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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史 1987年受賞

延広 真治(のぶひろ しんじ)

『落語はいかにして形成されたか』

(平凡社)

1939年、徳島県生まれ。
東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。
独協大学教養部講師、名古屋大学教養部講師などを経て、現在、東京大学教養学部助教授。
著書:『名古屋における木下杢太郎』(杢太郎記念館)

『落語はいかにして形成されたか』

 今日の東京落語が、どのような経緯で成立したかを、広範にして微細な資料を丹念に掘り起こし、確実な根拠のある事象だけを、文化史的な視野のなかで辿った内容の濃い書。落語の歴史を始めて見極めたこの達成は、今後の研究の新たな出発点となり、揺がぬ礎石として後学に資すること決定的である。
 東京落語は、切れ目なく続いて現代に至った大阪落語と異なり、元禄期における鹿野武左衛門の舌禍によって、実に80年もの中断を生じた。
 その落語を再興するのに中心となり、当代までの伝統を形成したのが、本書によって解明された烏亭焉馬である。彼は通称和泉屋和助、大工の棟梁であり、自宅では足袋や手拭なども商っていた。
 その焉馬が天明3年4月25日、宝合せの会と称する寄り合い、つまり種々の珍宝を思いがけぬ器物によって表現し展示する集まりに出席し、『太平楽巻物』なるものを読み上げた後、落咄を二、三しゃべったところ、一座の好評を博したという。
 この『太平楽巻物』は現在三巻残っており、それぞれ天明3年、天明8年、寛政12年の成立と推定される。そして『太平楽巻物』は、出席者の前で朗読されたのであるが、往時の落語は今日と異なり、朗読する場合のあった事が画証によって推測されるので、問題の『太平楽巻物』は落語の台本と認め得る。これら三巻に於ける登場人物や会話文を十分に検討すれば、再興期の落語を推定し、その形式過程を窺知し得るのである。
 このように宝合せの会で好評を得た焉馬は、天明6年4月12日、向島の料亭武蔵屋で、咄の会、つまり同好の士が集まって、それぞれ自作の落咄を持ち寄り、焉馬の口演によって発表する催しを成功させるに至った。
 咄の会は既に大阪で行なわれていたが、これは雑俳愛好家が中心であり、狂歌師を中心とする江戸の場合と好対照をなしている。そして江戸における咄の会は、以後、年に一度ほど行なわれていたが、寛政4年正月21日からは、咄初めと称して年中行事化し、更に寛政8年からは、その成果を咄本として毎年1冊上梓するに至った。
 一方、焉馬は五代目団十郎の熱烈な贔屓で、応援団体である三升連を組織していたが、咄の会に出席した多くは、実は三升連の一員でもあったので、落語の再興が速やかに行なわれたのは、この間の事情が要因であったと考えられる。
 咄の会はもともと素人の集まりであったが、その盛行に刺激されて、遂に本職としての落語家が登場する。寛政10年、初代三遊亭円生は、鳴物入り芝居咄の祖となる。また櫛職人初代三遊亭可楽は同じ年に、風流浮世おとし咄の看板を掲げた。こうして本書は江戸落語の生成過程を、実証に徹して具体的に浮き彫りしてゆくのである。

谷澤 永一(関西大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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