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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 1992年受賞

新村 拓(しんむら たく)

『老いと看取りの社会史』を中心として

(法政大学出版局)

1946年、静岡県浜松市生まれ。
早稲田大学大学院文学研究科博士課程修了。
大学卒業後、神奈川県内の公立高校の教諭を務める。この間、北里大学教養部非常勤講師。 現在、神奈川県立茅ヶ崎高等学校定時制教諭。文学博士。
著書:『古代医療官人制の研究』、『日本医療社会史の研究』、『死と病と看護の社会史』、『ホスピスと老人介護の歴史』(いずれも、法政大学出版局)

『老いと看取りの社会史』を中心として

 新村拓氏について選考および受賞の対象となったのは『古代医療官人制の研究――典薬寮の構造』(1983)、『日本医療社会史の研究――古代中世の民衆生活と医療』(1985)、『死と病と看護の社会史』(1989)、『老いと看取りの社会史』(1991)の4作から成る同氏の業績全体である。このうち第一のものは古代中世の日本における国家制度としての、いわば官のレベルにおける医療の研究であり、第二のものは民の立場における社会施設や儀礼・習俗としての医療は扱っているが、ともに博引旁証至らざるはないと言うべき精緻な歴史的労作である。そしてこの2冊の研究を土台にして、その上に現代の高度医療や高齢化社会にまつわる切実な問題意識を加え、それにもとづいてこのフィールドにおいて歴史と現在とを連関させて論じたのが後の2篇の労作である。
 言うまでもなく、エレクトロニクスの多用による医療技術の発達と社会制度の充実とがもたらした光(治癒と延命)と影(高齢化)との矛盾は、現代社会に生きる者が誰しも直面せざるをえない深刻な問題であり、その解決のための処方箋を書くことはきわめて困難である。
いまや「いかに生きるか」よりも「いかに老い、いかに病み、いかに死ぬか」ということの方が私たちにとってはるかに切実な問題である。そしてそれは結局のところ、「人間は必然の運命にいかに対処するか」ということに帰着するであろう。このことは、医療技術の高度化という現代に特有の現象を除けば、人間にとって常に古くして新しい永遠の問題であるとも言えるだろう。まことにターミナル・ケアやホスピスなどはけっして現代の私たちだけにとっての問題ではなく、本質的な次元では、昔から存在したのである。新村氏の業績全体の底にある基本的な視点はここにあるし、それはまた私たちがおよそ歴史に対してとるべきスタンスの重要な一つであると考えられる。
 新村氏の業績全体を通して注目されるのは同氏のすぐれた複眼的思考である。第一に、氏は歴史と現代とを等距離に置いて見ている。すなわち一方では類稀れな博捜によって歴史的文献に沈潜しながら、他方では現代社会に潜む深い問題を凝視する。第二に、医療の歴史を追及するにあたって、いわば癒す側に立つと同時に、病者・老人・死者という癒しを受ける側に対する関心も豊かである。第三に、医療における治療という側面だけでなく、看護の面がむしろ強調されている。両三年前に日本生命倫理学会の発起総会の席上で、ある碩学が声を大にしてこのことを主張されたのが評者の脳裏に鮮やかに蘇った。そして最後に、最も強調さるべきは、新村氏の業績において歴史と思想とがみごとに統合されているということである。歴史を語ることのなかに思想が生きており、思想を述べるにあたって歴史が裏付として働いている。同氏の今後のますますの御研鑽を祈りたい。

中埜 肇(岡崎学園国際短期大学学長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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