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サントリー芸術財団コンサート
作曲家の個展Ⅱ 2017

「作曲家の個展」は、わが国の優れた作曲家ひとりに焦点をあて、その代表作をまとめて紹介するコンサートとして1981年にスタート。昨年からふたりの作曲家による新シリーズ「作曲家の個展Ⅱ」をお届けしています。
今回は、日本を代表する作曲家である一柳慧・湯浅譲二の両氏を迎えます。

【日時】
2017年10月30日(月) 19:00開演(18:20~プレ・コンサートトーク)
※公演日をクリックしたページよりチケットを購入いただけます。

「コスモロジー」と「空間」 湯浅譲二と一柳慧のしごとから

小沼純一(音楽・文芸批評/早稲田大学教授)

 おなじ出来事でも人物でも、いつ、どんなふうによって知ったかで、見え方は変わってくる。湯浅譲二(1929-)と一柳慧(1933-)の2作曲家、5歳と年齢差のない2人についても同様だろう。

サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ IV ジョン・ケージ(1986年、サントリーホール) ケージ「エトセトラ2―4群のオーケストラとテープのための」世界初演のカーテンコール。写真左から4群のオーケストラを指揮した湯浅譲二・一柳慧・黛敏郎・岩城宏之とジョン・ケージ。

©木之下晃

「吉原すみれ打楽器リサイタル」リハーサル時(1979年、東京文化会館小ホール)
写真前列左から武満徹·一柳慧、後列左から石井眞木·湯浅譲二

 瀧口修造のまわりに集まった若き芸術家たち、実験工房のメンバーだった湯浅譲二と、高校を卒業してすぐにアメリカ合衆国にわたった一柳慧。おもしろいのは、両者がともに若き日の武満徹と友人であったことだ。

サントリーホール国際作曲委嘱シリーズ IV ジョン・ケージ(1986年、サントリーホール) ケージ「エトセトラ2―4群のオーケストラとテープのための」世界初演のカーテンコール。写真左から4群のオーケストラを指揮した湯浅譲二・一柳慧・黛敏郎・岩城宏之とジョン・ケージ。

©木之下晃

「吉原すみれ打楽器リサイタル」リハーサル時(1979年、東京文化会館小ホール)
写真前列左から武満徹·一柳慧、後列左から石井眞木·湯浅譲二

 湯浅譲二は武満徹や福島和夫らとともに、音楽以外の芸術表現を求める人たちとも交わり、美術批評のハーバード・リードや哲学者のジャン=ポール・サルトルなどのことばを用いながら思考と実作を進めていった。一柳慧はかの地でジョン・ケージに出会い、ともに活動をし、吉田秀和のもの言いを踏襲すれば「ジョン・ケージ・ショック」を極東の列島に持ちこんだ。1960年代のはじめ、のことだ。
 1970年代になると、まず大阪万国博覧会(1970)があった。数年後には作曲家グループ「トランソニック」の結成(1973-76)もあった。『高橋アキの世界』(1973)という「現代」のピアノ作品を集めたレコード・ボックスもリリースされた。このどれにも2人の名はあり、当時の呼び方をするなら、保守系ではなく、前衛的・実験的な作曲家とカテゴライズされていた。一方で、湯浅譲二は《はしれちょうとっきゅう》(1967)やドラマ『コメットさん』(1967-1968)、あるいは『元禄太平記』(1975)の音楽を手掛ける。一柳慧はといえば、作曲とはべつにピアニストとして、西武美術館で「ミュージック・イン・ミュージアム」を立ちあげるなど、コンサートでの作品の発表とは異なった音楽活動をおこなっている。もちろん、1960-70年代におけるポップ・カルチャー、アンダーグラウンド・カルチャーとのつながりもある。《オペラ 横尾忠則を歌う》(1967)は、世界的規模の学生運動の前夜につくられた記念碑的作品といえるだろうし、1970年代半ばから後半にかけておこなわれた「ニューミュージック・メディア」といった音楽イヴェントへの参加もあった。
 また、ともにオーケストラの作品に与えられる尾高賞をともに何度も受賞していることも特記しておくべきだろう。

 だが、かならずしも2人の作曲家が近いところに位置しているとはいえないかもしれない。先に記したように、ある時期におけるひとつの見え方にすぎないのかもしれない。

「クロノプラスティクII」、他
湯浅譲二 オーケストラの時の時
フォンテック FOCD9288

 湯浅譲二がしばしば用いる語に「コスモロジー」がある。コスモスは宇宙、そこから派生して宇宙観と訳される語だ。個々人は生まれた時があり場所があり、育った環境があり、みずからが選択したり他者から与えられたさまざまな影響がある。音楽はそうしたコスモロジーがあらわれてきたもの、いや、おのずとあらわれるもの、あらわれてしまうもの。この作曲家にはいくつも『内触覚的宇宙(Cosmos Haptic)』と題される作品があるけれども、そこにある宇宙は、地球が存在する宇宙という意味ではかならずしもなく、もっと内的なもの、内的な生成そのものが音として造形されていると言っていい。この姿勢はごく初期から現在まで変わることはなく、湯浅譲二がみずからの作品にとりくむ際にも、また何らかのかたちで他者の作品を聴いたり評価したりする際にも、大切にされているものだ。そして、このコスモロジーは、これまでなかったもの、なかったひびきとしばしば結びついている。やはりこれもよく用いられている語で「未聴感」である。素材は何でもかまわない。ありきたりでもかまわない。でも、作品そのものとしてはこれまで耳にしたことのない、聴いたことのない「コスモロジー」が感得できるもの。それを作曲家は聴きたいし、目指している。

〈一柳 慧の宇宙 III〉一柳 慧~1960's&1990's
ピアノ協奏曲第3番「分水嶺」、他
カメラータ・トウキョウ CMCD-50039~40

 他方、一柳慧は、「空間」という語を用いる。作品のリストをみれば、このニュアンスにとることができるものがいくつもあるのがわかるだろう。音楽は時間のなかで生成する。感覚や感情をある時間のながれのなかで効果をして生みだしてゆくことができるし、ストーリーを組織することもできる。だが、それだけではない。音がひとつあるとき、それはかならずある広がりを持つ。その音が発されるところがあり、届くところがあり、そのあいだがある。ひとりの人が音を発するのと、べつにまたひとりいて音を発するのとでは、そのあいだにさまざまな空間が生みだされる。聴き手にとってはさらに、だ。時間と空間の函数としてとらえながら音楽を思考し、作曲する。それは、具体的に五線紙に音符を書きつらねてゆくということとおなじでありながら、違う。具体的にいえば、その作品が演奏される場所、建築物のありようであったり、ステージでの楽器の配置だったりもするだろうし、楽器の違いによる音の違いもかかわってくるだろう。さらには、その場、つまりどういう人が演奏に携わるのか、どういう人たちが聴きてとしてやってくるのか、さえも無縁ではないはずだ。そうしたなかで、作品がどのように演奏され、どうひびき、どう伝わるかを思考=志向する。一柳慧は、初期における偶然性のつよい図形楽譜を用いたような作品から距離をおきながら、しかし、音が、音楽がなりたつその場に、その場における時間・空間に、意識的だ。それゆえに、『モモ』や『ハーメルンの笛吹き男』のようなオペラも作曲することになる。

 音楽をつくってゆくうえでの思考=試行のなかで、近年はかならずしもみえやすくはないけれども、ともに大きな影響を持ったのは、電子音楽だった。
 1950年代半ばに電子音楽のスタジオが生まれ、以後、内外の作曲家たちがここにこもって作品をつくりだした。湯浅譲二も一柳慧も同様である。
 既存の楽器からでるのではない音をこのスタジオでつくり、作品にしていくというのはもちろんのことながら、時間のなかで生起する音・音楽のつくりをあらためて試行=思考しなおす。電子音による音のたちあがりや減衰といったうごきを、楽器に、オーケストラに適応させる。あるいは、まったく逆に、都市のさまざまな音響をコラージュする。その音響から逆に、都市のサウンドスケープ、音環境の問題にアプローチする。さらに、小型化したシンセサイザーの出現によりライヴ・エレクトロニックが可能になる。まとめて列挙してしまったが、2作曲家はそれぞれ異なったかたちで電子音・電子音楽をみずからの音楽行為に内在化していったと言っていい。

湯浅譲二

一柳慧

 コンサートで、現代の作品にふれる場合、1作曲家について1作品、である場合が多い。オーケストラの定期演奏会でも、古今の作曲家のあいだにひとつ、何らかの楽器のリサイタルでも近いかたちになる。1作曲家の作品が複数演奏されて、というのは、「個展」などでないかぎりなかなかない。さらに、2人の作曲家の作品を複数、というのは珍しい。1作曲家1作品だったなら対照もかぎられているけれど、複数の作品となると、各作曲家の異なった側面をみることができるし、対照も多様になる。
 今回の「作曲家の個展」では、湯浅譲二・一柳慧それぞれの1990年代に作曲されたピアノとオーケストラのための作品がひとつのコントラストを、また、近年の作品2曲が20年前の作品ともうひとつのコントラストをつくるプログラムとなる。
 ピアノとオーケストラという、古典的な呼び方なら「協奏曲」が、それぞれの作曲家ではどのようなものになるのか。かつてのヨーロッパならソリストのヴィルテュオジティ、あるいはソロ楽器の特質が前面に押しだされ、オーケストラと対立し、競いあい、弁証法的に統合されるということが多かった。そうした二項対立的発想、を20世紀末における極東の作曲家はどのように扱っているのか。オーケストラの楽器編成もそこにはすくなからず関わってくるだろう。
 新作については、すでに大家となった作曲家が、「2017年」の時点で何を考えているのか、どんなことを考えているのかを、聴きとれるなら、とおもう。作曲家がそれぞれに、オーケストラという、個々の演奏家が集まってひとつの音楽をつくりだす、そのフォーマットへの長年のキャリアのうえでの回答に立ちあえるなら、と。

 冒頭に記したように、聴き手は、湯浅譲二と一柳慧という2作曲家について、それぞれに近さや遠さを抱いている、あるいは、抱いていない、だろう。その近さや遠さを、実際の演奏にふれ、各作品をクロスさせながら、みずからのおもいこみを揺るがし、ずらすことが今回のコンサートで起こることを期待して――――。

【これまでのサントリーホール公演のチラシ】

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