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| お茶が一般に普及したのは、1191年に、臨済宗の開祖・栄西禅師が中国・宋から茶の種子を持ちかえり、栄西禅師から茶種を贈られた京都栂尾・高山寺開祖、明恵上人(みょうえしょうにん)が栽培を始めてからと言われています。また、1738年には京都の宇治田原・湯屋谷(うじたわら・ゆやだに)の永谷宗円(ながたに そうえん)が現在の煎茶の製法を創案するなど、京都はまさに日本茶の「聖地」と言えます。 京都山城地方は、その豊かな自然環境と京や奈良の都を間近にひかえた流通・販売上の条件もそなわって、茶の栽培が定着し、わが国の茶業の中心地として発展をとげてきました。 いわゆる「宇治茶」としての名声は山城の茶に負うところが多いのです。そのお茶は足利幕府や徳川幕府の庇護を受け、茶師には“御用茶”としての使命が負わされた程です。 福寿園はそのような背景を持つ京都山城地方で寛政二年(1790年)に創業した、歴史ある、 由緒正しい老舗茶舗です。 伊右衛門はその歴史を受け継ぐために、福寿園初代の名前を頂戴しました。 |
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「本物」「安全」「良質」「美味」「健康」「自然」「伝統」「格式」「技巧」
福寿園は日本伝統の“茶の心”を受け継ぐため、またお茶を通じてお客様に豊かさを届けるため、上記の心得を掲げています。 |
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徳のある人のところには、呼ばれなくとも人が集まるという意味で、古くから福寿園に伝わる家訓です。
福寿園初代のように、自然と皆様に選んで頂ける緑茶に。 伊右衛門という名前にはそのような意味も込められています。 |
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福寿園は古く、寛政二年の創業で大阪・神戸に通じる木津川の船着場として、また大和・伊賀街道の交叉地として諸物の集散地であった山城国上狛(現京都府山城町)に福井伊右衛門により茶商として始まりました。 |
時は、徳川十一代将軍・家斎の治世下。わずか15歳で将軍となった家斎を補佐しつつ、八代将軍・吉宗の孫である松平定信が、賄賂、士風・文化の類廃を招いたとされる田沼意次時代の腐敗を正すために、江戸三大改革の1つとして名高い、「寛政の改革」を行っていた時期です。また鬼の平蔵こと、長谷川平蔵が松平定信の命で、火附盗賊改方として活躍していた頃でもあります。松平定信が市民に厳しい倹約を強制する一方で、葛飾北斎や東洲斎写楽、滝沢馬琴や十返舎一九といった後の世に語り継がれる作品を創り出した文化人が生きた時代でもあり、江戸時代の最も文化が爛熟されたとされる化政文化の前の大切な準備期間だったとも言えます。 福寿園はそのような時代から日本茶の歴史を受け継いできています。 |
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福寿園の茶葉の集荷は古くから、大和・河内・伊賀・伊勢などにも及びました。 それぞれの土地で信頼できる仲買人、あるいは土地に詳しい人を頼りに、 良い茶葉を求めたといいます。 各産地の茶農家と茶舗との関係は、いわば、信頼の上に成り立つもの。 お茶の本質をよく知り、信頼関係の中で、厳しい目を持って茶葉と向き合う。 福寿園の歴史は、互いにそうした姿勢が貫かれて、はじめて可能になったのです。 茶農家は愛情を込めて良いお茶を作り、その仕事を茶舗がきっちりと受け止めて、 それに応える。 老舗茶舗の歴史に裏付けされた信念と真摯さが、茶農家との信頼関係に繋がっています。 |
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