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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 2008年受賞

片山 杜秀(かたやま もりひで)

『音盤考現学・音盤博物誌』

(アルテスパブリッシング)

1963年生まれ。
慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学(政治学専攻)。
大学院時代から著述業に従事。音楽評論家、映画評論家、コラムニストとして、新聞、雑誌等で執筆活動を行う。現在、慶應義塾大学法学部准教授。
著書:『近代日本の右翼思想』(講談社)

『音盤考現学・音盤博物誌』

 音楽評論は文芸評論や美術評論に比べると難しい。なにしろ音は聞くそばから消えていってしまうのだから。
 その音楽評論をこれほど面白く、楽しく読ませる本はそうはないのではないか。豊富な知識、大きく偏った好み、マンガや映画などの多様な引用、なによりも自分の好きな作曲家や作品を積極的に紹介したいというおおらかな肯定の意志が素晴しい。
 まず驚かされるのは私など知らない作曲家や作品が次々に登場すること。
 音楽評論だからバッハやベートーヴェン、モーツァルトらメジャーな作曲家や、フルトヴェングラーやカラヤンのような名指揮者が論じられるかと思いきや、片山杜秀氏が熱をこめて語るのは、マイナーな音楽家たち。
 最初に紹介されるのは、日本の現代の作曲家、西村朗の「ヴァイオリン協奏曲第一番《残光》」。恥しいことに西村朗の名も「残光」も知らなかった。
 そのあと次々にこんな名前が登場する。
 ルトスワフスキ、ルイ・アンドリーセン、金井喜久子、川島素晴、細川俊夫、キラール、ノーノ、ハリー・パーチ、シチェドリン・・・・・・よほど現代音楽に精通している人でないと知らないのではないか。クラシックといえばドビュッシーあたりでとまっている人間にはみんなはじめて知る音楽家だった。
 固有名詞になじみがないとその評論は読む気がしないのが普通だが片山杜秀氏の文章は、分かりやすく、エピソードも豊富、何よりも朗らかで(たとえ暗い曲を語る時でも)、まったく知らなかったこれらの作曲家の曲を聴きたくなってくる。
 氏の最初の音楽体験は子供の時に見た怪獣映画だったというのが面白い。怪獣映画を何本も見ているうちにそこに流れる音楽が好きになり、やがて「ゴジラ」の作曲家、伊福部昭にたどりつく。モーツァルトでもベートーヴェンでもなく伊福部昭からすべてが始まったというのがユニーク。13歳の時には、伊福部昭作曲の「交響譚詩」を聴きに東京文化会館に出かけている。そして大学生の時にはじめて伊福部昭本人に会うことが出来、そのあと、幸運なことにこの作曲家の語る回想の聞き役になる。
 伊福部昭からクラシック音楽に入ったから自ずと好みはマイナーな作曲家に向かう。レコードも満足に出ていないような作曲家たち。「名演を探す以前に、そもそも曲を知ることさえできない。とても悲しくて辛い気持ちだった。子供心にマイノリティの苦悩を一身に背負ったつもりになった」。マイナーひと筋のその心意気やよし。
 伊福部昭をはじめ日本の作曲家たちに多くのページを割いているのも好ましい。「海ゆかば」やカンタータ「海道東征」(作詞は北原白秋)の作曲家、信時潔を語るところは熱がこもっている。その系譜の最後に坂本龍一の名が出てくるところは目からウロコ。
 氏はまた映画好き。それもやはりマイナーな日本映画に注目する。石原裕次郎主演の日活の青春映画「若い川の流れ」にショスタコーヴィチの「ヴァイオリン協奏曲第一番」が使われていたなんて知らなかった!
 マイナーな音楽家を語る時の片山杜秀氏の文章は本当に喜びにあふれている。旧ソ連の、人を驚かせるのが大好きな作曲家ロディオン・シチェドリンについての文章を読むとすぐにでもそのCDを聴きたくなる。
 先日、12月に来日するシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラという広く知られていないオーケストラのチケットを買った。片山杜秀氏の文章を読み、これはぜひと思ったからであることは言うまでもない。

川本 三郎(評論家)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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