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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗 1985年受賞

青木 保(あおき たもつ)

『儀礼の象徴性』

(岩波書店)

1938年、東京都生まれ。
東京大学大学院修了(文化人類学専攻)。
東京大学東洋文化研究所助手、立教大学文学部助教授を経て、現在、大阪大学人間科学部教授。ハーバード大学人類学部客員研究員としてアメリカに滞在中。
著書:『境界の時間』(岩波書店)、『カルチャー・マス・カルチャー』(中央公論社)など。

『儀礼の象徴性』

 本書は、青木氏のタイでのフィールドワークと、文化人類学、社会学の両方向からの儀礼に関する研究の分析・批判を基に、儀礼の人間社会にとっての必要性の解明を試みた意欲的な論文である。
 全体は五部に分れ、第一部では儀礼の定義と儀礼とコミュニケーションの関係が論述される。儀礼の定義には疑問が残るが、「真実のメッセージを発するメタ・コミュニケーションとしての儀礼」と「虚偽のメッセージを発するメタ・コミュニケーションとしての遊び」を両極として、この間に「あいまいで両義的な現実的日常」が広がり、この三者が対立するとともに相補し合って世界を構成するという極めて示唆に富んだ視点を導入した点は高く評価できよう。
 第二部は、タイのタンブンの儀礼の分析をもとに、儀礼というメタ・コミュニケーションのフレーム内で、発言と行為が不可分であることが立証される。
 第三部では、国家の統治の裏づけとしての可視のレベルを超えたコスモロジーの必要性と、国家儀礼による国家のコスモロジーの顕在化のプロセスを示し国家にとって儀礼が、不可欠の装置であることを論証する。ここでは、エリザベス二世の戴冠式、部族社会での王権概念、パリの劇場国家、ソビエトにみる社会主義体制下での儀礼化等の多様な素材を用い、儀礼研究の視点からみた国家論が展開されるが、これは従来の国家の成立基盤をその権力構造にみる見方に対する文化人類学側からの興味深いアンチテーゼであり、この部分は本書の中でも最も魅力かつ説得力に富んだ部分である。
 第四部では、リミナリティ(境界状態)とコミュニタス(リミナリティにおいて認識される未文化で未組織な人間の共同性)の問題を取り上げ、儀礼の示す解放と拘束、乱痴気騒ぎ(祝祭)と厳粛というパラドックスの変換こそが、人間と社会の存在論的なパラドックスであることを提示する。
 エピローグでは、儀礼の死と再生が扱われる。儀礼が社会の余剰として発生し、文化形式として洗練されていくに従って社会秩序に対する反省作用を失って単なる遊びに転化し消滅するが、新たな意味の創出により再生するという儀礼の発生―死―再生のプロセスが意味論と実践論の両側面から検討される。
 本書全体を通じて認められる説得力にややもすれば欠ける点をあげるとすれば、それは儀礼に対する一方の極である遊びの解明が不充分な点であろう。例えば本書の最後に語られる「儀礼のルーティン化による遊びへの転化、遊びのルーティン化による儀礼への転化」という興味深い結びも、遊びの解明が不充分なため、強い説得力は持ちえていない。
 このような欠陥を持つとはいえ、儀礼に関する文化人類学的視点からの精緻な分析によって、人間社会における儀礼の普遍性を証明し、儀礼の今日的な意味を浮きぼりにした点で本書は大きな価値を持っているといえるであろう。

辻 静雄(辻調理師専門学校校長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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