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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 1988年受賞

笠谷 和比古(かさや かずひこ)

『主君「押込(おしこめ)」の構造』

(平凡社)

1949年、神戸市生まれ。
京都大学大学院文学研究科博士課程修了。
現在、国文学研究資料館史料館助手(大名家文書担当)。

『主君「押込(おしこめ)」の構造』

 本書の特色は、何よりも主君「押込」という概念をはじめて私たちの前にはっきりと提示し、これまで知られなかった広い世界を新たに拓いたところにある。それは、著者の結論に従うなら、近世の大名家において主君に悪主・暴君などの問題があるときは、家老・重臣層が合意の上でその主君を監禁し、「再出勤」のための猶予期間を置いたのち、改心困難とみなしたときは隠居させ、実子を含む新主君を擁立していくという、主君廃立行為のことである。
 しかもこのような家臣団の手による主君の廃立は、わが国の場合、正当な行為とひろく認識され、慣行とよぶにふさわしいものとなっており、大多数の場合、円滑かつ無血のうちに成就された。さらに家臣団によるこのいわば反逆行為に対して、幕府は18世紀の半ば以降、事実上是認する方向をかなり明確に打ち出すにいたっている。すなわち主君「押込」の行為は、近世日本の国制に事実上組み込まれていたといいうる。
 このことを著者の笠谷和比古氏は、近世大名家における様々の「お家騒動」を通して、具体的に明らかにする。それは、悪い家老たちが陰謀をめぐらせて藩主を座敷牢に押し込め、国を乗っ取るといった簡単なものではない。主君に非があり、藩主として欠格であるという判断が家臣団のあいだに形成され、かつ支配的となったとき、主君「押込」はその藩を救うために取られた、きわめて日本的な形の解決法であったといっていい。
 これは、驚くべき日本人の知恵である。このような場合、欧米諸国での社会通念としては、一般に流血を伴う革命しか解決の方法がない。支配する側と支配される側との間には、いわば食うか食われるかの対立緊張関係があるだけであり、いったん革命が成功すれば、それは社会体制全体の荒々しい変革をひき起こさずにはおかない。
 そのようなことなしに、家臣たちが合意の下に悪い主君を廃し、良い主君を立てるという、家臣団による主君の首のすげかえが、主君に対し反省の機会を与えながら実現され、しかもこの主君「押込」が社会的にも是認されていたなどということは、ヨーロッパの法制史・社会史が原則としてまるで知らない世界であり、概念である。
 そしてこの社会慣行はじつのところ今日もなお存続しており、企業のトップが取締役会などの手で突如解任されるといったよくある事件は、現代版主君「押込」であると著者は指摘する。
 わが国の「お家騒動」ないし社長解任劇の実像を、主君「押込」という概念で説き明かし、日本社会の特性をダイナミックに分析してみせた笠谷氏の発想は、じつに新鮮かつユニークであり、しかもじつに説得的である。アッと驚きなるほどと納得する、抜群の魅力を本書は備えている。

木村 尚三郎(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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