プラハ国立美術工芸博物館所蔵
耀きの静と動 ボヘミアン・グラス

2014年8月2日(土)~9月28日(日)

※各作品の展示期間については、美術館にお問い合わせください。

出展作品リスト(PDF)

第1章 中世:14~15世紀

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フルート形トールビーカー
1400年頃
ボヘミア

ボヘミアでの中世のガラス製造は、ルクセンブルク朝末期のカール4世(カレル1世、1346~1378)とヴェンツェル(ヴァーツラフ4世、1378~1419)の治世下に最初の最盛期を迎えますが、領内に多数のガラス工場が作られるようになったのは15世紀後半以降のことです。

おもに製造されたのは、ビーカーやゴブレット、背の高いフルート形ビーカーや瓶などの多種多様な容器です。緑色か茶色を帯びていることが多く、森林地帯の工房で作られたことから「森林ガラス」と呼ばれます。装飾も水滴状の突起装飾「プランツ」や、内側に模様のある型に吹き込んで施したものが多く見られます。素朴な日用品をご紹介いたします。

第2章 ルネサンスとマニエリスム:1550~1650年頃

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ザクセン選帝侯クリスティアン2世肖像文パネル
1602年または1606年
カスパー・レーマン(エングレーヴィング)/プラハまたはドレスデン(ガラス)

16世紀中頃になると、ボヘミアン・グラスは器形が進化し始め、多様な器が現れます。脚付のゴブレット、大小のビーカー、ピッチャー、ジョッキ、巡礼者用水筒などが登場したのです。おもな装飾技法も型吹きと熔着に加え、エナメル絵付とエングレーヴィングも行われるようになりました。カスパー・レーマン(1563または1565~1622)は、プラハで最初にエングレーヴィングをガラス装飾に取り入れました。彼は、この地を欧州文化の拠点に育てたハプスブルク家ルドルフ2世(1575~1612)の宮廷に彫刻師として仕えた人物です。このエングレーヴィング技法は、その後光り輝くガラス素地「カリ・クリスタル」が開発されるとボヘミアン・グラスを大いに発展させることになるのです。

第3章 バロックとロココ:1650~1790年頃

「ボヘミアン・クリスタル」として知られる透明度の高いカリ石灰ガラス素地が開発されると、バロック期のガラス生産は重大な転換期を迎えます。瓶やエナメル彩色の「フンペン」(円筒形飲器)などに加え、隆起したステムに美しいエングレーヴィング装飾を施したゴブレットも作られるようになりました。18世紀前半、バロック期のボヘミアン・グラスは、カットとエングレーヴィングを多用した上質で無色透明な器の生産が拡大したおかげで絶頂期を迎えます。それまで同様、生産の中心地は国境周辺ですが、工場では透明ガラスと同時にコバルトやルビー色、ライトブルーや不透明な乳白色のガラスなど、色ガラスも製造されました。

エングレーヴィング以外にも輝きのガラス素地を生かした数々の装飾法が発展します。光沢エナメル、シュヴァルツロット(黒エナメル彩)、金彩、2層のガラスに金箔模様を挟むゴールドサンドイッチ技法などがその例です。ボヘミアン・グラス興隆期のヴァラエティ豊かで洗練された器の世界をお楽しみください。

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コロウラット家紋章文蓋付ゴブレット
1720年頃
ボヘミア

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四季寓意文二層蓋付ゴブレット
1730~1740年
ボヘミア

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狩猟文瓶
1725~1730年
ダニエル&イグナッツ・プライスラーの工房(絵付)/ボヘミア(ガラス)

第4章 古典主義、帝政様式、ビーダーマイヤー様式、
ロココ・リヴァイヴァル:1800~1865年頃

19世紀は、古代ギリシャ・ローマ芸術への憧れからシンプルで落ち着いた造形の古典主義様式から始まりました。続く帝政様式もその流れを汲み、繊細な飾りと肖像画を彫った無色透明ガラスの器が多く見られます。

しかし1820年代末からは市民に親しみやすいビーダーマイヤー様式が出現し、一転、色ガラスが人気を博します。1820年代から1840年代には新種のガラス素地も加わり、不透明の黒・赤色ガラス、ウランによる蛍光緑色のガラスや大理石のようなマーブルガラスなど、ボヘミアン・グラスは色鮮やかに発展しました。カットの種類にも変化がおき、カットやエングレーヴィングに絵付を組み合わせた多彩な器も登場します。ガラス製造の中心地はボヘミアの北部と南部で、中でも高名な彫刻師は卓越した肖像画で知られるドミニク・ビーマン(1800~1857)です。

モノクロームからカラフルに変貌を遂げたボヘミアン・グラスをご紹介します。

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男性肖像文ビーカー
1830年以前
ドミニク・ビーマン(エングレーヴィング)/ハラフ・ガラス工場、ノヴィー・スヴェット<ノイヴェルト>(ガラスとカット)

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最後の晩餐文蓋付ゴブレット
1840年頃
北ボヘミア(エングレーヴィングと絵付)/ハラフ・ガラス工場、ノヴィー・スヴェット<ノイヴェルト>(ガラスとカット)

第5章 歴史主義:1860~1890年頃

19世紀後半に入り、西欧では、美術工芸品の質の向上を目指す改革が起きました。それは歴史的な芸術様式から着想を得る形で進みます。ボヘミアとオーストリア=ハンガリー帝国領土全体では、ルートヴィヒ・ロブマイヤー(1829~1917)が、オーストリアの一流職人たちの協力を得てネオ・ルネサンス様式の高級ガラスを製造しました。ロブマイヤーの他に、ハラフ伯爵、ヨゼフ・リードル、ヴィルヘルム・クラリクも高品質のガラスを製造します。 ガラス教育機関の設立もガラス製造の発展に重要な役割を果たします。1856年、カメニツキー・シェノフ〈シュタインシェナウ〉に、1879年には北ボヘミア・ノヴィー・ボル〈ハイダ〉にガラス工芸専門学校が創立されました。

また重要なガラス生産の中心地のひとつに、西ボヘミアのカルロヴィ・ヴァリ〈カールスバート〉があげられます。ルートヴィヒ・モーゼル(1833~1916)はこの地にガラス装飾の工房を構え、初期はエングレーヴィングで、後にアラビアと日本の様式の絵付によってガラスに装飾を施しました。

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カメオを模した絵付花器
1876年
ハラフ・ガラス工場、ノヴィー・スヴェット<ノイヴェルト>

第6章 アール・ヌーヴォー、アール・デコ、機能主義:1890年頃~第2次世界大戦

20世紀はガラス製造の拡大期でしたが、国内外の政治的事件によって数々の 経済的、社会的、文化的な逆転が起き、ガラス造形、教育機関なども大きく変貌を遂げた時代でもありました。

19世紀から20世紀への転換期に分離派様式による製品が流行すると、応用美術分野全体が巻き込まれます。ガラス工芸も例外ではありません。花器の形は流動的になり、植物を模した装飾がガラス面を覆いました。この時期名声を得たのがレッツ社です。1918年以降、新たに建国されたチェコスロバキア共和国ではアートグラスが人気を博し、アール・デコ様式の形状とカラフルさをもつ作品が登場、1920年代末からは機能主義に基づく日用品も作られました。

1920年代初頭、応用美術大学のヨゼフ・ドラホニョフスキーは、グラスアーティストの教育カリキュラムを公式に導入します。1920年には、現代グラスアートの中心地であるジェレズニー・ブロッドに、現地の生産を支援するためのガラス工芸学校が創立されました。

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花器
1902年
ヨハン・レッツ・ヴィドフ<ヴィトヴェ>ガラス工場、クラーシュテルスキー・ムリーン<クロスターミューレ>(製作)

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レスラー
1925年頃
ヤロスラフ・ブリフタ(デザイン)/ガラス工芸学校、ジェレズニー・ブロッド<アイゼンブロート>(製作)

第7章 1945年から現代まで

1945年以降、チェコのアーティストたちは、新しい形のガラス工芸の創造という課題に取り組み、「スタジオアート」と呼ばれる分野において国際的に指導的な役割を務めました。スタニスラフ・リベンスキーとヤロスラヴァ・ブリフトヴァーが広めた鋳造ガラスの開発は、世界のグラスアートに貢献をもたらします。

1958年ブリュッセル万博、1967年モントリオール万博、1970年大阪万博など国際博覧会での展示で、チェコ・グラスは世界的な成功をおさめました。また、チェコ・グラスの水準に決定的な影響を与えたのが、プラハ応用美術大学を中心とする系統的なガラス工芸教育制度でした。現在もチェコのアートグラスは進歩し続け、その高い技術力と創造性豊かな造形美は、世界的名声を誇っています。激動の歴史の中にも発展を遂げた大戦後のチェコ・グラスをご覧いただきます。

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ヘッド I
1958~1959年
スタニスラフ・リベンスキー、ヤロスラヴァ・ブリフトヴァー(デザイン)/ジェレズノブロツケ・ガラス工場、ジェレズニー・ブロッド<アイゼンブロート>(製作)

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ハート・チャクラ
2007年
パヴェル・トルンカ

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