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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学 1982年受賞

樋口 忠彦(ひぐち ただひこ)

『日本の景観 ―― ふるさとの原型』

(春秋社)

1944年、埼玉県生まれ。
東京大学大学院博士課程修了(土木工学専攻)。
東京工業大学助手を経て、現在、山梨大学工学部助教授。
著書:『景観の構造』(技報社)など。

『日本の景観 ―― ふるさとの原型』

 日本の国土の景観論については、これまで、本居宣長の「もののあわれ」論の延長ともいうべき志賀重昂の日本的情緒性のうえに立つ『日本風景論』か、あるいは西欧近代化思想のほとんど直輸入といってもいいような国木田独歩の『武蔵野』に代表されるいくつかのエッセイぐらいしか見当たらなかったといっていい。
 だが、明治も100年たって、ここにようやく、日本人にも西欧人にも理解される近代的な論理でもって、日本の国土の特異な景観の意味を明らかにする労作が現われた。それは昨年上梓された『日本の景観』なる一著。著者は、土木工学出身の若き学徒である樋口忠彦氏である。
 氏のこの本のユニークな点は七つにまとめられた日本の景観の型にある。すなわち、 1.秋津州(あきつしま)やまと 2.八葉蓮華(はちようれんげ) 3.水分神社(みくまりじんじゃ) 4.隠国(こもりく) 5.蔵風得水(ぞうふうとくすい) 6.神奈備(かんなび)山 7.国見山であるが、この日本的に文学的な名称を与えられた景観の型が、一つは視覚工学的に、もう一つは、ハイデガー以後の現象学的ないしは実存的空間論の立場から具体的に解き示されている。それは、ケヴィン・リンチや、ノルベルグ・シュルツや、オット・F・ボルノウらの仕事のうえに位置づけられるものである。
 その結果、都市の発展を眺めても、たとえば平安京で左京が発展し、右京がさびれた理由を、従来は右京の湿潤さなどの土地条件のせいにしていたが、氏は「山の辺」を偏愛する日本人の感性や景観意識から説明していて興味ぶかい。
 このように、日本の歴史的に造成された景観に、現代科学の方法でもってメスを入れ、なおかつ、その景観の意味がますます今日的に重要性を帯びてくる、といった研究は、まことに新鮮なものだ。羨望の念を禁じえない。
 なお、この本は、同氏が7年前に著わした『景観の構造』の延長線上にあるものである。基本的なコンセプトはすでにその本の中に示されているが、本書はそれをより広い視野の中で、いいかえると文化的な視点から把えなおし、一般の読者に平明に書きおこしたものである。
 平安末、藤原範兼が編んだといわれる『五代集歌枕』に載せられている歌枕834ヵ所の分析をおこなって、水の辺の意味などを考える。こういうふくよかな景観論が、工学の分野から生まれてきたところに、時代の新しい胎動をわたしは感じる。

上田 篤(大阪大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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