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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 1991年受賞

山室 恭子(やまむろ きょうこ)

『中世のなかに生まれた近世』

(吉川弘文館)

1956年、東京都生まれ。
東京大学大学院国史学研究科修士課程修了。
現在、東京大学史料編纂所助手。

『中世のなかに生まれた近世』

 古文書学、という研究領域がある。古文書とは、或る差出人が、特定の受取人に宛てて、なんらかの意志を伝えるために発行した書類、をいう。したがって、日記などの記録、経典、書物、などは含まれない。
 これら古文書は、次の6種に分類しうる。すなわち、公式様文書、公家様文書、武家様文書、証文、神仏に奉る文書、書状、である。このうち、鎌倉幕府が成立して以降に発生した武家様文書は、下達文書と上申文書とに別けられる。
 そこで、本書の主題設定は、戦国大名たちが出した下達文書の様式の推移に基づいて、その統治形態の変遷を見定める探査である。
 下達文書のうち、花押(かおう)を据えたものを判物(はんもつ)、印を押したものを印判状(いんぱんじょう)、と呼ぶ。東国では、後北条氏五代を通じて、徐々に判物の減少、印判状の増加、という明瞭な傾向が見られる。この移行によって、文書の性格が大量発給へと発展し、宛先が寺社中心から士および郷村宛てへと変化する。この趨勢の赴くところ、印判状の書式が更に簡略化し薄礼化してゆく。すなわち、大名とその家臣や領民たちとの紐帯が、個人的また人格的な主従関係から、非人格的また官僚制的で強力な政権支配へと変貌の道を辿るのである。「花押を据えるかわりにポンと一つ印を押して済ませてしまう。これが近世の初めに行き着いた主君と家臣のありようであった」と著者は見る。
 一方、西国の、たとえば毛利氏は、ながく判物のみを使用していたが、天正16年7月、輝元が上洛して秀吉に謁見して以後、ただちに変質する。豊臣政権の影響による改革であった。
 こうして、「かたや、積極的に検地を行なって在地の掌握につとめ、それに基づいた徴税システムを確立し、あわせて交通路支配にも意を用いながら官僚を育成していくという路線をとった印判状大名、かたや、逆にいずれについても消極的な姿勢しか示さなかった非印判状大名」、 「総じて、大名の恣意ではなく法による支配という統治理念は、印判状大名においてのみ顕著な発展を遂げた」と著者は指摘する。
 そして織田信長。彼は、それまで判物一色だった発給文書を、永禄10年11月から1年ほどの間にすべて印判状化し、のみならず、ひきつづいて、「書状の印判状化という、戦国期の印判状大名が誰ひとりとしてその試みだに行なわなかった変革を、悠々と完成させてしまった」のであった。
 本書は、古文書学という実証研究が、その着眼の犀利によって、いかに歴史の大動脈を照らしだしうるかを、鮮明に証し立てた入魂の成果である。なかでも著者の探究と叙述にみなぎる心おどりは、読者の胸奥に興奮の波を呼びおこす。歴史は、単純な一元的段階論では捉えられぬ旨を、改めて教えられる。

谷沢 永一(関西大学名誉教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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