルトをも幸せにできる歌手なのです。初演の時のジョヴァンニ役は、22歳か23歳と、大変に若い歌手でした。現代では、30歳から40歳までがこの役に最適の年齢だと思います。声、技術、容姿、年齢と、これほど条件の揃った人も珍しい。必ずや、世界有数のドン・ジョヴァンニになると思います。
レポレッロのマルコ・ヴィンコも、音楽性豊かで美しい声の持ち主で、技術のしっかりした真のバス・バリトンです。レポレッロの名は、“Lepre”(野うさぎ)の意味で、頭の回転も行動も速く、ジョヴァンニの意向をすぐに理解してすばやく動く人間です。ドン・ジョヴァンニのような貴族には、やはりエレガントでハンサムな従者でなくてはなりません。その意味で、ヴィンコは声楽的にも容姿の面でも、最高のレポレッロです。
ドン・オッターヴィオ役のブラゴイ・ナコスキは、長身で端正な美声の持ち主で、モーツァルト・テノールとして色々な劇場で活躍しています。常にポジティヴにものを考えるという彼の性格は、オッターヴィオという役柄にふさわしいと思います。
マゼット役は、周囲で何が起こっているかピンと来ない、ナイーヴな役柄ですが、数年前にサントリーホールの『ラ・ボエーム』公演で“コッリーネ”を聴いた人は、若いけれども深い美声のバス(Basso Profondo)の声を覚えておられるでしょう。ディヤン・ヴァチコフはまだまだ若者なので、今回はマゼットを歌ってもらうことにしました。
騎士長には、おなじみのエンツォ・カプアノ。この役に対する私のこだわりは、あくまでアンナの父親役であるということです。よく、大砲のような大声のバスがこの役を歌いますが、最初の場面のジョヴァンニ、レポレッロ、騎士長の三重唱は、“ソット・ヴォーチェ”で歌われなければなりません。大砲の声ではこれが無理。三人の優秀なバス歌手達が、揃って“ソット・ヴォーチェ”でこの三重唱を歌う時の響きを想像してください!鳥肌がたつほど、美しいと思いますよ。これを歌える人でないと、私はこの役を任せることはできません。
ドンナ・アンナは、『フィガロの結婚』で伯爵夫人を歌って大好評だったセレーナ・ファルノッキア。伯爵夫人は、彼女にとっても前回のサントリーホール公演が初めての挑戦でしたが、ドンナ・アンナ役はすでにムーティ指揮のスカラ座で歌っていますから、本当の当たり役です。彼女のよく通る美声とコロラトゥーラの技は、まさに絶品です。
ドンナ・エルヴィーラには、増田朋子。彼女の正確なコロラトゥーラは圧巻ですが、それに加えて、マルカートでアジリタを歌える数少ない歌手だと思います。私が欲しいエルヴィーラには、彼女の声とテクニックは打ってつけです。それに加えて、エルヴィーラという“すべてを捧げつくす女性”という性格も、彼女にぴったりだと思います。
若く可愛いツェルリーナには、今メキメキと頭角を現してきている新鋭ソプラノのダヴィニア・ロドリゲス。珠玉のような声の持ち主で、何処まで上が出るか分らない程のハイ・ソプラノで、完璧なコロラトゥーラを歌える人。ドン・ジョヴァンニの権力とパワーに引かれながらも、地に足を踏みとどめるしたたかな若い娘をうまく演じてくれることでしょう。
今回のキャストは、騎士長を除く全員が20代から30代前半という、若い勢いのある歌手達ばかりです。全員イタリア語をパーフェクトに話す人達で、私にとっても理想のキャストですし、きっとモーツァルトとダ・ポンテに一番喜んでもらえるキャストではないかと思っています。(談)
2008年8月/イタリアにて