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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 2015年受賞

大野 裕之(おおの ひろゆき)

『チャップリンとヒトラー ―― メディアとイメージの世界大戦』

(岩波書店)

1974年生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科後期博士課程所定単位取得満期退学(映画学・演劇学・英米文化史専攻)。
舞台や映画で脚本・演出・作曲を行う傍ら、大阪市立大学、大阪成蹊大学などで講師を歴任。チャップリン研究家としても活動。現在、日本チャップリン協会会長。
著書:『チャップリンの影』(講談社)、『チャップリン・未公開NGフィルムの全貌』(NHK出版)など。

『チャップリンとヒトラー ―― メディアとイメージの世界大戦』

 綿密な資料をもとに、チャップリンとヒトラーを並列的に視野に収めた本書は、ある時代に特異な角度から光を当ててその実相を明るみに出し、それがメディア戦略として、現在とも深く関わっていることを痛感させる。
 チャップリンとヒトラーは1889年の4月に4日違いで生まれ、二人はともに芸術家を志望する。チャップリンは1914年に映画デビューしてたちまち人気者になるとともに、その出演映画は世界的な市場を得て、山高帽にドタ靴、チョビ髭という放浪紳士チャーリーのキャラクターは、世界中の人々がそのイメージを共有する。つまり、チャップリンは「キャラクター・イメージ」の発明という20世紀以降の文化・政治などにとって重要な概念を創出した開拓者の一人だった。やがてヒトラーは総統としてのキャラクター・イメージを重んじて映像を駆使するが、画家を目指して挫折した無名のこのころ、ヒトラーも鼻の下にチョビ髭を蓄えていた。メディアを通じて世界中にヒトラーの顔が知られるようになると、チャップリンとヒトラーがよく似ていると話題になる。『独裁者』はこのことを利用したメディアの闘いだった。
 再び戦雲が漂いはじめる中、チャップリンは『独裁者』のシナリオ作りに着手する。一方、ヒトラーはポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まり、その8日後にチャップリンは『独裁者』の撮影を開始した。この前後からヒトラーは映画への妨害工作に着手したが、その一つの理由はチャップリンがヒトラーをモデルにした独裁者に扮したことで、もう一つのそれはナチス・ドイツがチャップリンをユダヤ人と信じていたことだった。
 ヒンケル相似のユダヤ人の床屋が独裁者のヒンケルと入れ替わり、ラストシーンでデタラメの演説をするのがこの映画の破格の見せ場だが、著者によるこの解説が鋭い。
 チャップリンは映像は真実を偽装し得ること、記録映画にも「毒」があることを知悉していた。では「トメイニア国からのニュース映像」という設定のこのシーンに、なぜ通訳が付いているのか。
 実はここでのヒンケルの発言と、通訳が伝えていることには大きな懸隔がある。ヒトラーは映像の「毒」を目一杯利用し、映像でユダヤ人の恐怖を捏造し、かたわら自分の演説映像を繰り返し流して、その「毒」で国民を中毒させた。しかし、映像の「毒」の処方はチャップリンが一枚上手で、チャップリン演じるヒンケルがヒトラーのイメージを決め、世界中の人々がヒトラーを小男だと思いこんでいる。
 しかし、ここまで毒を以って毒を制すると、チャップリンという道化が新たな権威になりかねない。チャップリンの偉大さは、権力を笑うだけでなく、通訳の存在を見せることで映像には毒があることを暴露し、自ら拠って立つ場を笑いの対象にしたことにある。その上で演説のエスプリ、明晰な目で世界を見よと呼びかけている――というのが著者の説で、強い説得力がある。因に、チャップリンはヒトラーの映像を見て、希代の名優だと言ったという。意味深長だというべきだろう。

大笹 吉雄(演劇評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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