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サントリー地域文化賞

活動詳細

九州・沖縄

佐賀県 有田町 1999年受賞

玄海人クラブ
日韓両国の生活文化や価値観に根ざした身近な情報発信を通じ、相互理解に貢献

代表:兪 華濬 氏

1999年6月更新

写真
韓日交流音楽会

 玄界灘を渡って、古代から多くの人と文物が日本と朝鮮半島の間を行き来した。日本と韓国の間に横たわるこの玄界灘に心を寄せ、両国の真の友好を願う「玄海人」としての自覚を持つ人々の輪を作ろうと、1996年、「玄海人クラブ」が設立された。

 「玄海人クラブ」の代表は、佐賀県有田町に住む兪華濬さんである。彼女は、幼年時代の6年を韓国の外交官だった父の任地・福岡で過ごした。18歳で再び来日。東京で大学に通い、韓国大使館勤務を経て、ビジネスの世界でも活躍した。そして、89年、旅行で訪れた有田で、人生の大きな転機を迎える。

 陶芸の町・有田は、文禄・慶長の役で日本に連れてこられた朝鮮陶工の李参平が陶磁器の技術を伝え、栄えた町である。陶山神社の山頂には、「陶祖李参平の碑」がそびえたち、碑文には「大恩人」の文字が刻まれている。石碑が立てられたのは、韓国に対する植民地支配が進む1917(大正6)年であったということが、兪さんの心を打った。

 陶芸の歴史と文化をビデオ取材するために、兪さんは、翌年から、毎週のように有田を訪れる。その兪さんのもとに、町のお年寄りたちが集まってきた。「キムチのつけ方を教えて」「韓国にいる戦友を捜したい」「ホームステイに来ていた韓国の子どもから送られてきた手紙を読んでほしい」というものだった。身近な韓国文化を紹介することから、兪さんと地元の人達との間で交流が生まれ、ついには兪さんに有田に移り住むことを決意させた。

 94年、兪さんは仲間たちの力を借りて有田に「韓国文化交流センター」を設立する。地元の人々に韓国語を教え、素朴な質問に答えて韓国の生活や習慣、文化の話をし、またワープロで打った機関紙「韓の風」をたった一人で出し始めた。参加者は徐々に増え、2年後、韓国文化交流センター福岡事務所開設を機に、日韓両国から有志を集め「玄海人クラブ」を設立した。

 「韓国人でも日本人でもなく、両国を大事に繋ぐ玄海人としての生き方をして欲しい」これは、元々、兪さんの父の願いだった。歳月が流れ、有田で、これまで全く知らなかった日本人の姿、日本の中で息づく韓国文化に出会った兪さんが、玄海人クラブのモットーに掲げたのは、「知らせる努力、知る勇気」。韓国文化交流センターのこれまでの活動に加え、日韓双方がお互いのことを正しく理解しあうために、玄海人フォーラム、玄海塾、研修旅行をはじめ、ボランティアによって日本の古本を韓国の大学に送る「古本サンタクロース」、日韓両国の合唱団の相互訪問による音楽を通じた交流などを行っている。

 現在の会員数は280名をこえ、韓国側に「日本文化交流センター」設立の動きもある。活動の歴史はまだ浅いが、日韓新時代にふさわしい双方向の草の根国際交流として、「玄海人クラブ」は大きな期待を担っている。

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