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研究助成

成果報告

2004年度

東北アジアからみた知的財産に関する国際私法の統一についての研究

早稲田大学法学部教授
木棚 照一

(1)GATTウルグアイ・ラウンドの成果として1995年にWTO/TRIPS協定が成立したことによって、知的財産に関する実質法の統一の機運が従来に比べて飛躍的に進んだことは否定できない。しかし、1999年11月30日から12月3日にかけてのシアトル閣僚会議は、発展途上国、NGOの反対運動などの中で何等の宣言・決定もなく終了し、2001年11月9日から13日にかけて行われたドーハ閣僚会議でも、閣僚宣言が採択されたが、むしろ問題点の確認にとどまるものであり、WTO/TRIPS似夜知的財産に関する実質法の世界規模での統一が行き詰っていることを示すものであった。このような状況の中で、地域的なFTA/RTAによるTRIPS協定プラスの動きが生じている。日本もこれまでシンガポールとメキシコの間で投資協定を含む経済連携協定を締結し、現在発効している。今後、日韓自由貿易協定が目指されており、この協定における知的財産権に関する条項をどのようにすべきかが問題になっている。
 実質法の統一が行き詰る中で、国際私法の統一によるエンフォースメントの強化を試みる動きが現れてきた。これは、1999年10月のハーグ国際私法会議特別委員会による「民事および商事に冠する裁判管轄権および外国判決に関する条約」準備草案とそれをめぐる議論の中で明確になってきた。2001年6月の外交会議の議論を通じて知的財産に関する規定を含むこの準備草案にさまざまな問題があることが指摘された。たとえば、知的財産権の登録、有効性、無効を目的とする手続の専属管轄に関する12条4項に関連して、登録されない意匠権や商標権に関する手続ついても同様に権利が生じた国の専属管轄とするかどうか、侵害の先決問題として権利の有効性が争われた場合にも登録国等の専属管轄とするか、につき議論が分かれた。そこで、商業的取引における専属管轄合意に範囲を狭めることになり、2003年3月の作業部会案「裁判所の選択的合意に関する条約作業部会草案」、2003年12月の特別委員会による「裁判所の専属的選択合意に関する条約草案」を経て、2005年6月14日から30日までの外国会議で「管轄合意に関する条約(案)」が固められている。
 ハーグ国際私法会議を契機とした知的財産紛争に関する準拠法、国際裁判管轄、外国判決承認に関する統一規則の議論が展開されるようになった。その中でも、とりわけ、アメリカ法律協会(ALI)の原則とドイツのマックス・プランク研究所提案が注目される。わたくしたちは、東北アジアの視点からこのような議論を見直し、東北アジアの観点から知的財産に関する国際私法の統一に関する意見を発信しようとして、研究を進めている。以下、研究期間における活動・成果と今後の展望について触れることにする。

(2)まず、2004年9月4から5日の漢陽大学法科大学校における日韓知的財産法・国際私法同セミナーである。このセミナーでは、日本側から早稲田大学から木棚照一教授、今村哲也助手、立命館大学から渡邉惺之教授、神戸大学から中野俊一郎教授の4名が参加し、韓国側からは韓国国際私法学会崔公雄会長、孫京漢副会長、ソウル中央法院李聖昊部長判事、漢陽大学石光現教授はじめ30人ほどの専門家が参加した。研究会は三部に分かれた。第一部は、9月4日午前に「知的財産法の国際私法上の問題に関する国際条約の動向」と題し、韓国国際私法学会崔公雄会長の司会のもとで行われた。報告は、韓国司法錬修院盧泰嶽教授「ハーグ外国判決条約上の議論」、ソウル中央地方法院李聖昊部長判事「知的財産紛争の国際私法上の問題に関するアメリカ法律協会(ALI)の議論の動向」、漢陽大学石光現教授「ハーグ外国判決条約に関するマックス・プランク研究所の議論の動向」であった。盧泰嶽教授は、ハーグ会議の2004年4月の専属的選択合意条約案中の知的財産条項をとりあげ、ハーグ条約を契機とした大陸法系と英米法系の管轄原則の統合は可視的成果を挙げずに中断されるのではないか、と指摘された。李聖昊部長判事は、ALIのこの点に関する議論情況を概観しながら、2001年10月にChicago-Kent法科大学でのWIPO草案を一部修正したChicago-Kent草案に関して中心的に検討し、消費者保護規定をすべて排除し、被告に対する裁判管轄権を広げすぎて、知的財産権者保護に偏っていると批判された。また、マックス・プランク提案については、伝統的な属地主義に偏って裁判管轄権を制限しすぎており、デジタル時代の知的財産侵害訴訟に適切に対応できないとされた。石光現教授は、渉外的な知的財産訴訟を有効性訴訟と侵害訴訟に分けて、それぞれにつきマックス・プランク提案の内容を紹介された。有効性が先決問題として争われる場合には、登録国の専属管轄を認めないこと、不法行為管轄規則は知的財産権侵害訴訟には適用されないこと、インターネットによる知的財産権侵害については特則が認められていることなどを紹介された。
 第二部は、9月4日午後に「知的財産紛争の論点」と題して、韓国国際私法学会孫京漢副会長の司会で進められた。ここでは三つに分けたテーマについて日本側と韓国側からそれぞれ報告者を立て報告し討論した。「知的財産紛争の国際裁判管轄権」については、早稲田大学木棚照一教授と仁荷大学李大熈教授、「知的財産関連の外国判決の承認と執行」については、立命館大学渡邉惺之教授と光元大学李奎浩教授、「国際知的財産紛争の裁判外の解決」については、神戸大学中野俊一郎教授、情報通信政策研究院鄭燦模博士がそれぞれ報告された。日本と韓国の判例、学説、制度についてそれぞれ報告され、討論された。
 第三部は、9月5日午前中「日韓自由貿易協定と知的財産」と題して、ソウル大学丁相朝教授の司会のもとで進められた。報告は、漢陽大学ユン宣熈教授「日韓知的財産法制の調和方法」、早稲田大学今村哲也助手「日韓自由貿易協定と知的財産法」、韓国対外経済政策研究院鄭成春博士「日韓自由貿易協定と知的財産権保護」であった。韓国側は、現在両国政府間で話し合われている内容を紹介する予定であったが、日本の官庁側からの反対があり、報告できなかったのは、残念であった。

(3)つぎに、2004年11月27日の早稲田大学国際会議場で行われた国際シンポジューム「知的財産に関する国際私法原則の国際的調整」である。このシンポジュームは、ドイツのマックス・プランク知的財産法研究所のクアー(Annette Kur)教授を迎えて、また、韓国から韓国国際私法学会崔公雄会長、孫京漢副会長、漢陽大学石光現教授、研修韓国司法院盧泰嶽教授の4名、日本側共同研究者5名を招き、早稲田大学国際会議場第2会議室で開催された。午前の部は、早稲田大学道垣内正人教授の司会によって進められた。まず、クアー教授からマックス・プランク提案についてプロジェクトの背景と現状、国際裁判管轄権規則、法選択規則にわけ、分かりやすく説明された。ついで、立命館大学渡邉教授から「渉外的知的財産権侵害事件に関するMax Planck Institute案の検討」と題して、マックス・プランク提案の翻訳と対比しながら、この提案の概要と特徴、日本の判例との対比、日本の判例との対比検討、マックス・プランク案の内容に対する若干の疑問、提言と将来への期待に分けて述べられた。工業所有権について権利登録国という概念を用いたために、著作権について対世的効力を判決に与えるべき国という必ずしも明確ではない概念を用いたこと、ユビキタス的侵害つまり損害拡散型侵害について個別事例ごとに重心理論を用いて衡量判断を導いているのは法的不安定性を招き、望ましくないことなどに疑問が呈せられた。クアー教授は、ユビキタス的侵害というのは、単なる拡散型の侵害ではなく、コンピュータによる場合のように、不特定、かつ、多数の国で侵害が生じる場合である、とされた。
 午後の部は、早稲田大学木棚照一教授の司会によって進められた。まず、漢陽大学石光現教授から「知的財産問題における国際裁判管轄権に関するマックス・プランク提案:韓国法の観点からみた若干の意見」と題する報告があった。ここではマックス・プランク提案についてのかなり個別的で詳細な考察と意見が提起された。ついで、韓国司法研修院盧泰嶽教授から「いわゆるALI草案の国際私法的関連規定に関する韓国法の観点からの検討」と青山学院大学伊藤敬也助手から「国際知的財産紛争の解決に関するアメリカ法律協会の提案」と題する報告がそれぞれ行われた。盧泰嶽教授は、ALI草案を韓国の制定法上の規定や大法院の判決等と対比して考察され、ALI草案の特許権除外は望ましくないこと、デジタル環境を意識した規定になっている点は評価できるが、管轄権がかなり広げられている点があることを指摘される。伊藤敬也助手は、主として、2004年1月のALI原則(Principles Governing Jurisdiction, Choice of Law, and Judgments in Transnational Disputes)を素材としながら、効率的で実効性のある裁判の実現のために裁判管轄につき広く併合を認め、権利の原始取得の準拠法として本源国法を基礎としている点を指摘しつつ、インターネット上のデジタル環境を意識した点に特徴があるが、管轄規則、法選択規則ともうけてよりも送り手の保護を重視している点に問題があることを指摘する。さらに、韓国国際私法学会孫京漢副会長から「ローマIIと知的財産権侵害」と題する報告が行われた後、全体討論を行った。

(4)成果と今後の展望
 この期間に行われた国際シンポジュームは、以上2回であるが、それ以外に、研究会のメンバーは連携しながら小研究会を重ねている。その成果は、「企業と法創造」1巻3号188〜288頁、4号337〜397頁に特集の形で掲載されている。本年3月中国の社会科学院法律研究所、清華大学法学部、武漢大学法学部を訪れ、講演を行うとともに、それらの機関の国際私法学者、知的財産法学者と交流をもった。今後、中国さらには台湾の学者を含めた研究グループを目指し、テーマも渉外私法の調和と調整の問題に広げて行きたい。
 知的財産の問題に絞っていえば、厳格な保護国法の原則を知的財産に関する国際私法の一般原則とする立場を維持しながら、サイバースペース上の知的財産侵害を考慮して指きたす侵害という新しい型の侵害類型を設定し、これを例外とするマックス・プランク案とルールとアプローチを巧みに組み合わせてサイバースペース上の知的侵害に共通する原則を求めようとするアメリカ法律協会原則の双方を参考にしながら、これらを批判的に検討して東北アジア型の新しい国際私法原則を提案することを目指して行きたい。しかし、アメリカおよびヨーロッパの研究が現在なお進行中であるので、この研究の完成にはなお数年を要するであろう。

(敬称略)

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