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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2015年度

「陛下の映画」の登場と展開:現タイ国王プーミポンを取り巻くイメージ戦略

京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士(一貫)課程
櫻田 智恵

 本研究の目的は、プーミポン前タイ国王に焦点をあて、「いつ、誰が、どのようにして『理想的な国王』のイメージを生み出し、それは如何に拡散して人々の意識に根付いていったのかを明らかにする」ことである。助成を受けた1年間では、前国王の公務や私生活の様子を撮影した「陛下の映画」に着目し、その登場の経緯と地方への拡散の様相を明らかにすることを第一の目的とし、研究を行った。
 東南アジア大陸部にあるタイ王国では、君主制が政治経済的・社会的に大きな影響力を持つ。特に、前国王プーミポン・アドゥンヤデート(在位1946~2016年)の言葉は絶対であった。誕生日のスピーチを通して伝えられる前国王の「お言葉」は、人々の生活指針となり、またそれに沿わない政策を行う政治家は社会的に厳しく糾弾されてきた。なぜ、多くの国民は前国王の「お言葉」に従うのか。そうした前国王の絶大な権威は、どのように形成されたのか。これが、本研究における大きな問いである。
 多くの先行研究では、プーミポン前国王の政治的権威が形成される過程に着目した研究がなされてきた。しかし、民衆が前国王の「お言葉」に積極的に従う理由、すなわち社会的権威の形成については、近年まで全く論じられなかった。そこで本研究では、前国王の社会的権威を形成するために重要だったのは、前国王を取り巻くイメージ戦略であるという作業仮設を立て、分析を進めた。イメージ戦略とは、「理想的な」国王の姿を抽出し、メディアによってそれを流布させ、民衆の求心力を高めることである。
 イメージ戦略の要となるのは、地方行幸である。現在流布している前国王の写真や動画などのイメージは、地方行幸にかんする言説が中心だからである。行幸をイメージ戦略として駆動させるには、大きく2つの車輪が必要である。ひとつは、奉迎の場を如何に演出するかという奉迎の仕組みであり、もうひとつは行幸の広報と報道である。本研究で焦点を当てた「陛下の映画」は、後者の広報と報道において、特に1950年代~70年代初頭において中心的役割を担うメディア媒体である。
 「陛下の映画」とは、非公開の王室行事や地方行幸等の諸公務の様子や、国王自身が撮影した家族の映像を見せるためのものである。一般に「陛下の映画」と総称されるが、正式名称ではない。撮影角度や編集、弁士の述べる内容、BGMの選定完成版の検見に至るまで、すべて前国王自身が関与したため、そう呼ばれた。初上映は1953年で、1950年の戴冠式を撮影したものであった。その後、1973年までに、正式には17本の「陛下の映画」が作成・上映され、その他にも膨大な数のフィルムが撮影された。
 撮影、編集、宣伝、上映など映画関連の仕事を行ったのは、主に2名である。ひとりは、モームヂャオ・スックラーンディット・ディッサクンという王族出身の職員、もう一人はゲーオクワン・ワチャロータイという職員である。特に重要な役割を果たしたのは、終生にわたり側近をつとめたゲーオクワンである。
 映画は、最初にバンコクで、その後全国各地の映画館や、招致希望が多かった学校、病院を中心に上映された。収益は招致した場所で自由に使用できたため、設備投資を目的とする公共施設からの希望が多かったのである。鑑賞料は「お心づけ」で、一本の映画が3時間以上あり、出入りは自由であった。
 上映にあたっては、宮廷楽団による生演奏も行われた。いくつかの楽団が人気を争っており、映画の入場者数も楽団の人気度に左右された。上映会は、宮中内の様子や、当時最先端の衣服を身に着けた王妃や子供たちの映像に加え、普段は聞くことのできない宮廷楽団の生演奏を聴くことができる場であった。これは多くの民衆にとって、王室の気風を感じられる貴重で新鮮な機会になったと考えられる。
 その一方で、民衆のすべてが「陛下の映画」を鑑賞できたわけではない。例えば、鑑賞にあたっては、長ズボンや袖のある服装をするなど、「礼儀正しい」服装ができない人は排除された。
 「陛下の映画」は民衆にとって、公務を行う国王を見る場というだけでなく、総合エンターテイメントとしての場でもあった。そしてそれは、押し付けられて一方的に需要するのではなく、むしろ利益を得るために積極的に利用するものでもあった。映画の誘致希望は、1950年代前半には相当数出ており、国王のイメージは急速に拡散し始めていたということができる。初めて大規模な地方行幸が行われるのは1955年であり、それに先駆けて「国王を見る」という行為が映画を通して行われていたということは注目に値する。
 また「陛下の映画」拡散は、先行研究が指摘するように冷戦期アメリカの介入の影響ではなく、宮中の側近らが積極的に関与して行われたものだという点で、本研究は新しい知見を提供する。
 今後は、本研究をさらに発展させ、「良き国王」のイメージを拡散させるための地方行幸と「陛下の映画」との相乗効果や、行幸と映画が各地にもたらした、特にインフラ面への効果について分析を進めたい。最終的には、「良き国王」のイメージが、タイ国民の「集合的記憶」になっていく様相を描きだしたい。

 

 ※京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科特任研究員

 

2017年5月

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