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サントリー学芸賞

選評

政治・経済 2000年受賞

坂元 一哉(さかもと かずや)

『日米同盟の絆 ―― 安保条約と相互性の模索』

(有斐閣)

1956年、福岡県大牟田市生まれ。
京都大学大学院法学研究科修士課程修了。
京都大学法学部助手、三重大学人文学部助教授、大阪大学法学部助教授などを経て、現在、大阪大学大学院法学研究科教授。
著書:『戦後日本外交史』(共著、有斐閣)

『日米同盟の絆 ―― 安保条約と相互性の模索』

 1951年に成立して以来、また1960年に激しい反対をこえて改定されて以来、日米安全保障条約は日本外交の機軸の位置を占め続けてきた。それにもかかわらず、安保条約については、未解明の部分が少なくない。アメリカで新しい外交文書が発見され、安保条約の秘密がまた明らかになった、という報道がしばしばなされるのも、そのせいである。
 本書は、安保条約がなぜ、いかに成立したのか、どのようにして改定され、どのような問題が残っているのかという、戦後外交の根本問題に、真っ向から取り組んだ力作である。
 安保条約の難しさは、憲法上軍事力を持たず、海外派兵が出来ない(ことになっている)日本が、アメリカと共同防衛のための同盟を結ぶことにあった。ここから、日本は基地を提供し、アメリカは安全を提供するという、擬似的な対等性(物と人の協力)が作られた。しかしそれはあくまで擬似的な対等性であって、アメリカからは日本の防衛努力の不足と「タダ乗り」に対する批判が、また日本からはアメリカの基地や米兵の横暴に対する批判が絶えなかった。
 それゆえ何度も対等性を求める動きがあったが、成功はしなかった。たとえば1953年、池田=ロバートソン会談においてアメリカは日本の大幅な防衛力増強を要求したが、日本側はこれを拒んだ。また日本側からは、1955年、重光葵外相が安保条約改定をアメリカに持ち出し、峻拒された。そして1957年からは岸信介首相が条約改定に取り組んだが、旧安保の骨格を大きく変えることは出来なかった。坂元氏は、擬似的な対等性という安保条約のもっとも核心的な部分から、日米安保条約の成立と展開を解明し、今日に残された問題点を鋭く描き出すことに成功している。
 本書で印象的なことの一つは、坂元氏の資料の使い方である。戦後日本外交史研究は、日本側の外交文書の公開が遅いため、アメリカ外交文書に決定的に依存している。そして下手をすると、大量のアメリカ外交文書の中に新事実を発見することに追われ、それをバランスよく全体の中に位置付けることがおろそかになってしまう。しかし坂元氏は、丹念に資料を収集しただけでなく、それを実に大切に扱っている。外交交渉を取り巻く国際関係や国内の政治力学、それにリーダーの認識や判断に、柔軟な想像力と堅固の論理構成で迫り、資料をよく生かしている。
 これはこれで完結した立派な作品である。しかし、日本の安全保障政策が、もっぱら条約論議で終始してきたというのは、奇妙なことである。安保条約は安保政策の重要部分ではあるが、すべてではないはずだ。冷戦終焉から10年以上が経過して、そういう時代は、そろそろ終わろうとしている。条約論議を超えた安全保障論議が、今後の日本には必要となるであろう。そういう舞台でも、坂元氏には活躍してほしいと思う。

北岡 伸一(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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