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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 1999年受賞

東 浩紀(あずま ひろき)

『存在論的、郵便的 ―― ジャック・デリダについて』

(新潮社)

1971年、東京都三鷹市生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。
現在、日本学術振興会特別研究員(東京大学)。
著書:『郵便的不安たち』(朝日新聞社)

『存在論的、郵便的 ―― ジャック・デリダについて』

 ポスト・モダンと総称される思想の展開が、知のファッション化やマーケティング化を伴いながら80年代を駆け抜けて以来、いわばポスト・モダニズムの消息に多くのものは半ばの疑念をもちながらもそれなりの関心をもっていたはずである。それこそ、デリダ-東氏の言い方を借りれば、ポスト・モダニズムの発送した郵便は誤配されたり途中で紛失したりしたようにも見える。もっとも正確な郵便制度を壊すことこそがポスト・モダニズムの眼目であったとすれば、ポスト・モダニズムと称される運動そのものも崩壊してゆくのも当然というべきではあったろう。とは言え、「ポスト・モダン以降」の思想とは何なのか、われわれはあのバブルと多弁の80年代から何を得たのだろうか、こうした問いはやはり残るだろう。たとえポスト・モダニズムはもう終わったと言うにしても。
 そのまさに80年代のポスト・モダン的思惟の中で育った若者が書いたデリダ論が本書であるが、ここで、著者は、なぜ自分が今デリダを論じるのか、「ポスト・モダン以降」のこの90年代の思想状況の中で、本書の占める位置はいかなるものであるのか、こうした自己認識、状況認識に対してきわめて明晰でかつ意図的であるように見える。そのことが、本書における、できるだけ端的で正確であろうとする文体や手際よい議論の進め方にも示されている。これは決してデリダ研究書ではないが、またレトリックや自己陶酔的文体に頼った主観性の強い評論でもない。つまり、ここで著者は、デリダを研究対象としているのでもなく、デリダに陶酔しているのでもなく、またデリダをダシにした自己表現に溺れているのでもない。デリダ、クリプキ、ラカン、ジジェック、柄谷行人等の80年代から90年代にかけての現代思想を自由に往来した上で著者は、いわゆるポスト・モダン思想がどこで行き詰まったのかを極めて的確に描き出すのである。否定神学、ゲーデル的脱構築というポスト・モダンの袋小路に代わって、著者はデリダから「郵便的」という別途の方位を受け取るのだが、ここで多くの読者は、見失われていた何かを見いだした爽快感のようなものを味わうのではないだろうか。それは、閉塞したポスト・モダニズムからの脱出口であると共に、ある意味でごくまっとうな議論への回帰でもあるからだ。「郵便的不安」や「幽霊的回帰」という独特の概念にもかかわらず、ここで述べられていることは経験的なコミュニケーションや思想史に照らしてごくわかりやすいことである。難解さと論理のトリックを一種のファッションとした否定神学的ポスト・モダンから、より開かれた経験世界への還帰の道を指し示したといってもよいかもしれない。
 著者は別のところで、「私」と「世界」の中間にある社会、国家といったものをまっとうに考えてゆくことが必要だという趣旨のことを述べているが、アカデミックな議論とジャーナリスティックな議論を架橋するであろう著者の今後の幅広い活躍に期待したい。

佐伯 啓思(京都大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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