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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1992年受賞

倉沢 愛子(くらさわ あいこ)

『日本占領下のジャワ農村の変容』

(草思社)

1946年、大阪市生まれ。
東京大学大学院博士課程修了。
コーネル大学Ph.D.取得。
摂南大学国際言語文化学部助教授、同教授を経て、現在、在インドネシア日本大使館専門調査員。
著書:『日本と東南アジア』(共著、東京書籍)、『東南アジア世界の歴史的位相』(共著、東京大学出版会)など。

『日本占領下のジャワ農村の変容』

 日本とアジアとの関係は、今や新しい段階に入りつつある。
 それは日本がアジアで何をしたのかを冷静に見つめる時が来たことを知る段階でもあると思う。そのための重要な学問的課題として、第二次世界大戦における日本軍によるアジア各地の占領の実態を詳しく研究することがある。
 倉沢愛子氏によるこの『日本占領下のジャワ農村の変容』は、そうした学問的課題に本格的に応えるべき準備された労作である。
 この本は、オランダ領東インド(現在のインドネシア)へ1942年3月に侵攻し、オランダ植民地政権を倒して占領してから、終戦に至るまでの3年5ヶ月の間に、日本軍による軍政がいかに現地のインドネシア人を統治したか、その実態をとくに軍政の中心地たるジャワ島の農村の変化を通してとらえようと試みた。
 そこには大東亜共栄圏構想というアジア侵出の大儀と日中・日米戦争継続のための資源獲得という国家利益の追求とが絡み合っていたが、著者はそうした前提を考慮に入れた上で、日本軍政による占領政策の展開とジャワ農村のそれに対する反応とを細部にわたって追跡してゆく。
 第1部ではオランダの植民地支配の確立のプロセスを明らかにすることから始めて日本の軍政にいたるジャワ農村社会の変化を展望し、軍政の経済政策、とくに農業政策と労働力の徴発の問題を中心に考察する。「隣組」的社会関係と農業組織としての「組合」という日本的社会システムの導入をめぐる問題の記述と分析は鮮やかである。
 また第2部では軍の宣撫工作を中心に、日本式教育制度の導入や文教政策の実施の問題を取り上げ、第3部ではこうした軍政がもたらしたジャワ社会の動揺を行政やリーダーシップの変容の問題の分析を通して明らかにしている。日本軍関係者、インドネシアでの占領経験者へのインタビュー調査、邦文、インドネシア語・オランダ語資料の使用によって、ここに日本占領の一つの実態とその帰結がほぼ完璧に明らかにされた。まさに日本にとってもまたインドネシアと世界にとっても待たれていた研究の出現だと感銘を深くする。とくに日本軍の文化政策の一環としてジャワで作られた映画の紹介があることはすばらしく貴重な寄与であり、本著に深さと豊かさを与えている。
 この研究に触発されて、これから日本のアジア関与の実態が明らかにされるような研究が続くことが望まれ、期待される。近年稀に見る学問的収穫である。この重要な研究が、著者が嘆くように、インドネシアとアメリカの援助によって可能となったことは日本文化の実情をよく示している。遅まきではあるが、本賞の受賞がささやかな償いとなれば本賞の文化的な役割は十分果されたといってよいのではないかと思う。

青木 保(大阪大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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